ゴブリンと対戦相手

あるところにゴブリンがいた。

そのゴブリンは大して見るところのない、一般的なモンスターでしかなかった。

他よりも背が高く、ひょろ長かったが、その程度は誤差の範囲でしかない。


だがあるとき、端末を拾った。

それはロスダンがもう使わなくなったものを配下に与えたものであり、迷宮周回中の無聊を慰めるためのものだったが、うっかり落としてしまったものだ。


ゴブリンが手にしたとき、端末には充電が残っており、持ち上げた途端、ゲーム開始画面が写った。


表示されたものは、異様だった。

ゴブリンはデフォルメという表現を知らなかった。


これは、新種のモンスターに違いない。


倒してやると何度か叩いてみるが、攻撃を無視して画面は変わり、ついには横へと何かが流れた。

どうやら、動作に反応しているようだ。


しかし、殴っても倒せない、振っても変化しない。

すぐに飽きて、放り捨てようとして――


惜しくなった。

理由のわからないものではあるが、これほどまでに精緻に動くものだ。

ひょっとして、価値のあるものではないか?


漠然と、そのように考えた。


その後、色々と触るうちにゲームのチュートリアルへと行けたことは、間違いなく幸運だった。

基本的な遊び方をそこで学んだ。


どうやら、音とタイミングを合わせて叩くものらしい。

わかってしまえば単純だ。

ゴブリンにもわかる。


だが、ごく簡単なステージですらクリアするのに苦労した。

まったく思い通りに行かない。

どれほど繰り返してもズレが生じた。

己の指が、これほどまでに不器用であり、イメージに反するものだと初めて知った。


昼も夜もなく夢中になった。

太鼓の音が響き渡った。


そうした彼の行動は、当然のことながら周囲の反感を買った。

わけのわからない音を鳴らすおもちゃをずっと弄り回している。


年長者の言葉も上位者の言うことも聞かない愚か者。

その「おもちゃ」を破壊して目を覚ましてやらなければならない。


そう思い、懲らしめようとして、返り討ちにあった。

音に合わせて動く、それは僅かな時間であってもこのゴブリンの心底に染み付いた。

あるいは、もとより素養があったのかもしれない。


「音」に合わせて動く、それは、戦闘においても応用が効いた。

彼はそれまでのゴブリンにはなかった「リズム感」という武器を手に入れた。


それからは、彼にとってまさに「音」の日々だった。

どうにかこの響きに似たものを現実にも再現できないかと苦労した。


集落の長老に頭を下げ、子供の遊びに似たものは無いかを探して周り、周囲の物品を片っ端から殴って回った。


なぜなら、あのゲームが動かなくなったのだ。

餌を与えてみても、三日三晩の祈りを捧げてみても、なにも応えず暗闇ばかりを寄越した。


彼にとっての色鮮やかな日々は、どうあっても戻ってこない。

時折、思い出したように息を吹き返すこともあったが、ゲームまでは行き着かず、途中で途切れた。


その度に彼は泣いた。

繰り返される「死別」に胸が張り裂けそうだった。


音を、取り戻す――


その一心でたどり着いたのは、筒状のものに「よくわからない紙」を貼り付けるやり方だった。

それは、ときおりこの迷宮内に見つかるものだ。


見る人が見れば、それは段ボールであるとわかるが、それを分解し、食んで柔らかくして筒へと貼り付ければ、似た音を出すことができた。


タイコだ――


そうわかった。

間違いなくそうだった。


あれは、繰り返しそのような単語を言っていた。


そうして作成された太鼓は、ゴブリンに集団行動を可能にさせた。

鳴らされた音は叫び声よりも遠く行く。


特に専用につくられたものはニンゲンの可聴域を越えて届き、情報を伝えた。

それは、定期的に襲い来るものから逃れ、彼らを生存させた。


この発明は、逃走時はもちろん、敵を攻めるときにも同様に役立った。

音の合図で攻め、また引くことを可能にした。


音が、彼らを強くした。

音がゴブリンを「集団戦を可能とする生き物」に変えた。


ただのゴブリンから大きく逸脱した集団となり、その長ともなれば別種の域にまで到達させた。



 + + +



太鼓が鳴る。

太鼓が響く。


敵ゴブリンのバチは景気よく音を出す。

鬼に当たったときはもちろん、外れたときですら地面を鳴らした。


攻撃の連続は止まらず、音の熱狂も止まらない。

その最中、ろくに周囲の状況を聞き取ることもできず、鬼妖精はただ防戦一方で逃げ回る。


幾度か捉えられ、景気よく吹き飛ぶ。

浮いて軽減はしたが、骨にヒビが入る威力で打ち据えられる。


その度に周囲の熱狂は増した。

地面に血を吐く姿にさえ野次が飛ぶ。


『おお、割といいグルーヴ感ですねぇ』

『あー、生かしておいてもいいかな? 定期公演してほしい』

「ボコられてる俺の姿に思うところねえのかよ、この同僚やら上司ども!」


周囲の太鼓は熱狂混じりに勢いを増す。

攻撃もまた同様だった。


鬼妖精だけが、一人その高揚感から取り残された。


「しまっ――!?」


そして、ついには杖ですら中心から叩き折られた。

唯一の武器を失った。


長い手足をもつゴブリンは、しかし、振り抜いたたいせいのまま、牙を剥いて不満を示した。

距離を取って睨みつけ、体全体でリズムを取る。


その目は無作法ものを咎めるそれだった。


『鬼、せっかくのキメだったのに、そんな無様な音を出しては駄目じゃないですか』

『空気よめ?』

「敵しかいねえぞ、この迷宮!」


追撃すらなかった。

完全に同期していた攻撃と太鼓、そのリンクが途切れたからだった。

最後の最後でフルコンボでドンが失敗したのだ。


その怒りを底にしまい込んだまま、ゴブリンはふたたびバチを構える。


――音、音か……


鬼は思う。

敵ゴブリンはたしかに強い。

だが、少しばかり強すぎる。


攻撃は、後半になるに従って攻撃力が増した。

杖を盾にしなければ、最後の一撃は彼の肋骨を打ち砕いて終わったはずだ。


通常、木製武器はそこまでの破壊力は出ない。

どうしても攻撃力に上限がある。

別の法則が乗っていた。


ゴブリンは小刻みに身体を上下させる。

己と周りを鼓舞するかのように、バチ同士を打ち合わせる。


――周囲の音に合わせて、正確に「攻撃のリズム」を刻むことで破壊力を上げる?


そんな馬鹿な、と思うが、現状を見るにそうであるとしか思えなかった。

バチ同士を鳴らす音が、徐々に徐々に、だが確実に大きくなった。


柔らかな木を打ち付けていたそれが、まるで鋼鉄であるかのような響きを伴う。

硬く、強く、「叩き鳴らして」やると告げる。


『あ、すごい』

「なにがだ」

『そこに結界っぽいの、張られてる』

「結界?」

『うん、法則性の書き換えかな』

「……このモンスター、ゴブリンだよな?」

『音を介して種族単位で構築する結界ですか、いえ、これもうスキルとか魔術とかのレベルじゃないですか?』

『かも? うわあ、どうやってるんだろ……』

「すげえ興味深そうにしてるけど、観察のために戦い長引かせろとか言うなよ?」

『……だめ?』

「俺は、負けるのが好きじゃねえ」


このままではそうなること請け合いだ。

盛大な音は繰り返される。

その音の波の中では、相手の姿ですらおぼろげにしか捉えられない。


跳ね返る音があまりに乱雑で、位置をキレイに特定できない。


眼の前のゴブリン自身がバチ同士を打ち鳴らす音で、どうにかわかるくらいだ。

その行動は、敵にとっての不利であり、彼にとっての有利だ。

ゴブリンは敗北確率を自ら上げている。


だが、愚かと笑うことはできなかった。


リズムがその力の源となっていることもある。

また、彼が愚者火を叩き潰したときのこともあった。


その記憶を想起すれば、馬鹿になどできない。

周囲に広がるものを片端から壊して回る、その高揚感、その全能感、自らが動いているのではなく、全自動でそうなっているかのような錯覚。


あのときの喜びに似たものを、きっとこのゴブリンも感じている。


――ある意味、似てるかもな。


そんな感慨すら浮かぶ。

脆弱な種族が、どうにか実力を覆そうとあの手この手を使っている。


「――クハはは……ッ!」


なら、変わらない。

やるべきことは決まっている。

いつも通りだ。


そんな舐めた相手に、いつも自分はどうしていた?

真正面から叩き潰す、それだけだ。


折れた杖、その片方を強く握り、羽を全力で震わせた。



 + + +



ゴブリンからすれば、彼らは定期的に自分たちを絶滅させに来る悪魔であり、不倶戴天の襲撃者だった。

どれほど復讐しても許される。


このような彼らにとってのステージで、一方的に叩きのめすことも当然だ。

むしろ、神聖な祭壇に、相応しい贄を捧げているのだとすら思える。


その祭壇には、携帯端末が鎮座していた。

彼に、あるいはゴブリンという種族に、音を教えてくれたものだ。


これは神と呼ばれるものからの恩寵であるに違いない。

そう、自分たちは神に選ばれた種族だ。

太鼓を使い悪魔を叩きのめせと示されたのだ。


だから、その奇妙な妖精が彼と同じように「バチのようなもの」を片手に構えたときも、さしたる感慨などなかった。

厳選に厳選を重ねた彼のバチに比べ、折れた杖の片方を手にした姿の、なんと哀れなことか。


だが、その不遜そのものは許しがたい。

この神聖な場で、それを手にしていいのはゴブリンだけだ。


叩き潰さなければならない。


ドン――と音に押されるように進む。

ドン――と更に前へ。

カッカッ――ステップを踏み、一回転しながら次の音に合わせる。


敵の武器は半減した。

すでに死に体だ。

今度こそ、最後まで音律を刻み切る。

先ほどのような無様はもう晒さない。


全身全霊で敵を叩き潰そうとするその最中、不意に――映像が浮かんだ。

現実ではなく、記憶からの想起だ。

ゲームのスタート画面だった。

なぜか、と思うよりも先に、音が弾けた。


それは、敵を打ち据えたものではなく、「硬いもの同士」が打ち合わさった衝撃だった。

太鼓に合わせた衝突音が弾ける。


バチと敵の杖もどきが、かち合った。

完全に「そうするべきタイミング」で。


――ッ!


マグレだ。

偶然だ。

違う。

そんなわけがない。


次の音に合わせる。

まだ単調なリズムだ。


合わさる。

彼のバチと、敵の半端なバチが衝突した。


木と木を打ち合わせるそれは、徐々に硬度を増して行く。

馬鹿な、という思いをあざ笑うかのように、寸分の狂いもなく打ち合わされる。


周囲のゴブリンが太鼓に叩きつけるタイミングと、彼らの衝突はまったく同時に成された。


そのたびに力は増す。

硬度も増す。

まるで鉄同士を、鋼鉄同士を、あるいはチタン同士を、魔鉄同士を叩きつけたかのような、空間そのものを鳴らしたかのような衝撃が、巨大に響き渡る。


握る感覚は変わらない、だが、バチそのものの太さが増したかのようだった。

分厚く、巨大な、棍棒のようなものを叩きつけ合った。


こちらは両手、あちらは片手であるにもかかわらず、衝突は鳴らされ続ける。

秒間に二度、あるいは三度、さらに多くなったにも関わらず、正確に「太鼓に合わせた」リズムが鳴る。


「――」


一曲が終わり、ゴブリンと鬼妖精は弾かれるように距離を取り、互いに肩で息をし、呼吸を整えた。


ゴブリンは目を見開き、口は半開きになった。

向こうにいる妖精は、変わらない。


常に瞳を閉じた片手の姿。

背後の燃え盛る焚き火を撹拌させるように背中の羽を揺らし、半端なバチをこちらに向ける。


その額からは汗が流れ、口は同じく粗い呼吸を繰り返す。


「結界か、結界だよなァ」


敵が、喋る。

意味はおおよそでしか理解できない。


「その結界の中心にいる俺にも、恩恵はあるってわけだ」


脳裏に画面が浮かんだ。

わからず使っていたものだが、明確に焼きつけられたものでもあった。

その中でも、特に意味不明なものがある。


それは「対戦相手」という文字だった。


これは、一人で遊ぶものだ。

一人だけで音を楽しむものだ。

なにをどう対戦すると?


ぶるり、と震える。


幻のゲーム画面の、そこへと触れる。

まるで実際にそうしたかのように、画面に「対戦相手が見つかりました」と表示された。


その画面の向こうに、片手にバチを持った妖精がいた。

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