錆を花にあげよう -逢坂舞SF短編集-

逢坂舞

第1篇 ルトビアの花

「お母さん! 今日はこんなに花が穫れたよ!」


今日も元気な声が聞こえた。

振り返ると、今年で六歳になったばかりの女児が、両手いっぱいに青い花を抱えて、満面の笑みでこちらを見上げていた。


「あら、もうそんなに育ったのね」


そう答えて、花を受け取る。

絵の具をそのまま塗りたくったように、光沢がある不自然な青色の花びらの色を、キラキラと蛍光灯の光に反射させながら、その花は摘まれたままの瑞々しさでツンとしていた。


まだ青い。

青すぎる。


花を水が入った花瓶に入れて、私は女児の頭を撫でてやり、言った。


「ステラ。滅菌室に入ってきなさい」

「うん。お母さんは?」

「後から行くわ」


そう答えて、視線を花に戻す。

女児はニッコリと微笑むと、奥の部屋に、パタパタと足音を慣らして消えた。


もうすぐ砂嵐の時間だ。

壁に掛けられた計測機が、カタカタと無機質な音を立てながら、細長いテープに現在の状況を打ち込んでいる。

テープは床の巨大な集約装置に吸い込まれ、中で情報がメモリに書き込まれるようになっていた。


「お母さん、服脱いだよ!」


奥の部屋からステラの声が聞こえる。

私は、集約装置の電源がまだ入っていることを確認してから奥の部屋へと足を向けた。


ガタガタと合成強化ガラスが音を立てている。

僅かに歪んだ外が見えた。

どこまでも続く荒涼とした砂漠。

黒い砂が、見渡す限りこのシェルターを覆っている。


パキッ。


小さな音がした。

私は、自分の手を見てそして動きを止めた。

左手の小指が中程から千切れて、床に転がっていた。


劣化だ。

幸い腕部マニュピレータの替えはまだストックがあった筈だ。

ステラを心配させるわけにはいかない。


「先に入っていなさい」


奥に声をかけ、私は反対方向の倉庫へと足を向けた。

途中でステラが半開きにしていた出入り口に近づき、しっかりと締め、施錠する。


この辺りで強盗行為を働くような生体反応はもはや一つもなかったが、その一連のバカバカしい行為が、日々の作業ルーチンとなってはいた。


出入り口の外に、合成強化ガラスで囲まれた菜園があった。

その一部に、三十センチ程の茎の上に青い花を沢山つけた植物が植えられている。


ルトビアの花、とそれは呼ばれていた。

何てことはない。

ただの花だ。


ガタガタと窓が揺れる。

風が強くなり、周囲に黒い粒子が舞い散り始める。

砂嵐にシェルターは揺れていた。


無言で倉庫に入り、劣化した左腕を肘から取り外す。

そして、保管されていた替えのパーツを注意深く取り付けた。

何度かマニピュレータを開閉させてきちんと動くか確認する。


私は、ダストシュートに壊れた左腕を投げ捨ててから、滅菌室へと向かった。



「お母さん! 今日もこんなに花が穫れたよ!」


人間の成長は早い。

ステラはみるみるうちに大きくなる。


しかし、日常は変わらない。

今日も両手いっぱいにルトビアの花を抱えて、満面の笑みで私に差し出す。


数年前まで真青だったその花びらは、今は緑色に変色していた。

その中の一輪が、黄色く色づいているのを見て私は声を上げた。


「あら……初めて見る色ね」

「そうなの! 何個か黄色になってるのがあったよ!」

「そう、良かったね」


私は、ごく自然にそう言っていた。

ステラはきょとんとして私に返した。


「ん? 黄色いといいことがあるの?」

「その花が全て黄色になった時、ステラにとって、とてもいいことがあるのよ。それに私は、黄色が大好きなの」

「そうなんだ! 楽しみだなぁ」


純真に笑う。


私は劣化して動きが鈍くなった腕を動かして、緑色のルトビアの花を受け取り、花瓶に挿した。

黄色の花だけ、別の花瓶に挿す。


壁の計測機がカタカタと音を立てている。

砂嵐の時間だ。

集約装置を確認して、いつものようにステラを滅菌室に追いやる。


もう、替えの部品はなかった。

黄色い花がつき始めたというのは、そういうことなのだろう。


不思議と恐怖はなかった。

劣化していく自分自身と、減っていく電池残量を見つめるだけの日々。


時々思う。

私がステラを育てているのは、これは、私の意思なのだろうか。

ステラを保護しているのは、私がしたくてしていることなのだろうか。


分からなかった。

あの子を愛している。

しかしこの感情が果たして、私にプログラムされたシステムの一部が起こしている錯綜なのか。

それとも、ただ単なるバグの誤差なのか。


気まぐれな、神様の悪戯だった。

神という者が、この世にもしいるとしたらだったが。


「残存人類」を掃討している過程のことだった。

それは作業だった。

生体反応を確認し、「人間」であれば生体活動を停止させる。

その繰り返しだった。


私は何百もの「残存人類」を停止させた。

そこに感情はなかった。

もとより、私に感情という機能が備わっているのか、それさえも分からない。

今でもだ。


ステラは、排水口に捨てられていた。

ボロ布に包まれて、汚水にまみれて泣いていた。


私は分からなかった。

その赤ん坊が、「残存人類」だと認識できなかったのだった。

生体反応はある。

しかしそれは、あまりに脆弱で、微弱だった。


私はその赤ん坊を拾った。


数百年続いた戦争は既に終わっていた。

各地で稼働している「私達」も、あらかた役目を終え、体内の稼働電池が切れて動作を停止させるだろう。


そう、世界は浄化されたのだ。

既に。

何十年も前に浄化されているのだ。


されていたはずだった。



「お母さん!」


ステラがニコニコしながら近づいてくる。

大きくなった。

あの小さな赤ん坊が、こんなにしっかりと育つとは、人間とは不思議な生き物だ。


「これ見て!」


無邪気に彼女が差し出したのは、黄色に花びらを染めたルトビアの花を織って作られた、冠だった。


映像メディアで勉強させたことがあった。

他の人間のこと。

戦争が起こる前の世界のこと。


その真似事なのだろう。


「綺麗ね。花、すっかり黄色くなったね」


私はそう返した。

ステラは微笑みながら近づいてきて、もう椅子から立ち上がることもできなくなった私の頭に、その花の冠を被せた。


「お母さんにプレゼント!」

「……プレゼント?」

「黄色、好きなんでしょう? ずっと待ってたんだ。この花が全部黄色くなる時」

「うん……そうだね。黄色くなったんだね、全部」


私は微笑もうとして失敗した。


「ほら、お母さん……とっても綺麗だよ!」


鏡を持って、私と顔を並べてステラは笑った。

頭の中で、何か細い糸が切れるような音がする。

断続的に聞こえるその音に、私は漠然と「そろそろか」と思った。


鏡に映っていたのは、ボロボロになった私と、ルトビアの花のように美しく育ったステラの顔。


「ステラ」


私は、ノイズ混じりの声でそう呟いた。


お前は、私の娘じゃないんだよ。

私は、お前の親じゃないんだよ。

私は化け物で、お前は人間で。

私達は、決して相容れぬ存在で。


お前が生きているのは、私がバグっている所為であって。

私にはこの冠をもらう資格はないんだよ。


沢山言いたいことがあった。

ルトビアの花が黄色くなったということは、この周辺地域の大気中毒素が自然中和されたということ。


もう、ステラはこのシェルターを出ていける。

私の役目は終わったのだ。


ステラは黙って私を見ていた。

ああ、醜いだろう。

恐ろしいだろう。

お前も、もう分かっている筈だよ。


言いたいことが、沢山あった。


「愛してるよ」


しかし、私の口から出てきた言葉は、最後までエラーを起こしていた。

プツリと音がして、断続的に電力を供給していた電池からの動力が止まった。


視界が暗くなる。

ステラ、もうお前と過ごすことはできない。

こんな化け物なんて捨てて、浄化された世界に出るのよ。


「お母さん」


ステラは、もう動かない私の手を取って、それを自分の額につけた。


「私の……私のお母さん……」


涙声が、最期に聞こえた。

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