鬼妖精と浪費迷宮 〜あるいは元怪物が変態をぶっとばす話〜

そろまうれ

怪物とノービス

ファンタジーがやってきて、人類は四種類に分けられた。


一つは人類。

特殊能力はなにもなし。

ただし突如として変異する事例もある。


一つは怪物。

伝説上の怪物の姿へと不可逆の変化を果たし、それに準じた能力を得る。

その幅は広く、想像上のすべての幻想を網羅する。


一つは冒険者。

戦うほどに強くなり、レベルアップを繰り返す。

中でも効率がいいのは怪物の打倒だ。


もう一つは――



 + + +



男がぶん殴られた。

吹き飛んで壁へと背中を打ちつけられる。


すぐに襟首をつかまれ、持ち上げられた。

片手だけでの拘束だが、男がいくら暴れようともビクともしない。


「なあ、今、なんて言った?」

「がっ、あ、その――」

「まだ中間地点にもついてねえ。だってのに、なんて言った?」


殴りつけた者は縦にも横にも太く、その頭はハゲていた。

ハゲ頭の下にある口には、鋭い下牙が生えている。晒してる上半身の、腹はでっぷりと出ていた。


怪物だった。

その中でもオーガと呼ばれる種族だ。


「きゅ、休憩を、すべきです」

「……」

「こ、ここから先は、見通しの悪い洞窟型ダンジョンです。休める場所は、もうここしかありません。それに――」

「なあ」


非常に面倒くさそうに、オーガは男を更に壁へと押し付けた。

肺の空気が押し出される音がした。


その横には、黒々としたダンジョンが口を開いている。


「なにか勘違いしてないか、ノービスさんよ」


ノービス――未変異に対する、ある意味では蔑称を言いながら、オーガは優しく笑った。


「お前たちの仕事は、雑用だ。俺の補佐だ。荷物を運んで、慰みものになって、場合によっちゃ俺の代わりに死ぬのが役目だ。どうして、俺が、お前らに合わせなきゃいけねえんだ?」

「ぐ――」

「俺という戦力を、ダンジョン奥の集合地点まで連れて行く、お前らはそのための捨て駒だ。駒がニンゲンに意見してんじゃねえよ」


ため息をつき、その首を引き千切ろうとして――オーガは違和感を覚えた。

わずかな抵抗感が、手のひらにあった。


ノービス、未変異の雑魚だ。

そのはずだ。


よくよく近づき、その顔を確かめた。

男は苦しげに睨み返していた。

その目の奥に、異様な光のようなものがあった。


「ふん――」


手を開くと落下し、男は幾度も咳を繰り返した。

不格好で情けない姿だった。


だが――


――コイツ、本当にノービスか?


その疑念があった。


――クソ、紹介屋のクズめ。


「行くぞ、もう十分な休憩になったはずだ、なあ?」


大きな荷物を背負う数人に声をかけた。

媚びへつらった笑いで、彼らは一斉に頷いた。


中には荷物を持たない者もいる。

それらは例外なく眉目秀麗な美女だった。


やはり笑っているが、その顔はどうしようもなく暗い。


「今日中にはつくぞ、休みたいなら休ませてやる」


その「休み」は永続するのだと、誰もが理解した。



 + + +



ファンタジーが世界に入り込んでから、すべてが変わった。

現代とは、人類が人類であることを前提とする社会だった。


刃物や銃はもちろん、ミサイルや核兵器ですらも通用しない『人類』など、想定されていなかった。


集団による戦力を、個人の暴力が凌駕した。

どれだけ重火器を揃えても意味がない。


工業力や人口、科学技術は強さの根拠ではなくなった。


南では多頭龍が議会を焼き払い、卵を育てるための巣とした。


西では超人を自称する者たちが国境線の引き直しを宣言した。


北では変異人類に対する徹底的な弾圧と虐殺が行われた。


東では――なにも変わらなかった。比較的変化は少なく、バランスが保たれた。

だがそれは、元通りというわけではない。


怪物化した人類はもちろん、直接的な脅威としてダンジョンがあった。

そこでは『人類』とは異なる、モンスターが闊歩した。


「まったく、忌々しいぜ」


巨大な棍棒――調和組織制御法による硬度と靭性を両立させたチタン製金属棒を担ぎながら、オーガは嘆息した。

その前には、頭部を破壊された別のオーガがいる。


「この程度のもんが、俺と同じ扱いか? ふざけてやがる」


ダンジョン産の異形は、人類種と区別するためモンスターと呼ばれる。

姿や形こそ同じだが、明確に「別種族」だ。


「どうせなら、旧人類の姿をしたモンスターがいりゃ、まだ楽しめたのにな?」


倒れ伏したモンスターの横には、肩を押さえて血を流す者がいた。

荷物持ちの一人であり、先行して歩かされていた者だった。


モンスターの奇襲に遭い、肩の半ばまで食われていた。


「ま、まだ、は、運べますんで、その――」

「ああ、大丈夫だ、心配すんな」

「は、は、そ、そですか」

「ゆっくり、休め」


金属棒が振られ、その頭部を消し飛ばした。

人が横たわる音にしては、ひどく残酷な転倒音がした。


モンスターの横に、二体目の頭なしの死体が転がった。


「うし、行くぞ」

「こ、ここまで、することは――」

「あ? 馬鹿が」


コイツも殺しておこうかと振りかぶり、止めた。

これ以上、荷物運びが減るのは困る。


殺したノービスの荷物から酒瓶を取り出し、飲み干してから鼻を鳴らした。


「……血が出てただろうが、すぐには止められない深い傷だった。それは、周辺のモンスター共をおびき寄せる。こんなの連れていけるわけがねえだろ、ここでトドメを刺してやるのが慈悲ってもんだ」

「し、しかし――!」

「うるせえ、無駄に喋んな、移動だ」

「それは――ああ、クソ、そうか……」


周囲の戸惑うような雰囲気を、オーガは笑う。

恐怖は、思考力をとことん悪くするらしい。


皮肉なことに、食って掛かったこの人間が一番マトモだった。


「血は、モンスターをおびき寄せる。なあ、一番危険なのは、今、どこだ?」


仲間の死に震えていた荷運びが、弾かれたように立ち上がった。


「尊い犠牲ってやつだ。コイツにモンスターどもが食らいついてる間に、進めるだけ進むぞ」


オーガは探索技能を持たない。

だから、奇襲を受けるために先遣隊としてノービスを歩かせた。


それで負傷や死亡したとしても、他のモンスターを引き付けるデコイとしての役割となる。

周辺一帯から引き寄せてしまう効果もあるが、問題ない。


そうなったとしても、オーガだけは生き残れるのだから。

それだけの力を持っていた。


それなりの金を支払って彼らノービスを雇ったのは、「いれば助かる」という以上の理由はなかった。


「お前らノービスが俺のようなニンゲンのために死ねるんだ、実に光栄ってもんだよなあ?」


本気で、心からそう信じていた。



 + + +

 


オーガが受けた依頼は、饕餮(とうてつ)ダンジョンの調査だった。

危険度不詳、規模ですらも測定しきれていない、世界最大規模のダンジョンを調べるよう言われた。


面倒かつ危険極まりないそれを引き受けたのは、上位者からの命令もそうだが、依頼料の破格さにもあった。

余計なノービスを何人も雇ったところで痛くも痒くもない報酬額だ。


危険度も、実のところは少ないと思えた。


これは、単独調査ではなかった。

大規模な共同調査だ。


そこには名の知られた有名な怪物も多くいた。

数々の逸話を持つ強者と調査ができることは、彼を危険から遠ざけた。


オーガは、彼自身の力量を高く見積もらない。


頑丈さが取り柄の、中級モンスターでしかない。

大枚をはたいて武器や防具を用意したが、種族そのものはどうしようもない。


オーガはどこまでもオーガでしかなく、ドラゴンをはじめとした超越種には及ばない。

膂力だけを比べてみても、ミノタウロスなどには負ける。


――だから、美味しいところは譲ってやるよ、本当の危険にも、俺じゃ対処できねえしな。


そういう腹積もりでいた。


ノービスを雇い、運ばせているのも、そのためだ。

運んでいる酒、女、甘味、美味の数々は彼が楽しむためのものではなかった。

それら贅沢品は迷宮内では手に入らない品々であり、希少だ。


これらを、上位怪物たちに献上する。

食を好むものには食料を。

色を好むものには女を。

人食いであればノービスそのものを捧げる。


間違いなく、彼の覚えは良くなる。


そのために苦労して引き連れたのだが、失敗だったかもしれない。


――クッソ遅い……


ある程度の余裕を持って組んだ行程だったが、遅れ気味だった。

荷物を持たない女はもちろん、ノービスですらもそうだった。


定期的に休みを欲しがる。進めなくなる。

愚痴こそ言わなくなったが、その場で気絶して崩れ落ちる。


その度に、進行が遅れた。

ある程度は仕方ないと考えていたが、これは予想以上の脆さだ。


いいアイディアと思えた「捧げ物」は、盛大なお荷物を引き連れての移動となった。


――どの道、本格的な調査には連れていけねえ、どっかで間引いとくか?


集合場所まで到着すれば、もう用済みだ。

そこから先、生き残ろうとくたばろうと知ったことではない。


すでに彼らには対価を支払った。

ノービスが一生かかっても得られない金額だ。


正当な取引であり、文句を言われる筋合いすらないが……


――いや、さすがに無駄金すぎる。


彼からしても安い買い物ではなかった。

一人や二人であれば諦めもつくか、引き連れているのは二十人ばかりの集団だ。


この「捧げ物」を無駄に減らすこともない。


「とはいえ、なあ――」


口答えしていた男の、どこか恨みがましいような粘ついた視線を横目に考える。

気軽にぶん殴ってから、沈思黙考する。


岩の上で血を吐いている男のことなど思考から外し、集中する。


ベストは残存したノービス全員を引き連れることだ。

しかし、これはどう考えても無理だろう。

いくらか荷物を捨てる必要がある。


荷物量が半分になればこの無様な疲れも減る。

十分に働ける人の数が増えれば増えるほど、問題は上手く解決する……


――いや、なに考えていやがる、数は多いほどいい? そんなのは旧世代のやり方だ。


それは、今のやり方ではなかった。


いっそのこと、彼だけで荷物を運んでやろうかと考える。

二十人分は無理だが、十人分くらいなら可能だろう。


そうして自由になったノービスのことなどは、もう知ったことではない。

戻るのも好きにすればいい。


自主的についてくるノービスがいるのであれば、まだ気概のある奴だろう。


――仕方なしだな。


「手伝う?」


そうしようと決めた矢先、横から声がかけられた。

反射的に飛び退き、戦闘態勢を取った先にいたのは子供だった。


何の変哲もない、街中での信号待ちのような立ち姿。だが、ただの子供のはずがない。

ダンジョンは、成人前のノービスが一人で生き残れるような環境ではない。


「……誰だ?」

「聞こえなかった? 手伝うかどうか聞いたんだけど?」


やけに気だるげな、どこか眠そうな雰囲気すらある子供だった。

青いスウェットに黒いジーンズを着る姿は街ですれ違っても違和感がない。


「再度聞く、お前は、誰だ」

「オーガって、礼儀を知らない?」


弱い、と思える。

性別すら不詳の、ただの子供だ。


だが「金属棒をかついだオーガ」に話しかけるほどの馬鹿にも見えない。

押し殺した恐れのニオイもしなかった。


「……俺は、鬼とだけ呼ばれている、名前なんざ無い」

「怪物に変異した人によくあるよね、それ、不便じゃない?」

「俺は名乗ったが?」

「ボクは迷宮」


訥々と、当たり前のように子供は言った。


「クラスⅣ規模Ⅲ都市型迷宮だ」


ふと気づいたように上を見上げ。


「そうか、ボクにも名前はなかった」


人の形を取る迷宮は、独り言のように言い。


「逃げてきたんだ、匿ってくれない?」


そんな無茶を要求をした。


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