第34話 猫の話 2
入学後初の週末は有海(と両親)の強い希望で穂村家にお邪魔することになった。
相手から誘われたとはいえ手ぶらで訪ねる訳にもいかず、手土産を持って行く都合上、自転車ではなく電車と徒歩になった。
入学前に髪切り魔に襲われた有海を送り届けた事もあり、穂村家の場所は把握している。
約束の時間に少し余裕もあるため、紅はのんびりと歩き町を散策する。えらく落ち着いた高校生である。
穂村家の近くにある民家の塀の上に猫がいた。猫は門扉横の塀の上に伏せながらじっと紅を見ていた。紅も立ち止まりじっと猫を見る。
その時、どこからか小さい、とても小さい声が聞こえた。
⦅おね…い、…たす…て、あの子を……けて…⦆
紅は驚いて周りを見るが、誰の姿も見えない。
じっと耳を澄ます。
⦅お願い…妹を、助けて……あの、猫から……⦆
(猫?)
じっと目の前の猫を見る。しかし猫はただ黙って紅を見つめるだけだった。
目の前の猫から特に嫌な感じは受けない。眼鏡を外して改めて見てもただの猫にしか見えない。
暫く猫と見つめ合っていると、突然横から声をかけられる。
「おいクロ、何してんだ?無言で猫見つめてる男子高校生はヤバいぞ」
いつの間にか横に来ていた覚だった。猫に気を取られていて、覚がすぐそばに来ていたことに気づいていなかった。
「ああ、おはよう佐取くん」
「おっす。もう昼近いけどな」
そう言って覚はさらに近づきスルリと腕を組んでくる。
「ああ、タマじゃねえか」
「タマ?」
「そ。桃香んちの猫」
「前野さんの?」
「ここ。桃香んち」
「ああ、近所って言ってたね。タマかぁ」
(またえらくベタな名前だな)
「ベタだけど、逆に珍しいだろ?」
「……読んだ?」
「読んでねぇよ。顔に書いてあった」
「そうかなぁ。それよりさ、……なんで腕組んでんの?」
猫の事よりも気になっていたことを問い詰める。
「なんでって。やだなぁ。みんなの前であんなに情熱的に告ってきたくせに」
ニヤニヤと笑いながら紅を見る。
「あれは、」
その時、突然ドアが開きその家の住人が姿を現す。
「告ったってどういう事?」
桃香だった。
その声にビクッと驚く二人。
「……どうして腕組んでるの?」
ジロリと、いや、ギロリと組んでいる腕を見る桃香。その視線で腕を組んでいたことを思い出し飛び離れる二人。
今日有海の家に招待されたのは紅だけではない。いきなり知り合ったばかりの女子の家に一人で呼ぶことに気を遣ったのか、同じクラスになった幼馴染みたちも誘われていた。ご近所の幼馴染みたちが同じ時間に同じ場所に行くとなれば、同じような場所で出会うのは当然の事だった。また、桃香が桃香の家から出てくるのも当然の事だった。
「ち、違うんだ、こ、これには深い訳が……」
焦って言い訳をしようとする覚。変に焦らずに冗談だったと事実を素直に言えば終わる話だったのだが。
「へぇ、どんな訳?教えてもらえる?黒森くん?」
深い闇のような目で問いかける。
(なんで佐取くんが言い訳してるのに僕に聞くんだよ!)
完全なとばっちりに心の中で叫ぶが、声に出す雰囲気ではない。ましてや男子の話から逃げ出すために、覚が好みのタイプなどと言った事を言う訳にはいかない。色々な事が終わってしまうからだ。
「あ、いや、その、せ、せっかく同じクラスになったし、男同士、仲良くしたいね、なんて事を告白?したわけで……、ねぇ?」
何の言い訳にもなっていない言い訳をする紅。
「そう!お互い男友達いないし、仲良くしようぜ、なんて言ってて、ちょうどさっきそこで会ったから、軽くくっ付いてみただけで」
(おい!勝手に友達いない事にするなよ!)
(実際いねぇだろ!いいから話合わせろ!)
アイコンタクトで罵り合う二人。
「へぇ、さーくん仲良くなったら腕組むんだ。ふーん、そうなんだ。わたしとは組まないのにね。会ったばかりの男の子とは組むんだね。やっぱり男の子の方が好きなんだね」
春なのに冷たい視線で見つめる桃香。
「あ、いや、別にそういう訳じゃ……」
滝の様な汗を流す覚。
(これ完全に僕巻き添えじゃないか!)
その時タマが起き上がり、ぐーっと伸びをしながら、
「にゃ~」
と鳴く。
全員がその声に意識を向けた瞬間、これをチャンスとばかりに紅が提案する。
「あの、そろそろ時間なんで、前野さんも一緒に行こうか?」
その声にさすがにいつまでもこうしている訳にもいかないと思ったのか、桃香も了承する。
「……そうね、皆さんを待たせちゃいけないものね。行きましょうか」
何も解決していないが、とりあえずその場を逃げ出す事に成功したのだった。
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