第35話

 兎和くんと別れ、身を隠していた非常階段を立ち去る。

 続いて、制服コスプレイヤーたる涼香さんを連れた私、神園美月は、三浦(千紗)さんと合流するため校舎内のカフェスペースへ向かう。

 一緒に試合を観戦している内に打ち解け、後ほど落ち着いてから話をしようと約束していたのだ。


「美月ちゃん、ずいぶんとご機嫌だね」


「わかる? 予想以上のプレーを見られたから嬉しくて」


 涼香さんの指摘は正しく、私はかなり上機嫌だった。

 先の試合で目撃した、兎和くんの素晴らしいプレーが頭を離れない。どうして動画で記録しておかなかったのか、と今さら後悔しているほどだ。


 それにしても、永瀬コーチはやっぱり強情ね。もっと早く選手交代のカードを切っていれば、より楽に試合を進められていたはずなのに。


 実は昨晩、私と永瀬コーチは少し口論していた。

 原因は、スタメン選考について。


 今回先発で左SHに起用された松村くんは、コンディション不良状態の兎和くんよりも実力が劣る。

 この私の評価は、何度かこっそり観戦した部内の紅白戦(豊原監督の許可を得た)での両者のプレーを対象としたものだ。


 もちろん公式戦となれば、また別の要素の介入によってプレー精度が左右されるのは理解している。それでも、トラップやキックなどの基礎技術に大きな差があったので、そう大きく見誤っているわけではないはず。


 この結果は、単純にどれだけ『基礎を積み上げてきたか』の違いなのだと思う。もとよりD1に配属されている時点で、実力は証明済みなのだから。


 それにもかかわらずのスタメン選抜……采配に疑問を抱くな、という方が難しい話だ。

 さらに兎和くんの廃人のような気落ちぶりを思い出し、つい頭にきて『どのような意図があってのメンバー選考なのか』と問い詰めてしまったのだ。親族ゆえの気安さも災いした。


 対する永瀬コーチの返答は、『試合に出すのはもっと後でいい』といったもの。

 トラウマさえ克服できれば、兎和くんは確実にトップチームの主軸となる。それに合わせて、彼の名も部外へと知れ渡っていくだろう。


 高校サッカー界は広いようで狭く、有望選手の情報はすぐに他校へ伝わる。とりわけ激戦区の東京エリアは、ライバル校の動向に注視が必要だ。


 すると今度は、要注意人物として集中的なマークにあう可能性が高まる。

 しかしどれほど才能に溢れた選手でも、相手ディフェンダー二枚に常時張り付かれるような事態にでもなれば思うようなプレーなどさせてもらえない。


 だったら、しばらくの間は切り札の一つとして隠し持っておきたい。いずれデビューするにしても、よりプライオリティの高い試合での奇襲的な起用法がベスト。もちろんメンタル面への配慮が大前提だが。

 選手の状態とチームの未来を優先した判断だ、と永瀬コーチは反論を締めくくった。


 その主張に、私もある程度は納得できた。けれどその際に『選手のキャラクターやパーソナリティを考慮すべき』と、あわせて強く進言した。


 なにせ兎和くんは、かなり単純で流されやすくて、ネガティブでプリンの如きやわなメンタルを持つ。そのうえ、深刻なトラウマまで抱えているのだから。


 ……彼って、サッカー選手としての才能はずば抜けているのに、『泣き虫の幼子が超高性能のF1カーを運転している』みたいな危ういバランス感なのよね。


 ともあれ、永瀬コーチとは和解に至らなかったけれども、試合終盤になって兎和くんを起用したあたり、少しは私の意見を汲み取ってくれたようね。

 

 そんな風にあれこれ思考しつつ歩いていると、校舎1階に設けられた自動販売機コーナーに差し掛かる。

 同時に私は足を止め、驚く涼香さんを引っ張って廊下の壁に背中を預けた。

 この先のイートインスペースから、男子たちの会話が聞こえてくる。その内容は、ちょっと聞き捨てならないものだった。


「兎和のヤツ、また神園さんに付きまとっていたよな。あれだけ大勢で囲って詰めたのに、まったく反省してないらしい」


「ああ、クソ陰キャごときが調子の乗り過ぎだろ。一発くらい殴られないと、自分の立場を理解できないんじゃないのか」


 ぎゃはは、と笑う男子たち。

 会話の内容から察するに、栄成サッカー部の同級生グループで間違いないでしょうね……それで、兎和くんがなんですって?


 きゅっと笑みを顔に貼り付ける。コミュニケーションを円滑に運ぶため、普段はできるだけ笑顔でいるように心がけている。だから皆、勘違いしているのだ――実は私、けっこう短気なの。


「お疲れ様でした、松村くんにサッカー部の皆さん。先ほど『兎和くんを大勢で囲って詰めた』と聞こえてきたのだけれど、それって本当の話かな?」


「わっ、神園さん……!?」


 私はイートインスペースへ踏み込んだ。そこでは予想通り、サッカー部の同級生たちが楽しそうにおしゃべりをしていた。その中には、例の松村くんも含まれている。

 彼らは揃って驚いた表情を浮かべ、はっと息を呑む。一言も交わしたことのない相手が突然現れ、話に割って入ってきたのだから無理もない反応でしょうね。


「聞かれちゃったか……うん、本当だ。でも兎和のヤツ、今日も懲りずにつきまとっていたね。怖がらせてしまってごめん。またキツく詰めて、二度とストーカーなんてさせないようにする。大丈夫、信頼して。俺は神園さんの味方だよ」


「そう……だったら、私はあなた達の敵よ――These fucking cowards!」


 代表して質問に答えてくれた松村くんへ左手の甲を向け、中指を突き立てる。

 続けて理解がおいつかないような表情の面々を放置し、その場を後にした。


 怒り心頭に発するとはこのことだ。私の大事なクライアントを傷つけるなんて、絶対に許さない……兎和くんは何も言っていなかったから油断したわ。


 そもそも永瀬コーチには、事前にお願いしていたのに。間違ってもイジメなんて起きないようDチームにはしっかり目を光らせておいてください、と。

 けれど残念ながら、ちょっと対応が甘かったみたい。今晩にでも改めて協議する必要がありそうね。


「美月ちゃん。さっきの威勢のいい啖呵だけど、あんな汚い言葉をどこで覚えてきたのかな? お母さんの前では絶対に口にしちゃダメよ。『また余計なことを教えたな』って、なぜか私が責められるんだから」


 涼香さんお小言を聞き流し、本来の目的地であるカフェスペースへ少し早足で向かう。

 あまり三浦さんをお待たせするのは申し訳ないわ。色々と聞きたい話もあるし、今後のこともあるから仲良くしてくれると嬉しいのだけれど。


 私は待ち人の存在を思い出し、思考を切り替える。そして今度は、自然な笑みを顔に浮かべるのだった。




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