第43話

 気になる。

 大沢フィールドのピッチサイドで私、神園美月は、東京ネクサスFCの選手に混じってプレーする兎和くんをまじまじと見つめていた。


 理由は、優れたパフォーマンスを披露しているから……ではなく、先ほどの車内での会話を思いだして。


 兎和くんが急に『守りたい』なんて言うものだから、少しビックリしてしまったわ。

 私は自立心旺盛に見られやすく、同年代の男子から庇護すべき対象として扱われたのは初めてだった。


 そのうえ、『大切』とまで言われた。

 私も兎和くんを大切な存在だと認識しているものの、それはあくまでクライアントとして。したがって、恋愛的エッセンスは少しも含まれていない。


 けれど彼は、予想外アピール……もとい『認知的不協和』を試みる対象として、真っ先に私を思い浮かべた、と本音を述べている。


 ねえ、それって恋愛感情があるってこと? 関心を引きたいってこと?

 なぜか面はゆさを覚え、つい顔をそむけてしまった。少し鼓動が高鳴り、静かな車内で聞こえてしまわないか心配になった。


 一方、兎和の態度はあっけらかんとしたもの。そのせいで何を考えているのか読み取れず、本心は曖昧なまま。

 普段から斜め上の発想が多い少年だけに、薄闇で頼りなく明滅するホタルの光でも見つけたような気分にさせられたわ。


 そもそもの話、兎和くんを守るのは『義務』に近い行為よ。私が原因で嫉妬を集め、白石くんたちに嫌がらせを受けたのだから。

 加えてトラウマ克服トレーニングは、ほぼ自身の好奇心を満たすために提案している。極めて高いポテンシャルを秘めたサッカー選手の育成を間近で支援する、これほど心躍る試みは他にないと断言してもいい。


 ダイヤモンドを自分好みの形にカットするみたいな手応えに、たまらなく興奮するの――なにより私が最初にみつけたのだ、彼を。

 

 つまるところ、こちらは好奇心と探究心のおもむくまま行動していた。にもかかわらず、相手からは『守りたいほど大切な存在』と思われていたのだ。

 

 それだけに、よけい気になる。

 突如現れたギャップが大量のモヤモヤを立ちのぼらせており、どうにも心がスッキリしない……そこまで思考して、はっと気づく。

 これこそ、認知的不協和ね。


「ふうむ……動きは悪くないが、どこにでもいる高校生って感じだなあ。美月ちゃん、流石に『未来のJリーガー』は誇張しすぎだったんじゃない?」


 隣で観戦する安藤さんの呟きを耳にし、目の前で展開される試合へと私は意識を向け直す。

 兎和くんは今日、ずいぶん調子が良さそうね。先日の公式戦よりも数倍は生き生きとプレーしているわ。


 しかし、安藤さんの言う通り。現状は一般の高校生レベルの枠にとどまり、実力的には本来の半分ていどしか発揮できていないように思う。


 オフェンスでは丁寧なパスを中心にゲームへ絡んでいる。ディフェンス時はさぼらずに帰陣してスペースを埋め、持ち前の献身性を発揮している……けれど兎和くんの最大の武器は、一人で試合をひっくり返してしまう『エゴ全開』の個人技なの。

 本人のメンタルと所持するスキルが、これほどアンバランスな選手も珍しいわね。


「安藤さん、そう慌てないでください。彼は、外部からスイッチを入れてあげないとダメなんです」


「ほほう。美月ちゃんは、ずいぶん自信がおありみたいで」


 もちろんよ、と内心で答えつつ実堂戦で目撃したドリブル突破を想起する。

 兎和くんは、トラウマによって無意識に能力をセーブされている。ところが先日は、条件反射をトリガーとする形で一時的に『枷』を外すことに成功した。ならば、今回も似たような状況でスイッチを入れてあげればいい。


 ただし、ここぞというチャンスシーンを選ぶ必要があるわ。多様も厳禁。事前に構えられてしまえば抵抗され、反応が薄くなる。下手をすると抵抗力が高まり、最悪の場合は条件反射さえ失う可能性も考えられる。

 しかも大前提として、私を視認している必要がある。さらに可能であれば、本人が集中状態に入っているときがベストね。


 すなわち、『二人の意思』が揃って初めて条件反射トリガーのロックは解除されるの。

 要求はかなりシビア。よって、現時点において兎和くんが試合中にトライできる回数は極めて限られる。

 けれど、なぜか私には妙な確信があった――彼はきっと、チャンスになったらこちらへ視線を向けるはず。だから、絶対に成功するわ。


 以降は試合をより集中して見守った。すると案の定、ビッグチャンスが巡ってくると同時にバチリと視線がぶつかった。

 

 中盤を務める味方選手が、前掛かりになった相手の縦パスを首尾よくインターセプトする。続けて、素早くフリーの左サイドへボールを展開した。

 ハーフウェーライン手前、かつ『ファジーゾーン(相手SHとSBの間にあるスペース)』でパスを受けた兎和くんは、味方の上がりに合わせるようなスピードでドリブル開始。


 すかさず、マッチアップする相手SBが距離を詰めてきた。その結果、前をむいた状態で『1対1』へ突入する。


 ここで突破に成功すれば、そのままビッグチャンス到来となる。しかもお誂え向きに、私が視界に映る絶好の位置での勝負――イメージを共有できたようで、兎和くんもこちらへチラリと視線を動かす。


 それから彼は、前傾して軸足を前に置き、利き足のインサイドでボールを引きずりつつ縦方向へステップを踏む。ディフェンダーとの間合いを保って、ひとつ、ふたつ、みっつ。

 そこで再度、二人の視線が重なり合う。同時に、私は思いっきり手を打ち鳴らしながら叫ぶ。


「――ゴー!」


 次の瞬間、兎和くんはボールをコントロールしていた『右足』でリズム良くピッチを踏みしめ、その反動を利用して縦へ急加速する。

 だが、相手は経験豊富な社会人プレーヤー。抜け目なく対応され、体でコースを塞がれてしまう――かに思われた。


 立て続けに兎和くんは態勢を切り替え、踏み込んだ『左足』の反動を利用し、矢継ぎ早にセンター方向へカットイン。そして爆発的なアジリティを最大限まで発揮し、弧を描いてゴールへと疾走する。


 まさに電光石火。激しすぎる緩急と方向転換は、対峙する者にバランスの崩壊をもたらす。ディフェンダーは置き去りにされるばかりか態勢を大きく乱し、その場で横滑りしてピッチに転倒する。


「いや、エグすぎぃ……なにあの反発ステップ」


 目を見開いて呟く安藤さん。

 発言にあった通り、今のドリブル突破には『反発ステップ』が使用されていた。世界的ドリブラーたちが多用している有名な加速テクニックだ。

 おまけに超高水準のアジリティが加算されるのだから、もはやプロにだって通用するスピードなのではと私は興奮を隠せない。

 

 その間に、兎和くんは相手ペナルティボックス目前へ進出。

 無論、相手CBが強襲を阻止すべく迎え撃つ。対する彼はややスピードを緩めるとシザース(またぎ)フェイントを一つ交えてボールを横にずらし、角度をつけてゴールへのコースを作った。


 間髪入れず、ズドンッ!

 コンパクトな振りの右足から強烈なグラウンダーシュートが放たれ、ボールはディフェンダー間を抜けるやゴールのニアサイドへ突き刺さった。


 ちょうどディフェンダーがブラインドになり、相手GKはほぼ動けず。

 兎和くんは爆発的なアジリティのみならず、優れたパワーやテクニックを織り交ぜて鮮やかにネットを揺らしてみせた。


「なるほど…………美月ちゃん、どこであの『アジリティモンスター』をみつけてきたの?」


「ふふ、栄成サッカー部の未来のエースですよ」


「そっか。あの彼氏くん、卒業したらうちのチームにくれたりしない?」


「彼氏じゃないですし、兎和くんはJリーガーになるのであげません」


 私がお断りしても、安藤さんは「頼むよー」と食い下がってくる。異次元の才能に一目惚れしてしまったみたい。

 けれど、何度言ってもダメよ。兎和くんは高校卒業したらJリーガーになるの――いいえ、私が必ず押し上げてみせるわ。


 でもそうなると、トラウマ以外にも様々な課題が浮かび上がってくる。

 とりわけ『チーム強化』は最重要タスクね。高校サッカーの大舞台で活躍して、プロスカウトの目に留まる必要がある。


 それに、活躍を披露する機会は多い方が断然いい。長瀬コーチはやや悠長に考えているみたいなので、このあたりはキビシク指摘しておかないと。


 それにしても、今日の兎和くんはすごく楽しそうね。プレー中に笑顔を見せるほどサッカーをエンジョイしているみたい。東京ネクサスの選手たちが和やかに受け入れてくれて助かった。

 先ほど条件反射トリガーからシュートまでいけたのも、きっと好調だったからに違いないわ。プレー環境の変化がポジティブな刺激を与えたようで、私も一安心よ。


 並行して、栄成サッカー部の環境を改善できないか思考する。

 部内で現状レベルのパフォーマンスを披露できれば、周囲から一目置かれてやっかみも減るはずよ。ひいては、不要なトラブルを遠ざける結果に繋がる。


 また一つ、長瀬コーチに伝えるべき課題を見つけたので心に留めておく。

 その後も私は、試合展開を眺めつつ兎和くんのためにできることを探すのだった。

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