第3話 俺、教育します。

 見渡す限りの草原だった。向こうから速度を持った影が走ってくる。風がそよいでいる。影は跳び上がる。


「フリスビー!!」


 影は獣耳族の姉だったのだ。口にフリスビーを咥えて草原を駆けていく。ハドリアヌスは触腕で彼女の腹を撫でている。


「ヨシヨシヨシヨシ……」


 獣耳族の姉は嬉しそうにしている。


「お姉ちゃん……」


 冷ややかな視線を向ける獣耳族の妹だった。その視線に気がついて獣耳族の姉は誤魔化した。


「こ、これは習性! 習性なの!」

「そうなの?」

「大人になったら分かるわ」


 そんな大人にはなりたくないと思う獣耳族の妹だった。ハドリアヌスと旅を続けて十日が経つ。獣耳族の姉はローナ、妹はレメンナという名であることを彼らは打ち明け合った。三人にあったわだかまりは解けていない。それが何なのかをハドリアヌスは知らない。ハドリアヌスはおしゃべりな方ではない。そのこともあってか、三人のあいだで微妙で適度な距離感が生まれていた。

 さらに十日ほど歩き続けた。迷わぬ意志を称える指輪の効果がよく働いている。マインドコントロールに近い意志の統率が彼らのあいだにあった。

 山道を越えていく。ときどき道は途絶えている。その道をハドリアヌスの働きで道にした。小さな石ころが邪魔ならば、ローナたちが片付けた。

 ユーガニックの領土をまえに関所を通過した。衛兵が守る関所で、ハドリアヌスが悪魔の化身だと思われて三日ほど足止めをくらった。ハドリアヌスが能力を披露し、食べ物を分け与えて、賄賂にした。こういうときに食べ物に困らなくなったのは佐伯のおかげだろう。ユーガニックの城壁が見えてきた。壁の内側の町は閑散としていた。流石に賑わっているとは考えにくかった。弱体化したクランが治める土地なのだから仕方が無い。

 おそらく慢性的な資金不足なのだろうな……。

 ハドリアヌスは戦争ゲームを思い出している。戦争が出来る勢力とは金の力がある勢力だ。金が力を呼び込み、金で武器が買えるのだ。

 人・物・金が揃った国は強い。あらゆる国がまず航路を築いた。その航路が物を運んでくる。物は金を生む。金は人を呼び込む。そうして国は強く、豊かになっていくものだ。だがこの、どのクランが支配するかもわからない土地には活気がない。商売がない。人の瞳に力がない。


「ローナ、俺たちはこれから王家の城に向かおう」

「ええ。書状を渡せば、旅は終わる。私たちは同盟を築ける」


 ローナの言葉に嘘はない。しかしそれが正しいことではない。書状を持って城へと入った。

 ユーガニックの城の王のまえで書状を読み上げた。おそらくこのクランの長が彼なのだ。威厳のある声が語る。


「同盟を結ぶことに問題はない。歓迎しよう」


 王との謁見を終えると、宿屋で、少し休んだ。あっという間に夜中になっていた。黒豚屋という食堂兼酒場で簡単な食事を済ませた。食堂には旅人たちが数人いるだけで町の者は見当たらない。暗い夜だ。

 ハドリアヌス本体が鞠のなかからぬるりと出てきた。月光の明かりのもとに、暗い街並みが見えた。


「ありがとう、ハドリアヌス。ここまでついてきてくれて」

 

 レメンナがそう言った。


「ねぇ、お姉ちゃん? お姉ちゃん……?」

「ハドリアヌスさん。あなたはBLTを討った。それがこの結果なの。私たちのクランが弱体化したのは全部、強力なカリスマ的存在の彼がいなくなったから! 私はあなたを許せないの!」


 ナイフを突き立てられる。ハドリアヌスはにゅるりと避ける。


「そうだよな、知っていたよ。BLTの名を出したときのお前達の反応を見逃していたわけではないさ」

「だったら、何で! 罪滅ぼしのつもりだったの? 私たちの気持ちも知らないで! ふざけないで」

「違う。俺はもうゲームから降りたんだ。仲間とか愛とかどうでもいい。ただこの頭脳を使ってちょっとだけ世界に関わりたかったんだ……」

 

 レメンナがつぶやく。


「関わり?」

「そうだ。世界は残酷だ。このアップリフト・オンラインは希望がない世界だ。この世界で、アジテーションをするように動けることもあるだろう。でも、それは人を翻弄させるだけだ。ペテン師のやることだ。俺は変えたかった。世界に関わることが俺にとってさらなる進化をもたらす直感がある」


 ローナがまっすぐにハドリアヌスを睨んだ。


「あなたはイカです。お人好しのバカ。それであなたは敵だって……!」

「ああ。ただの動物で、それはお前達と、さほど変わらない」

「どうして、どうしてこんなに胸が切なくなってくるの? 涙がおさまらない。あなたを死ぬほど憎んでる」

「それでもいいさ……」


 レメンナはローナを抱きしめた。ハドリアヌスは殺されずに済んだ。


 東の空から燃えるような日が昇ってくる。濡れたようなシーツの色合いが、安全な場所の安堵感と重なる。もう誰にも襲われない。固い地面で横にならなくていい。心にあった鋭い気持ちを溶かしてしまっていい。目が覚めるとイカの足が四方八方に伸びている。寝相が悪いひとだ。


 顔をばしゃばしゃ洗うと、身支度を整えた。ローナとハドリアヌスは町へ出た。


 ハドリアヌスは語り出した。


「強い国家はたしかに同盟を結ぶものだ。しかしそれは強い国家同士がするから意味がある」

「私たちのクランでは意味がないと言うの?」

「そうだ。この国は弱いのも影響している」

「はっきりと言うね」

「ああ。町を見ていればわかる。あと二年持たないだろう」

「二年?」

「そうだ。高地にあることだけがこの土地の利だ。それ以外は戦争が出来る国が準備を進めれば一年半で陥落する。同盟を結んだオオカミのクランにはおそらく未来がない」

「戦争の準備をしないと……!」

「無理だ」

「え?」

「戦争には金がいる。この国には金がない。武器を買う金もない。兵を教育する人材もいない。ないない尽くしだ」

「私たちに未来がない、と?」

「そうだ。たとえばローナ。ここにある石ころを高く売るにはどうすればいいと思う?」


 ハドリアヌスは何の変哲もない石ころをローナに見せた。


「石ころを高く売れるわけないじゃない!」

 

 ローナは笑った。


「これは宿題だ。この石ころを明日までに高く売ってみせるんだ。それがこの国の将来を決める」


 彼女は考え出した。石は宝石でもない。だから宝石商には売れない。漬け物石にすらならない。投げて武器にするか? それも高くは売れない。高く売る方法? ほんとうにどうすればいいのか? この石が国の将来を決めるのか……真剣に考えないと。


 石を十時間くらい眺めた。時間の無駄かもしれない。日が暮れてきた。夕焼けの見える城壁のうえにローナは立っていた。もしこの石が金を生むなら、わたしたちのクランは再生できるのか? 石を置いて、投げるふりをする。

 石が金を生むなんてありえない。

 金を生むのは常に言葉だ。

 ローナは古い魔法を石に書き込んだ。

 

 ハドリアヌスのまえでローナは石を見せた。


「これよ」

「ほほぅ」

「この石は何でも夢を叶える石よ。人の言葉を蓄えて、それを実現する機会を生むように、働きかける」

「お守りというわけか」

「神の言葉はみんな欲しい。でもそんなのじゃダメ! 言葉は信念を生むし、習慣が人生を作るもの」

「面白いね。言葉への洞察が素晴らしいよ。石を高く売るために付加価値をつける。いいぞ! 商売をまず始めてみるといい」


 そうして少し先の未来、高地の都市ユーガニックが商業都市になったのは、別の話だ。

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