第4話 髪切りの話 4


 突然の事態に一瞬で静まり返る教室。

 紅が教室に来て、有海たちと話している間にそこそこの時間が過ぎており、その間にほとんどのクラスメイトが登校してきていた。

 中学からの知り合いで集まっている者、知り合いがいなくて一人でいる者、とりあえず近くの席に話しかけている者など様々だが、そのほとんどの生徒の気持ちが一致していた。

(((ヤベエ)))と。

 そして、多くの生徒がお互いにちらちらと視線を交し合う。

(どうする?)

(どうしよう?)

(誰かなんか言えよ)


 有海たちも戸惑いながらこそこそと話し合う。

「なにアレ?」冷めた目で見る輪。

「占めるってどうゆうことかな?」よくわかっていない有海。

「ど、どうしよう?」どうすればいいのかわからない桃香。

「面白そうだからとりあえずやらせてみようぜ」

と、覚がとんでもないことを言い出す。

「だ、大丈夫かな……」


 そこで覚がスッと手を挙げる。

 クラス中の視線が覚に集まる。

 もちろんいつの間にか教室前方、教卓の前に立つ学ランの生徒も覚を見る。

「どうぞ」

「「「!!」」」

 クラス中が驚愕するが、賛成するにも反対するにも情報が乏しい。そこで各々が自分に被害が及ばないのであれば、まあいいか、と周りに合わせることにした。

 パチパチパチパチ

 よく分かっていない有海が手を叩く。

 それを見た覚がパチパチと手を叩く。

 さらにそれを見たクラスメイトたちが、お互いをチラチラと見合いながら少しずつ手を叩き始める。紅も桃香も戸惑いながらも手を叩く。やがてほとんどの者が学ランの生徒を見ながら拍手で賛同の意を表する。

 どうやらこのクラスには長いものには巻かれるタイプの生徒が多いようだ。大丈夫だろうか。


「お、おお?なんか思ったよりあっさり認められたのぅ。もっとこう、ひと悶着あるかと思ったんじゃが」

 どうやら言った本人も意外だったようだ。

「まあええ、すんなりいくのはええことじゃ。ワシは巌流院 剛毅がんりゅういん ごうき。この学校のてっぺんを取る男じゃ。」

 意気揚々と自己紹介をする剛毅。


「てっぺん、ってどうやってとるの?」

 有海が素朴な疑問を投げかける。

「おう、よう聞いてくれた。この学校の番長を倒して、わしが番長になる!」

「へぇ、番長になってなにするの?」

「?」

「?」

 お互いに首を傾げて見つめ合う有海と剛毅。周りのクラスメイトも有海と剛毅の様子を首を傾げながら見守る。 


 やがて数秒の間をおいて剛毅が答える。

「いや、ただ番長になりたいだけじゃが?」


「お前にはがっかりだよ」

 横から覚が心底残念そうに吐き捨てる。

「出オチかよ」

「時間の無駄だったな」

 クラスメイトたちもやれやれとばかりにそれぞれの会話に戻っていく。


「ま、待て!なんでじゃ、かっこいいやろが、番長。弱いもんを助けるおとこの中の漢。男なら誰だって番長になりたいと思うじゃろ?」

クラスメイトたちの反応に、どうやらさっきの返答はまずかったと察した剛毅が焦って言い訳を始めるが、もはや誰も聞こうとはしていなかった。


 その時チャイムがなり、それとほぼ同時に先ほど剛毅が入ってきた教室の入り口から一人の女性が入室する。

「よーし、席に就け。朝礼を始める。」

 それを見た生徒たちは急いで自分の席に戻る。


 女性はカツカツとヒールを鳴らしながら教卓の前に進み、そこに立つ剛毅に目を留める。

「どうした、早く席に就け。ん?ちょっと待て、なんだお前その恰好は?」

 当然、教師であろうその女性は剛毅の服装に気づき、上から下までじろじろと観察する。そして、はぁ、とため息をつきながら、

「いくらなんでもその恰好はないだろう。いつの時代だ?あとその下駄はなんだ?お前は上靴も知らんのか?」

 当然といえば当然の指摘を受けた剛毅は、まるでその質問を待ち受けていたかのようににやりと笑いながら、

「先生さんよ、安心してくれ。これは家から履いて来た下駄とは別の、校内用の上下駄うわげたじゃ」


 そう言われた女教師は能面のように表情を変えずに淡々と答える。

「そうか。では今日は裸足で過ごせ。明日からは上靴を持ってこい」

 自分の予想した答えと違う答えが返って来たことに焦る剛毅。

「いやいや、なんでじゃ。これはちゃんと校内用に新品の下駄を用意したんじゃ。問題なしじゃ」

 それを聞いた女教師は無言でカツカツと剛毅に近づき、右手で上を指差す。

「上?」

 そう言って剛毅が上を向いた瞬間、タイトスカートが太ももまでまくれ上がるのも構わず、ガスッ!とさらしの巻かれた剛毅の腹に前蹴りを叩きこむ。ヒールで。いきなりのコンプライアンスもへったくれもない暴力行為。ちなみに40デニールの黒いガーターストッキングを留めるホックは見えたが下着は見えない。(当然上を向いている剛毅からも見えない)


 2メートルほど吹き飛ばされ、ぐおお、とうめき声をあげてうずくまる剛毅。それを見た周りの生徒達も思わず自分の腹を押さえる。

「馬鹿かお前は?そんな硬い下駄で歩いたら廊下が傷つくだろうが。ちゃんと物事の理由を考えろ。あとカラカラうるさい。」

 カツカツ鳴る硬いヒールを履いた教師が説教をする。


「ほら、いつまでもそんな所にうずくまってると邪魔だ。さっさと席に就け。」

 起き上がる事ができないながらも、このまま此処にいてはさらなる攻撃を受ける可能性を危惧したのか、芋虫のごとくズリズリと這って行く剛毅。そして声をかけることもできず気の毒そうに見つめる生徒達。

(((先生、ガーター派なんだ)))


 そんな新学期初日としては微妙な空気の中、今のやりとりをなかった事にするかのごとく、気を取り直した女教師が黒板にカツカツとチョークで名前を書く。

「このクラスの担任の高槻 闇子たかつき やみこだ。1年間よろしく頼む。」

最初のやり取りでの第一印象があまりにもアレだったせいで、若干、少し、いや大分引いていた生徒たちだったが、改めて見ると、闇子は非常に整った容姿をしている。

 スレンダーな体型が多いクラスの女子たちよりは、若干ながら大人の女性特有の丸みを帯びているものの、スラリと細身のモデル体型。クールな表情。生徒達同様、非常に慎ましい上半身の持ち主でありながらも、大人の色気もあわせ持つ。さぞ男性にモテることだろう。


そのクールな美しさに何人かの男子生徒がはしゃぎだす。

「は~い、せんせーしつも~ん、結婚してますか~?」

「彼氏いますか~?」

 などと、にやけた顔で声を上げていく。

 何人かの女子たちが覚めた目で今発言した男子たちを見てチェックしていく。彼らはこの時点で、早くもクラスの女子たちから低評価されていることに気づいていない。

「いなかったらオレ立候補しちゃおうかな」

 さらに追い打ちをかけるように、お調子者の男子生徒が発言した時。

 ぐりん!と闇子が首を斜めに傾けながら、深い闇のような瞳でその男子生徒を見つめる。一瞬前まで明るかったクラスが突然闇に包まれる。春の陽気だった教室が、突然真冬の雪山に変わったように生徒たちは感じた。


「いないが?」

 黒板の前にいたはずの闇子は、いつの間にかその生徒の前に居た。

「ヒッ」

 息を吞む男子生徒。

「彼氏などいないが?結婚もしていないが?それが何かお前に関係があるのか?立候補?お前が結婚してくれるのか?私と?」

 まるで底の見えない深い穴の様な目で、メンチを切るヤンキーのようにゆっくりと男子生徒に顔を寄せていく。

 ガタガタと震え、ハァハァと浅い呼吸を繰り返す男子生徒。

 そのうなずく様にも見える動作を見た闇子は、三日月の様にニタリと笑い、

「そうか。そうかそうか。そうかそうかそうかそうか」

 さらに三日月が広がる。

「結婚式は洋式?和式?着物もいいが、やっぱりウエディングドレスは憧れるな。海のそばの教会なんていいな。新婚旅行は海外かな?でも私は国内でゆっくりというのも悪くないと思うんだ。豪華な宿で落ち着いて過ごすのもいいだろう?子供は二人は欲しいな。一人だと寂しいものな。やっぱり理想は女の子と男の子かな。いやいや元気な子を授かれるならどっちでもいいんだがな。あと犬も飼いたいな。子供たちが小さいうちは散歩が大変そうだから、少し大きくなってから、やっぱり大型犬がいいな。子供と優しい大型犬なんて、最高に癒されるじゃないか。なぁ、そう思うだろう?」

 男子生徒はガチガチと歯を鳴らしている。

「そうだ。まずはご両親にご挨拶だな。うむ、家庭訪問をしよう。早速今日といきたいが、私も予定があるし、ご両親の都合もあるだろう。なるべく早い方がいいな。土曜日に伺おう。ちゃんとお義父さまにも家にいてもらってくれよ?」

「ゆ、許して……」

 かすれた声でささやく男子生徒。

「許す?もちろん。お前の事ならなんでも許すさ私は。だって私たちは夫婦になるんだろう?そうだ、式場を予約しなくては。大丈夫、もう良さそうな式場は調べてある。口コミも良かったし、見学に行ったら雰囲気も良かったんだ」

 なぜ見に行った。

 そう言って携帯端末を取り出す。

「流石に学生の間は難しいか。生徒と教師が結婚は問題があるしな。教育委員会とかモンスターペアレンツとかも五月蠅いし。なんなんだよあいつら。高校は保育園じゃねえんだよ。文句があるなら自分で躾しろよ。ああ、高卒だからって心配するな、私も仕事は続けるさ。子供が小さいうちは産休は取るが、いくらかは蓄えもある。よし、卒業式が終わったらすぐに結婚しよう。ええっと再来年のカレンダー、カレンダーっと。ここが卒業式だから……。おおっ。ちょうど卒業式の次の日が大安だ。よし、ここを押さえよう。大丈夫。細かいコースとかは二人でじっくり話し合おう。楽しみだな?ダーリン♡」

 そう言って闇子は男子生徒に微笑んだ。

 なぜかさっきまで茶色かった男子生徒の髪が少し白くなっているような……。


 もはやドン引きという生易しいレベルではなかった。クラスの誰もが動くことができない。下手な事をして自分に矛先が向けば大変な事になる。特に男子生徒は誰も微動だにしなかった。いや、できなかった。先ほど発言していた他の男子生徒たちは荒い呼吸でひたすら机の上を見つめていた。


 だが、いつまでもこのままにしておく訳にはいかない。

 輪が恐る恐る手を挙げる。

「あ、あのー、先生。このおめでたい場で非常に恐縮なのですが、そろそろホームルームを始めて頂けると大変助かるのですが……」

 全生徒が心の中で彼女に喝采を送る。

「ん?おお、そうだな。悪い悪い。個人的な事で時間を使ってすまん。今後についてはあとでゆっくり話し合おう。そう、ゆっくりとな」

 白髪の男子生徒を見てから、黒板の前に戻る闇子。そして黒板消しを持ち、黒板に書いてある自分の名前の苗字を消す。

 なぜ名前の方は消さないのかと生徒達が疑問に思っていると、チョークを持ちカツカツと文字を書く。そう、先程の生徒の苗字を。

 そしてそれをニヤニヤと見ながら、

「うん、悪くない」

 そうつぶやいた。

「ヒッ!」



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