木村とノービス
場所は中枢とも呼べる草原から離れて、木々の生えるエリアが選ばれた。
万が一にもロスダンに被害が及ばないようにするためだ。
円筒形状のそれはこの迷宮の最中地点とでもよべる場所であり、補修には莫大な迷宮ポイントを必要とする。
これがあるからこそ、ロスダンや花別は気軽に迷宮内の時間加速を行えた。
「おー、いい感じかな」
「普通に森だな」
「ケイユ、近づきたくないのですが」
「ええやん、今は人やろ?」
「割ともうトラウマなんですよ、ケイユが全力で走れない環境とか……!」
またこれは、「新たに発生したエリア」を視察する意味合いもあった。
饕餮ダンジョンの一部を破砕し、簡易的にもこれを支配したことで、ロスダンの迷宮も拡大された。
元からの廃墟都市エリアや草原エリアも拡大したが、それ以上に新エリアが加わったことが、元からいた面々にとっては大きかった。
特に花別からすれば、その変化は歓迎すべきものだった。
ロスダンがいる位置まで、防衛できるだけの距離が拡大した。
また、それ以上に、新鮮だった。
迷宮内部はもう完全に知り尽くしていた。
見知らぬ場所は、未知の楽しみとなる。
木々が暗く繁茂する、怪しい様子ですら好ましい。
「ひょっとしたらここ、果実とかも生えるかもなぁ」
「りんごも、りんごも……っ!?」
「主ちゃん、リンゴ好きか?」
「んっ!」
「じゃあ植えよなー?」
「絶対に、絶対にだ」
ロスダンは据わった目だった。
絶対に食ってやる、アップルパイに丸ごとかじりついてやるという執念が伺えた。
「あんな感情豊かなロスダン、初めて見るかもな」
「食い物が関わったら割りとなりますよ」
「やべえ、納得しかねえ」
「今はいいですが、食料の備蓄がなくなったらひどいことになるので覚悟したほうがいいですよ」
「クソ不吉なこと言うなよ」
「ふふふ……」
「意味深に笑ってんじゃねえ、なにだ? なにが起きるんだ!?」
「そのときになればわかりますが?」
恐れおののく中学生背丈と、意味深に欠けた前歯を見せつけミステリアスに笑う大学生背丈を横に、木村はしゃがみ込み、土の様子を確かめた。
「これは、いいですね……」
いままでの迷宮には無かったほど、豊かな土壌だった。
木々の繁茂はもちろん、田畑としても活用できる。
相応の手間暇を必要とするが、かつてあった農耕作業をここでなら行える。
「……」
だが、未だに木村は悩んでいた。
本人にすら上手く言葉にできない懊悩だった。
このまま迷宮配下となるのか。
それは、モンスターとして、復讐を遂げるものとしての歳月を送った末に、唐突に「じゃあ今からノービスに戻って」と言われたような困惑だった。
そんなことをして、本当にいいのか?
「よし、戦うぞ」
だが、そんなことは知らないとばかりに鬼妖精は言う。
「鬼はもうスキルの方は決めたんですか」
「ああ、《硬化》だ。前線に立つにしては俺は色々不足しすぎてるからな、それを少しでも補うための選択だ」
「へえ、なるほど……ん?」
「どうした」
「いまロスダン経由で確かめましたが、スキル名、ちょっと違くないですか?」
「は? 何いってんだよ、俺はちゃんと選んだぞ」
「鬼、頭を殴られすぎて、そんなことすらわからなく……」
「んなわけねえだろ! 俺は――」
選択したのは、間違いなく《硬化》のはずだった。
一定時間だけ身体の一部を硬化させて、防御力を上げるスキルだ。
オーガであったときも似たようなスキルはあった。その使い方は知っている。
重くなるのであまり多用はできないだろうが、これは防御だけではなく攻撃としても有用だ。
手足を硬くして攻撃すれば、いままでとは比にならない威力となる。
《蹴脚術》にも活用できるスキル選択だと自画自賛していたが……
「……なんだ、この《瞬硬》って……?」
「ケイユが知るはずないじゃないですか、選んだのって鬼ですよね」
「だから、俺は、《硬化》を選んだんだよ! は? え? これ、言葉どおり瞬間的に硬化するだけ、ってスキルか? どうして?」
「あー……」
「おい、なに納得してやがる、肩すくめてんじゃねえぞ!」
「だって、ねえ?」
同情半分の生ぬるい目でケイユは続けた。
「《硬化》のスキルが鬼と合わなすぎて、勝手に変化したパターンですね、これ」
「は……?」
「たまにあるんですよ、『スキルが人に合わせて変化する』ってことが」
それは聞いていた話ではあった。
スキルは、人によって異なるものとなる。
迷宮によって、あるいは種族や素質によってズレが生じる。
「……つまり、あれか?」
「なんです?」
鬼妖精はすでに知っている情報を思い返しながら、出来事を推測した。
「……本来なら、スキルってのは勝手に生えてくるもんだ」
「ええ」
「だが、これはロスダンの規模アップに合わせて選べるボーナスだった。だから、「俺が選んだ段階」で、ようやくそういう変化が起きた、ってことか……?」
「まあ、そうでしょうねぇ」
「嘘だろ」
鬼は己の手を確かめた。
短時間ながらひどく傷ついた己の右手だ。そこに――
「《瞬硬》……」
恐る恐る、スキルを試してみた。
何も起きなかった。
「は?」
いや、より正確にいえば、見た目としての変化が起きていなかった。
純粋に硬度だけが変化した。
僅かではあるが、拳が重くなったのは体感した。
しかし――
――なんか、期待したもんじゃねえ感じが……
鬼が想像していたのは、手足が石のように頑丈になるスキルだ。
硬く、重く、一撃で敵を粉砕できる手段を、あるいは敵の必殺を防ぎ切る頑丈を求めた。
だが、いま体感したのは「小鳥が拳に乗ったかな?」という程度の重量変化だった。
《瞬走》のときのようなひどい疲労感もない。
重さとしても消費としても「軽い」スキルだった。
「……」
今度は、己の額に拳を当てた。
冷や汗が額から流れる。
直感よ外れてくれと願いながら――
「《瞬硬》」
ふたたびスキルを発動させた。
ほんの一瞬、ごく刹那の合間、「ちょっとだけ表皮が硬くなった」のが、わかった。
「使えねえ……ッ!」
あまりにもささやかすぎる違いだった。
ケイユは腹を抱えて指差し笑った。
「……決闘はまたの機会にいたしますか?」
「うるせえ、やるぞ!」
木村の言葉に、鬼はキレ気味に言った。
+ + +
ようやくのように向かい合う。
木村はすでに、八本足の獣の体型となっている。
手にしている武器は赤剣だ。
鬼妖精から見上げるほどの巨体と比較しても遜色のない長剣だった。
対する鬼妖精は、左腕にガントレット、右腕にねじれたポールウェポンのような棒を持っている。
村長に内側から生やされたそれは、いまだに彼の言うことを聞いていた。
――ガントレットは防具として使えねえ。
内部に発生させた透明な腕は衝撃に脆い。
一撃で確実に弾け飛ぶ。
――この棒は、木だ。あの剣を防ぐことはできねえ。
出自として特殊ではあるが、素材そのものが変わったわけではない。
数多くのモンスターを屠ってきた剣を受け止められるものではない。
――で、敵は巨体だ。頑丈さもタフさも筋力も上、最高速度にも追いつけねえな。
木村が逃げ回りながら突進しつつ攻撃する、それだけで決着はつくだろう。
ステータスとして勝っている部分がほぼない。
――こっちの攻撃は効かねえし、向こうの攻撃は素通し、考えれば考えるほど絶望的じゃねえか。
だが、この戦いを止めるつもりはなかった。
それだけは認められない。
「なあ」
「なんですか」
木村は、未だに悩んでいる様子があった。
外での戦いのような気迫と殺意がない。
これが本来の木村であるのかもしれないが――
「俺は、ノービスが嫌いだ」
「……」
「もっと言えば、全ノービスなんざくたばれと思ってる」
ノービスという「人間のニセモノ」が入り込んでから起きた悲劇は数多い。
「お前らは、生まれてから死ぬまでずっとノービスなのか?」
「それは――」
「それともやっぱり、どっかのタイミングで人間をぶっ殺して入れ替わるモンスターだったりするのか?」
その点は、いまだにハッキリしなかった。
ノービス本人に聞いたところでわからない。
いつから己がノービスであったかを記憶していない。
その瞬間を、目撃したものは誰もいない。
だが、たしかに人間であるとスキル判定されたものが、その翌年にノービスであるとされた事例はあった。
それは「人間とされたものが成長するに従いノービスとなる」のか、「ノービスが上手くスキル判定をくぐり抜けた」のか、それとも「ノービスが人間を乗っ取った」のかは、いまだ明確になっていない。
「どっちにしても、テメエらはいるだけで害悪だ、俺らの間に不信をぶち込む、信じていた相手を信じられなくさせる」
「あなたは、ひょっとして」
「ああ、殺した」
当然のように言う。
「いつの間にか、俺の親友を乗っ取ったような奴らだ、ノービスなんざ見る端からぶっ殺したに決まってる」
親友がノービスだと発覚し、官憲につかまったときの表情を覚えている。
その絶望を、あるいは、すがるような表情を。
もとよりノービスであったのか、途中で入れ替わったのかはわからない。
だが、鬼は信じた。
己の友は人間であり、あれは乗っ取ったノービスであると。
友は、モンスターに襲われて、死んだのだ。
「なるほど」
木村は巨体を沈めた。
「あなたもあの町長と変わらないんですね」
「ああ、そうだ」
「同胞を意味もなく殺した、そんな怪物を私は許すことはできない」
「ダチを殺したモンスターを、いまさら俺が許せるわけがねえ」
遠慮は消し飛んでいた。
両者は殺意のままに、ただ駆けた。
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