再出陣

「そんなバカな! どうして止めなかった!?」


 教会の裏庭に響くアシュリンの叫び声。


「す、すみまふぇん……!」


 鼻を摘まんだまま、反射的に思わず数歩後退るアリッサム。涙目の理由は、怒鳴られたからだけではなさそうだ。


 あれから目印を頼りに走った三人は、鉄柵の出入口まですぐたどり着けた。全身に染みついた悪臭と疲労感をぬぐうために大浴場へ行こうと着替えを取りに馬車へ戻ったところ、留守番をしていたアリッサムから、病院を抜け出したレベッカも下水道へ向かったと報告を受けた。

 それがアシュリンの逆鱗に触れてしまい、止めなかったアリッサムを叱りつけたのだ。


「あんな魔物の巣窟に、レベッカさんひとりで……」


 ドロシーは足もとを見つめたまま、腰にある短剣の柄を無意識に握っていた。ふたたび下水道へ行くつもりのようで、それを察したアシュリンは「待て」と強い口調で思いとどまらせようとする。


「装備を改めて整えよう。おい、アリッサム!」

「ふぁ、ふぁい! ただひまお持ちいたひまふ!」



     *



 幌馬車の外へ運ばれた武器は、店を開けそうなほどの量だった。

 あの狭い空間のどこにこれだけ隠し持っていたのやら……ドロシーは考えるのを途中でやめて、両膝を抱きしめるような姿勢でしゃがみ込む。すぐ近くには、ひとりで何往復もして重たい武器を運び終えたアリッサムが倒れていた。

 目の前に積み上げられた多種多様な剣、槍、弓矢に鞭と斧──ふと、ドロシーはあることに気づく。


「あのう団長、武器はたくさんありますけど、盾とかの防具類は?」


 細く括れた腰に両手をあてて長考していたアシュリンを見上げるドロシー。自分の無防備な股間にそそがれたアリッサムの熱視線には、気づいていないようだ。


「ふむ。それはだな──」


 アシュリンは、姿勢を崩さずにその理由を静かな口調で語りはじめる。


「騎士団とはいえ、わたしやおまえたちは……まあ、レベッカは別として、元々なんの訓練もしていない非力な淑女レディだ。そんなわたしたちが、何キロもある重い甲冑を身につけて走りまわれると思うか?」

「いえ、あの……それはわかりますけど」


「だったら騎士なんて辞めちまえ」と喉まで出かかるが、もちろんそれを飲み込む。口にすれば鉄拳制裁だけでは済まされまい。


「そこで、だ。〝攻撃は最大の防御〟とも言うだろ? だからわたしは、武器に金をかけることにした」


 そう言いながらアシュリンは、腰に携えている銀細工の華麗な装飾のあしらわれた鞘からレイピアを抜き取る。


「これは、疾風のレイピア。一度の攻撃のあいだに二回斬りつけられる。さらに風神の加護を授かっていて、秘められた技が──ハッ!」


 瞬時にファントの構えになった剣先から強い風が巻き起こり、風圧の塊となって十数メートル先でメロンパンを噛じろうとしていた買い物帰りの神父の顔面に直撃した。


「あっ!」

「安心しろドロシー。この〝真空斬り〟の射程距離は1十メートルが限界。これだけ離れていては、かすり傷どころか微風に包まれた程度の威力しかない」

「いえ、あの……今の一撃でびっくりした神父さまがすっ転んで、後頭部を強打して失神していますけど……」

「………………と、いうわけだ!」


 ずっと黙って一部始終を笑顔で見守っていたハルに向き直り、アシュリンは説明を終えた。

 とにかく、より強力な武器を装備してレベッカのもとへ急がねばならない。

 ドロシーが選んだのは、先ほどハダカネズミを倒した実績のある短剣・爆裂のダガーと、見た目からして強そうな炎の弓矢。これなら暗闇でも有利に戦えそうだし、キモい魔物に近づかなくてすむはずだ。


「うーん……そうねえ……じゃあ、これにしてみようかしら?」


 迷いに迷ってハルが手にした武器は、戦斧のように武骨で超特大なフォルムのハンマーだった。


「ほほう。怒りの鉄鎚を選ぶとは……さすがハルだな。そいつは、かなりの低い確率ではあるものの、巨人すら打ちのめす一撃を放つことができるらしいぞ」

「あら! そんなに攻撃力が高いなら、どんな魔物でもやっつけられそうですね」

「でも、ハルさん……それって、めっちゃ重たそうですけど」

「ええ、めっちゃ重いけど、とっても強そうに見えないかしら?」


 巨大なハンマーを両手でなんとか胸の高さまで持ち上げてみせるハル。笑顔と二の腕がプルプルと小刻みに震えていた。


外見そとみが通用するのは、人間が相手の時だけのような気もしますけどねぇ」

「おまえたち、武器は決まったか?」

「はい、一応。姫さ……じゃなくて、えーっと、アシュリン団長はどんな武器になさいましたか?」

「ん? わたしはだな……とっておきのコイツだ」


 豪華絢爛な黄金の装飾が施された立派な鞘から抜かれたのは、鏡のように顔が映る美しい刀身の剣だった。


 聖剣クラウザーソード──それは、初代マグヌス王が女神デア=リディアより授かったと伝わる王家の至宝。すべての属性魔法と炎や吹雪を跳ね返し、ドラゴンの首すら一撃で斬り落とすその威力から〝竜殺しの剣ドラゴン・スレイヤー〟の異名も持つ。


 アシュリンから誇らしげにそう説明を受けたドロシーは、なんだかとても嫌な予感がしてならない。


「あの……団長、ちょっとお聞きしていいですか? どうしてその王家の宝物がここに?」

「うむ。冒険の旅には必要不可欠と思ってな、父上には内緒で、こっそり持ってきていたんだ」

「ええっ!? そ、そう……ですか……」


 なんとも言えない複雑な心境になったドロシーは苦笑いをうかべると、矢の本数を確認して現実逃避をすることにした。

 深紅の矢筒に入っていたのは、同じ赤色をした細い矢が十二本。多いのか少ないのか、正直わからなかった。


「よし、みんなも準備が終わったようだな。アリッサム、すまないが帰りの時間はわからないから、今夜は外食にするとしよう」

「ふぁい、承知ひょうひひまひた」


 無礼極まりないとわかった上で、アリッサムは鼻を摘まんだままあるじに返事をする。城内でこのような態度をとれば、おそらく彼女の命はないだろう。

 不意に吹いたそよ風に目を細めたアシュリンは、風上を見る。

 澄み渡る青空に白い鳩が五羽、どこかへと飛び去っていくところだった。


「アリッサム……用事を頼まれてほしい」

「ふぁい、なんなりと」

「城へ帰って、下水道の魔物と〈異形の民〉の子孫がそれに関わっていることを王国騎士団に知らせてくれないか」

「お城……れふか。わかりふぁひは」


 内心、もう城へは戻りたくなかったアリッサムではあったが、主人の命令には逆らえない。もう片方の手が、そんな気持ちに反応してピナフォアの裾を掴んでいた。

 アシュリンは気落ちしたような表情の使用人に「ありがとう」と優しく微笑みかけてから、大地に向けていたクラウザーソードの剣先を天高く掲げてこう叫ぶ。


「〈天使の牙〉出陣!」


 やがて、風にのった白い羽が、騎士団の足跡へふわりと優雅に舞い降りた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る