泣かないで

 大通りを爆走して逃げのびたレベッカは、右肩に担いでいたドロシーから「ハルさんが怪しい連中に捕まっています!」との報告を受けて慌ててすぐに引き返し、裏道を通って黒衣の集団がいた場所の近くまで戻ってきていた。

 辺りを見まわせば、同じ歩調で先へと進む人影の群れを発見できた。


「なんとか間に合ったな。あいつら……いったい何者だよ?」


 路地裏の建物の陰から身を潜め、レベッカは様子を静かにうかがう。相手の服装からして、悪魔を崇拝する邪教徒の線が濃厚ではあるが、王都にそのような者たちが活動しているといった噂話に聞き覚えはなかった。


「あいつらの正体はわかりませんけど、そのまえに早く降ろしてくれませんか? お尻がめっちゃスースーして寒いんですけど」


 肩の上で拘束されているドロシーのプリーツスカートはめくれ上がり、逃走劇のあいだずっと下着がほぼ全開のかたちで露出していた。

 レベッカは、なにも言わず無言のまま、担いでいた後輩を素直に解放する。無事に着地したドロシーは、両手でお尻を気にしながら先輩のうしろに並び立つ。

 十数メートル先では、黒衣の集団が廃墟のような古びた倉庫へと次々に入っていく。磔にされたハルのおでこが出入り口の上枠にぶつかるも、黒衣の集団はいっさい気にせず進み、最後尾の人物が周囲を見渡してから大きな両開きの扉を勢いよく閉めた。


「うわっ……どうしよう……なんだか嫌な予感が満載なんですけど……」

「ああ。絶対にヤバい展開だな」

「ですよね……憲兵を呼んだほうがいいかもです」

「よし、あたしが先に行くから、ドロッチはここで待機だ」


 遠くの扉を見据えたまま、レベッカは背中の鞘に納められたブロードソードにそっと右手で触れる。

 するとドロシーは、その手を両手でとっさに掴んだ。


「ちょっと待ってくださいよ、レベッカさん! やっぱり、憲兵に頼みましょうよ! 相手の人数が多過ぎますって!」

「はぁ? 騎士団が憲兵に助けを乞えと? 正気かよ、おまえ?」

「もちろん正気です! だって、わたしたちはしょせん〝ごっこ遊び〟の騎士もどきですよ!?」


 言ってからすぐに、ドロシーはレベッカの顔から視線を逸らす。それは、思っていても決して口にしてはいけない言葉だった。


「ふーん……ドロッチは、そう思ってるんだ」


 気まずい空気とレベッカの眼差しが辛い。

 ドロシーは鼻を小さく鳴らし、顔を伏せて泣きはじめる。

 そもそも、自分は行儀見習いでこの国へやって来たのに、どうしてこんな危ない橋を渡らなければならないのだろうか? このときドロシーは、シャーロット王女の気まぐれに巻き込まれた自身の運命を強く呪っていた。

 辺りは静かだった。

 静かだからこそ、すすり泣く音だけが、ふたりのあいだで響いていた。

 お互いに言葉を詰まらせていたが、しばしの沈黙を破ったのは、レベッカだった。


「泣かないでおくれよ、素敵なお嬢さん。キミに涙は似合わないぜ」


 レベッカは泣き顔をのぞき込みながらキザなセリフを言うと、ドロシーの顎を指でくいっと摘み上げる。


「えっ……」

「いつものように、オレにまぶしい笑顔を見せておくれよ」


 そしてレベッカは、涙が伝う林檎色の頬っぺたに小鳥がついばむような短い接吻キッスをした。


「きゃっ?! ちょ……ちょっと、レベッカさん!」

「あははははは!」


 さらにウインクまでしてみせたレベッカは、その場で大きく背伸びをする。


「う~っ…………あたしってさ、元気のないヤツを見てると、自分までへこんじゃうんだよね。なんかこう……うまく言えないんだけどさ、〝しっかりしろよ!〟って、大声で叱りつけたくなるつーか」

「……クスン……すみません」

「いや、そこで謝られてもさ……う~ん……あーッ、もう! やっぱ、うまく言葉にできねーわ!」


 そう言いながらレベッカは、ブルネットのショートヘアを掻き上げる。

 ようするに彼女は、すすり泣いて落ち込むドロシーを励ましたいだけなのだが、不器用な性格のおかげで素直になれず、それを言葉にして伝えられずにいた。

 それでも、その真意をなんとなくドロシーは理解ができた。


「ありがとうございます。レベッカさんって、冷たいようで意外と優しいんですね。なんか、見直しましたよ」

「あー……うん、まあ、アレだよ……おまえは笑ってるほうが場の空気が和むんだよ。だからさ、そーゆーキャラでずっといろよな」

「そういうキャラって……うふふ、了解です」


 ようやく泣き止んで笑顔をみせたドロシーを見て、レベッカも安心したのか、微笑みをみせた。


「ドロッチは憲兵を呼んでこい。あたしはハルさんが心配だから、ひとりでも乗り込む」


 そう言い残し、レベッカは古びた倉庫の裏側へと走り去っていった。

 大声で名前を叫びそうになったドロシーではあったが、慌てて口を手で塞ぐ。いま自分たちの存在がバレてしまえば、今度はレベッカに危険が及んでしまうだろう。どうしてもそれはけたい。


(レベッカさん……きっと、大丈夫だよね?)


 指先で涙を拭き、深呼吸をひとつしたドロシーは、大通りをめざして走りだした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る