第24話 仮眠のつもりで寝たのに、爆睡しちゃうことはよくある
*7
いや、意味はあったのかもしれないが──僕が求めていたヒントでは無く、例の垂直思考と水平思考についての説明だけだったのだ。
垂直思考とは、勉強ばかりして頭が固い人の考え方。
水平思考とは、物事を多面的に考えて柔軟な発想を持つ人の考え方。
──らしい。
だが、僕がどうしても後少しだけヒントが欲しいと、しつこく訊いたら、灰玄は「仕方が無いわね」と言って、もう少しヒントを出してくれた。
そのヒントとは──
レストランは小さい店でテーブルは全て木製。
コックは一人だけで、ウェイターも一人だけしかいないレストラン。
──である。
その説明で、僕は余計に頭が混乱してしまった訳なのだが……。
そして、灰玄は臥龍の店の前で車を止めると「それじゃあ、夜の十一時だからね」と言って、車で走り去って行った。
なので、僕は灰玄に出された宿題のクイズを、訳の分からないヒントを頼りに、答えを考えて正解しないといけない。
なぜなら──このクイズに正解すれば、冷房を買ってもらえるからだ。
しかし、臥龍の店に戻る車内で、ずっとクイズの答えを考えていたが、全く分からない。
そもそも、火が使えない状態で、どうやってすぐに注文した肉料理が食べられるのだろうか。
僕は一瞬だが、そのレストランは魔法のレストランで、コックさんは、魔法使いなのではと思ったが、そんなことを言ったら、また灰玄に馬鹿にされそうだったので、その考えは自分の心の中にそっと閉まっておくことにした。
まあ──考える時間はまだ半日ぐらいある訳だし、ゆっくり自宅で考えるとしよう。
そして、なんとしても、冷房を手に入れるのだ。
というか──今更なのだが、改めて考えると冷房では無くエアコンなんだよな。
だが、今までずっとエアコンのことを冷房と言って来たのは、深い理由があるのだ。
深い理由なんて言うと大袈裟かもしれないが──その理由とは、機械音痴の母親が、僕が幼い頃からエアコンのことを冷房と言い続けていたので、頭ではエアコンだと分かっていても、つい母親と同じく、エアコンのことを冷房と言ってしまう癖がついてしまったのだ。
でも、冷房と言っても相手に伝わるし、臥龍も灰玄も、僕がエアコンのことを間違えて冷房と言っているのに、ちゃんと伝わっている。
だから、僕も気にせずエアコンのことを冷房と言っている。
早い話しが、相手に意味が伝わればいいのだ。
しかし──幼い頃からずっとエアコンのことを冷房と、僕も言い続けていたので、間違っていると分かっていても、すっかり頭に染み付いてしまっているのである。
やれやれ、幼い時に間違えて覚えてしまったことは、理解していても中々直せないと聞いたことがあるが──三つ子の魂百までとは、このことなのだろう。
だが、三つ子の魂百までとは、性格についての意味で、幼い時に覚えたこと等には使わない言葉なのだが……、まあ、そう言う細かいことは置いておくとしよう。
まあ──つまり、僕が言いたいことは、きっとこの先も、頭では分かっていても、エアコンのことを無意識に、冷房と言い続けてしまうのだろう、と言うことである。
くどいようだが、結局は意味が相手に伝われば、それでいいのだ。
あれこれと考えても疲れるだけだし。
それに──自分が気にしていても、相手は余り気にしていないだろう。
なぜなら、誰もが自分のことを一番気にしていて、他人のことなどは二の次なのだから。
うーむ……、やはり、こんな考え方しか出来ない自分は、相当ひねくれた性格なんだろうな。
でも──実際人間なんてそんなものだろ?
あっ! いかんぞ。
今日の朝に、ネガティブなことは考えないようにしようと思っていたのに……。
──って、今はそんなことよりも、クイズの答えを考えなくては。
どうでもいいことを考えて、時間を無駄にしてしまった。
にしても暑いな……。
自宅まで帰る途中にジュースでも買って──ってえええ!
財布が無いぞ!
ジーパンの右のポケットにも無い、左のポケットにも無い、後ろのポケットにも無い。
無い無い無い無い! これはヤバい!
おいおいおい、頼むよ──誰か噓だと言ってくれ!
冗談じゃないぞ。あの財布には僕のライフラインである一万円が入っているのに……。
もしかして……山に行った時に落としたのか?
うーん……その確率は非常に高い。
山から下りる時に、一回ズッコケてるし。
でも今から山に行くのもな……。
いや待てよ。
臥龍の店で、灰玄に引っ張られた時に、店の中に落としたとも考えられる。
確率としては非常に低いが──ここは店の中に財布が落ちてることを願うしかない。
臥龍は大学で講義があるとか言ってたから、店は閉まっていると思うが。僕には奥の手があるのだ。
なんと、臥龍の店の
まあ……、この鍵は沖縄に行く前に、臥龍から「先に俺は帰るから、
今日、冷房を買わせるついでに、店の鍵を臥龍に返すつもりで、ジーパンのポケットに入れていたのだが、いきなり灰玄が現れたりしたので、鍵のことをすっかり忘れていた。
はっきり言って、鍵を持っているとはいえ、誰もいない店の中に入るのは何だか空き巣に入るようで、気が引けるが……今は仕方無いのだ。
別に臥龍の店に無断で入って、金品を盗むわけでは無く、自分の財布が落ちてないか確認するだけなのだから、これはセーフだろう。
よくよく考えれば無断ではあるのだが……、致し方ないのである。
僕は臥龍の店の鍵をポケットから出して、鍵を使い店の扉を開けた。
だが──扉は開かなかった。
つまり、最初から扉に鍵はかかっていなかったのだ。
やれやれ、不用心なやつだ。
僕はもう一度、鍵を使って、扉を開けて店の中に入った。
店の中に入ると、清々しい冷房の冷気が体を包み込み、一気に汗がひいて行く。
やはり臥龍の店はいい!
この涼しさは国宝級である。
「おっ、
臥龍の声だった。
「ああ、ただい──ってえええ! 何でいるんだよ! 講義はどうしたんだ!?」
「え? ああ、なぜか中止になった」
「おい、何が中止だ。また噓付いて自分だけ助かろうとしやがったな」
「な、なに言ってんだよ。俺がそんなことするわけないだろ。あっ! そうそう、九条君。店の中に財布が落ちてたけど、これは君のか?」
臥龍に見せられた財布は、間違いなく僕の財布だった。
ああ良かった。
臥龍の店で落としたのか。
これで山に戻って財布を探す手間が──いや、そんなことよりも。
「確かにその財布は僕のだけど──大噓付いて逃げたことを僕に謝れ!」
「だから噓じゃなくて、急に中止になったんだよ。いやー講義に行けなくて残念だなー」
「なにが『残念だなー』だよ。いっつも捏造の作り話と噓ばっかり言う
「捏学者では無い哲学者だ! せっかく財布を見つけてあげたと言うのに、なんだその言い草は!」
「うるせえ! お前の下らない作り話や噓には、草も生えねえんだよ!」
「ふっ。またそんなことを言って、本当は俺の
「お前の頭の中は別の意味でお花畑だろ! さっさと僕の財布を返せ」
言って、臥龍が手に持っていた僕の財布を取った。
用心のため、中身を確認したが、財布の中からは何も抜き取られていなかった。
まあ、臥龍は作り話や噓は言うが、そのような行動をしないと言うのは、最初から分かっていたが──念のためである。
だが──本人の前で、そのような行動を取るのは、臥龍を疑っているようで若干、失礼なような気もした。
「おい九条君」
「なんだよ」
「失礼じゃないか、君は」
うっ……、どうやら臥龍も僕と同じことを考えていたようだ。
「ま、まあ悪いとは思ってるよ。でも念のために──」
「俺の頭の中はお花畑では無い! 肥沃の大地だ。前言撤回しろ!」
違ったようだ。
だが、こいつの頭の中が、お花畑なのは揺るがない事実だ。
前言撤回なんてするものか。
「ん? どうしたんだ九条君。なぜ何も言わない。さては俺の思考が肥沃の大地だと認識しているが、嫉妬して認めたくないんだな?」
「……そうそう。そうだよ」
もう面倒なので、適当に話しを合わせてやった。
口論するのも疲れるし。
午前中から、灰玄に連れ回されて、登りたくも無い山を登った所為で、かなり疲れているのだ。
けれど、疲れているのは脳の方だ。
理由は解らないが──なぜか灰玄に喉を押されてから、体の疲れが余り無い。
その代わりなのかは知らないが、クイズの答えをずっと考えて、脳がパンクしそうである。
臥龍はレジの場所にある、高級な椅子に座って、なにやらこ難しそうな本を読んでいる。
厚さは辞書ぐらいだ。
僕も近くにあった椅子に座ったが、前に店番を頼まれた時に座った、今現在、臥龍が座っている高級な椅子の座り心地には、到底及ばない。
でも今は、とりあえずクイズの答えを考えることだけに集中しなくては。
僕は椅子に深く腰をかけ、地獄の門の上に座り眼下の地獄を見ている『考える人』よろしく、そんなポーズで、クイズの答えを考えていた。
まあ、あれは『考える人』では無く『見ている人』なのだが、世間一般では『考える人』と言う表現の方が広く認知されているので、ここは『考える人』にしておこう。
──って、そんなどうでもいいことを考えてる場合では無かった。
火を使わずに肉を焼くか──
でも、この問題はひっかけ問題なのだ。
普通に考えても答えは出ない。
色々な角度で考えないといけないのだ──とは言ってもなー。
あのひねくれた灰玄が考えたクイズだ、きっと答えも相当ひねくれてるのは間違いないだろう。
僕は重要そうな単語を、まず頭の中で整理してみた。
朝から故障で火が使えない。
男がレストランに来たのは夜。
他の家電製品も使えない。
フライパンもガスバーナーも無い。
周囲には民家も飲食店も街灯も無い。
男は着火器具も持ってい無い。
だけどすぐに注文した肉料理を食べる事が出来た。
うーん……、もしかしてデリバリー注文して……、いや違うな。
周囲には何も無いのだから、デリバリーをしたところで、すぐには食べられないだろう。
だとしたら──男は最初から焼けた肉を持っていて、その焼けた肉に盛りつけを頼んだ。
これも違うだろうな。
そもそも、男は焼けた肉料理が食べたいからレストランに行ったのであって、最初から焼けた肉を持っているなら、自分の家で食べればいいだけだ。
わざわざレストランまで行く意味が無い。
…………………駄目だ!
全然解らない!
「うーん……、肉肉肉肉──」
「ん? どうしたんだ九条君。肉が食べたいのか?」
余りに考えることに夢中になり過ぎて、頭の中の声が外に出てしまった。
「いや、そう言う意味じゃなくて──まあ、肉は食べたいけれど、今は違うと言うか……」
「随分と煮え切らない返事だな。何か考え事か?」
「考え事と言えば──そうなるかな。でも、いくら考えても解らないんだ」
「ほう。アベレージな学生の君が考え事ねえ。それじゃあ俺に言ってみろ。俺は常に思考を絶やさないから、どんな考え事だろうと即座に解決してやるぞ」
臥龍はノリノリである。
でもなあ……この頭の固い、勉強だけが友達のような臥龍に、灰玄のクイズは解らないだろう。
「どうしたんだ? 早く言ってみろ」
──まっ、訊くだけならタダだし、ちょっと訊いてみるか。
「じゃあ訊くけど──火を使わずに肉を焼くことって、出来るのかな?」
「ふっ、なんだそんなことか。火が使えないならオーブンで焼けばいいだけだろ」
「それじゃあ、もしオーブンも使えないとしたら、どうする?」
「なんだよ。そんな簡単なことも解らないのか君は」
「わ、解るのか!?」
「当たり前だろ。そんなのは誰だって理解出来る一般常識だぞ。俺は常に思考を絶やさない男だから、そんな簡単な質問はすぐに解る」
僕はもしかしたらと思い、淡い期待を胸に抱き、臥龍に訊いた。
「で──その答えは……?」
「まあ、そう焦るな。ところで君は、太陽光発電を知っているか?」
「一応……知ってるけど」
太陽光発電という言葉は聞いたことがある。
確か──太陽の光りを電気に変える──だったかな?
でも、どうやって太陽の光りを電気に変えて、運用するかまでは知らない。
「まさにそれだよ。いいか? 太陽の光りを巨大な
期待外れな解答だったが、もう少し訊いてみることにした。
「それじゃあ、もし夜で、太陽の光りも無くて、ジワジワでは無くてすぐに肉を焼くとしたら、どうすればいいと思う?」
「君は俺を試してるのか? そんなの簡単に答えが出るじゃないか」
また、どうせ期待外れな解答だと思いつつも、今度こそはと思い訊いてみた。
「じゃあ──その答えは?」
「答えは…………」
妙に
早く言えっての!
「答えは…………、
「──は?」
「だから摩擦熱だよ。いいか? 火を使わなくても物と物、つまり二つのフライパンの底を擦り合わせて、超スピードで摩擦させることにより熱を発生させる。その摩擦熱で肉を焼くんだ! どうだ? アベレージな学生の君には、到底思いもつかない思考だろ」
「……も、もういいよ。少しだけ参考にはなった……」
全然なってないけど。
「なんだよ。納得がいかないのか?」
「納得がいかないと言うか……例えば、フライパンも無かったら、どうやって熱を発生させるんだ?」
「ふっ。そんなのは簡単だ。まずは鉄製のテーブルを二つ用意する。そして片方のテーブルを持ち上げて、テーブルとテーブルを密着させる。それを大人数で、さっきのフライパン同様に超スピードで摩擦させて熱を発生させるんだ。こんな感じにな! ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
「も、もういいよ。本当にもういいから」
テーブルを動かすジェスチャーまでしながら解説する臥龍の姿は、実に間抜けで滑稽だった。
ていうか、始めから分かってはいたが、臥龍は垂直思考だ。
それも天まで伸びきった垂直だ。
決して水平にはならないだろう。
それに、「じゃあテーブルが木製だったら?」と、訊こうとは思わなかった。
返って来る言葉は、全て垂直で、僕が求めてる水平の言葉は絶対に返って来ないと思ったからだ。
「はあ……はあ……、ふっ。どうやら、アベレージな、学生の君も、ようやく、納得、はあ……はあ……、出来た、みたいだな。はあ……はあ……」
ジェスチャーのやり過ぎで、苦しそうに肩で息をしながら、したり顔で言う臥龍。
そして胸の中で溜め息をつく僕。
つーか全然納得できねえよ。
やれやれ、臥龍に質問した僕が馬鹿だった。
また大事な時間を無駄にしてしまったぞ。
「あっ! もうこんな時間か」
臥龍が自分の時計を見ながら言った。
僕も携帯電話で時間を見たら、夕方の五時半だった。
まずいな、どんどん考える時間が無くなってるぞ。
「ところで九条君。店の鍵を俺に返すんだ」
僕も臥龍に鍵を返そうと思っていたので、言われるがまま、素直にポケットから店の鍵を出して臥龍に渡そうとすると、「いや、ちょっと待て」と、臥龍が言って来た。
「俺は先に帰るから、鍵をかけておいてくれ。その店の鍵は今度返せばいい」
言って、店の中に置いてある多量のマスクの箱を抱きかかえて、店から出て行く臥龍。
臥龍のマスクを、僕が盗るとでも思っているのだろうか。
まったく失礼なやつである。
そして数十秒も経たないうちに、臥龍がまた店に戻って来た。
「言い忘れていたが──何も心配することは無いぞ。俺は常に思考を絶やさないからな。ふっ、ふふふふふふふ。ふふふふふふふふ」
そして、笑いながら店の外に出て行った臥龍。
その笑い声は、いつも以上に得体の知れない気持ち悪さがあった。
と言うか──心配ってなんだ?
常に意味不明な奴だが、今日は一段と意味不明である。
まあ、いいか。
このまま家に帰っても、家には冷房が無いので蒸し風呂状態の中で、クイズの答えを考えなくてはならない。
だが、臥龍の店の中なら、ずっと冷房が効いているから、考えるには丁度いい。
しかし──ずっと考えていたから、一時間ぐらい休憩しよう。
流石に考え過ぎて疲れたし────
───────はっ!?
あれ?
確か一時間ぐらい休憩しようと思って──
なんだ?
いきなり意識がぶっ飛んだぞ。
ていうか、いま何時だ?
僕が携帯電話で時間を見ると──夜の十時だった。
しまったああああ!
ちょっと休憩しようと思ったはずが、爆睡してしまった!
ああ……どうしよう。
クイズの答えを考えようと思っていたのに……。
僕が頭を抱えていると、急に携帯電話が鳴った。
相手が誰かなんて考える必要も無い。
僕の携帯電話には、まだ灰玄しか登録していないのだから。
ポケットの中で、僕を呼んでいる携帯電話を取り出して見てみると、着信では無く、メールだった。
そのメールの文面は『少し遅れるから先に行ってて』だった。
マジかよ……!
ふざけんな。
ここから
しかも、夜と言っても熱帯夜だ。絶対汗だくになってしまう。
くそ──今日は朝からずっと灰玄に振り回され続けて、夜まで振り回されるのか。
でもなあ……行かないと謝礼の十万円は貰えないし、クイズに正解出来れば冷房も手に入る。
うーん、仕方無い。
自宅まで自転車を取りに行って、六国山に向かうか。
夜に汗だくになりながら、自転車で往復二時間の疲れる旅をしなくてはならないが。
これも全て、十万円と冷房のためである。
背に腹はかえられないとは、このようなことを言うのだろう。
……多分違うと思うけれど。
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