第13話 ボケとツッコミはバランスよく



 *13



 「────きろ────じょう──」


 ──ん?


 「おい──きろ──じょうくん」


 ──なんだ?

 と言うかこの生臭なまぐさい臭いはなんだ?


 「おい。起きろ九条くじょう君」


 この声は──臥龍がりょうの声だ。

 やれやれ、僕は寝ていたみたいだ。

 瞳もまだ半分以上開かない状態のまま、眠気まなこで僕は臥龍に挨拶をした。


 「おはようございます」


 「ああ、おはよう──じゃない! 九条君。自分の周りをよく見てみろ……!」


 周り?

 臥龍は急に頭から水でも掛けられたかのような口調で言った。

 しかし、自分の周りと言われても手首に手錠がかけられていて、ヌメヌメする気持ちの悪いY字型わいじがた磔台はりつけだいに──


 「って! なんじゃこりゃあああ!?」


 僕は叫んだ。

 まるで、どこぞのジーパンが似合う刑事が太陽に向かってほえるように──今は夜なのか朝なのか分からないが。


 「ちょっと! なんだよこれ!? いったい何がどうなって──」


 混乱している自分の頭で、なんとか思い出せたのは灰玄かいげんが臥龍を気絶させたワンシーンだった。

 その後に、なにか話したような記憶もあるが、とても曖昧あいまいで上手く思い出せない。

 ていうか、もの凄く首が痛い。

 僕はいったい何をされてこんなことに──


 「九条君……。どうやら俺達は身動きが取れないみたいだ……」


 「いや……。見れば分かるって。それより何でこんなことになったか知らないんですか?」


 「……知りたいか?」


 臥龍はとても神妙な顔で言った。

 思わず息を呑みき返す。


 「知って……いるんですか?」


 「ああ……全く知らん」


 「おい! もったいぶった言い方して結局お前も知らないのかよ!」


 「だってしょうが無いだろ! 起きたら磔にされていたんだから。俺の方が教えてもらいたいぐらいだ」


 だったら最初から知っているみたいな素振そぶりを見せるなや……。

 少しは役に立つと思ったが、全く役に立たないおっさんだ。


 しかし、ここはいったいどこなんだろう。

 さっきまで居た屋敷では無いことだけは分かる。

 

僕たちの周りには無数の蝋燭ろうそくに火がともされていて、目の前には何かの儀式でもするような祭壇さいだんがある。その祭壇にも無数の蝋燭に火がともっていて、祭壇の前の壁には大きな蛇が大口を開けて今にも噛み付いてくるような恐ろしい形相ぎょうそうをした絵がでかでかと一面に描かれている。



 蝋燭だけの灯りで最初は周りがよく視えなかったが、その灯りに眼が慣れて周りを視てみると、天上はてっぺんが視えないほど高い吹き抜けに なっていて、僕たちを囲うものが一切無い広い空間には教会でよく見る信徒達が座る横長の会衆席かいしゅうせきがずらっと並んでいた。

 まるで教会──と言うか教会そのものだった。


 でも、いったい何でこんな場所に僕は居るのだろう──しかも磔にされて。


 僕が考えていると、後方で扉が鈍く重たい響きをたてて開く音がした。

 いったい誰だ?

 僕と臥龍は祭壇に向かって磔にされているので後ろを見ることは出来ない。


 カツンカツンと言う音に混じり無数のビタビタと床を濡らしながら歩く足音が聞こえる。

 多分──と言うか絶対に間違いない。今までの流れでいったい誰が扉の向こうから入って来たのかはすぐに察しがつく。


 「あら? もう目が覚めちゃってるじゃない。少し手加減し過ぎたかしら」


 そう。灰玄である。

 ていうか、手加減って……そうか、どうやらこの首の痛みは僕も灰玄から当て身をされたみたいだ。だが灰玄よ、これのどこが手加減なんだ?

 もの凄く首が痛いぞ!


 「まあいいわ。少しお祈りして来るから静かにしてなさい」


 そう言って、灰玄は祭壇まで行くとお祈りを始めた。

 何か言っているみたいだが、小声過ぎて聞き取れない。

 と言うか──僕たちの周りを無数の怪魚人たちが徘徊はいかいしている。途轍とてつもない悪臭を放って……。


 「お、おい! 俺を見るな! 俺は美味しく無いぞ。食べるなら九条君にしろ!」


 「な、何言ってんだ! おい怪魚人! 臥龍の方が美味いぞ!」


 「いや俺は美味く無いぞ! あっそうだ! 灰玄さん助けて下さい! 助けてくれたらサインでも何でもしますから!」


 臥龍の哀れな懇願こんがんに灰玄は全く耳を貸そうともせず、祭壇の前で祈り続けている。

 ていうか、こんなおっさんのサインなんて誰も欲しくないだろ……。


 僕たちの周りを徘徊している怪魚人たちは屋敷で見た時と同じく、何か会話をしているようだが僕には聞き取れない。

 いや、聞き取れるが言語の意味が分からないと言った方がこの場合は適切だ。


 つまり音としてなら聞き取れる。

 僕たちの周りを「【ルダ・ルダ・シュグス・ゼイデン】。【ルダ・ルダ・シュグス・イグラス】」と言いながら徘徊している──




 確か、このあたりから物語りが始まったんだった。

 いや、もう少し後だったか?


 まあしかしだ、長かった。

 チャプター13にしてやっと──13?

 うーむ……。実に縁起の悪い数字だ────って! 今は暢気のんきにそんなことを考えてる場合じゃないぞ。


 僕たちの周りにいるのは怪物で、僕たちを磔にしたのはきっと灰玄だろう。

 話しの通じる連中じゃ無いことだけは分かる。だとしたら──なんとかして、この危機的状況から逃げ出すしかない。


 怪物は徘徊しているだけで襲って来る気配は無い。

 灰玄は僕たちに背を向けて祭壇でお祈りをしている。


 つまり逃げ出す方法は一つだ、手錠さえ外すことが出来れば、ゆっくり歩いてこの教会から逃げ出し。外に出たらクルーザーがある場所まで猛スピードで走り、クルーザーで島から脱出する。これしか無い。


 幸い臥龍はクルーザーを運転出来る。問題は──この手錠だ。

 この手錠をどうやって外すかだが、もしかして毎日体を鍛えている臥龍なら怪力で外せるんじゃないだろうか。


 「臥龍さん……ちょっと僕に考えがあるんですけど……」


 灰玄に気付かれないように小声で臥龍に話しかけた──蚊にも気付かれないような小声でだ。


 「どうしたんだ?」


 「毎日体を鍛えてるって言ってましたよね……?」


 「まあ鍛えてるけど──それがどうしたんだ?」


 「手錠を外して逃げるんですよ……」


 「手錠を外すって──いったい誰が?」


 「そんなの臥龍さんが外すに決まってるでしょ……」


 「いや、いくら鍛えてるからって手錠を外すなんて──」


 「臥龍さんなら出来ますよ……。ほら、自分で言ってたじゃないですか。『幼少期から数々の死闘を経験してきた』とか。『成人式は地下闘技場で地上最強の男を決める壮絶な大会だった』とかって……」


 「いや……あれは……まあその……」


 「え? もしかして全部噓だったんですか?」


 「う、噓なわけ無いだろ……」


 「じゃあこんな手錠を外すぐらい朝飯前ですよね?」


 「う……ま、まあな」


  よし、上手いこと誘導に成功したぞ。後は本当に臥龍が手錠を外すだけの怪力があるかどうかだが──ここはもう臥龍を信じるしか方法が無い。それに火事場の馬鹿力と言うものがあるぐらいだし、もしかしたら本当に外せるかもしれない──いや、もしかしたらじゃなくて、無理矢理にでも臥龍に外させないと僕たちは 殺されるだろう。だから何としてでも臥龍に手錠を外してもらわないといけないのだ。


 「それじゃあ、早く手錠を外してください……」


 「いや、ちょっと待て。手錠を外したらこの怪物たちが襲ってくるんじゃ──」


 「何言ってるんですか……。襲う気があるなら、もうとっくに襲われてますよ……」


 おいおい頼むぞ臥龍。ここに来て急にビビらないでくれよ……僕だって襲っては来ないにしても、怪物が近くにいるだけで十分恐いっつうの!


 「そ、そうだな……。いや待てよ──手錠を外したら襲って来るって可能性もあるんじゃないか?」


 「臥龍さん……。もしかしてビビってるんですか?」


 「なに言ってるんだよ……。俺が……ビビるわけないだろ……」


 「じゃあ早く手錠を外して──」


 「九条君……。実は君に隠していたことがあるんだ」


 「いや、そう言うカミングアウトは後でちゃんと聞きますから早く手錠を──」


 「この話しは今聞く必要があることなんだよ」


 「もしかして……やっぱりビビって言い訳を──」


 「だからビビって無いって言ってるだろ」


 こう言うパターンの時は大抵──いや毎回、臥龍の言い訳である。


 「実は……俺はやまいおかされているんだ……病でなければこんな手錠すぐに壊せるんだが……」


 「……………………」


 あきれ果てて何も言えなかった……。

 と言うか、こんな緊迫した場面でいったい何を言ってるんだこいつは!


 「お前……自分で『常に健康状態も絶やしたことは無い』って自慢げに言ってただろ。あれは噓だったのか?」


 「あれは……君に心配をかけない為の……大人としての配慮だ」


 こんな大人にはなりたくないと思った。


 「病に侵されてるって……それ本当なんですか?」


 一応訊いてみた。

 呆れた顔で。


 「ああ……。拳王けんおうを目指した男、臥龍は死んだ。ここに居るのは……ただの病と闘う男……つまり俺だ。病でさえなければなあ……」


 「お前はどこのしろがねの聖者だ……。こんな時にふざけてるんじゃねえよ」


 改めてこんな大人にはなりたくないと思った。


 「ちょっと待て。本当に……病なんだ。もの凄い……病なんだ」


 「もの凄い病って……何が凄いんだ……?」


 「君に隠していたが……もの凄い十二指腸じゅうにしちょう潰瘍かいようなんだ」


 「は? もの凄い十二指腸潰瘍なんて聞いたこともねえよ……結局ビビって言い訳してるだけじゃねえか」


 「言い訳じゃない。ほ、本当に凄いんだ……。せ……千飛んで十二指腸潰瘍なんだ」


 「はい?」


 「だから千飛んで十二指腸潰瘍だ」


 マジで何言ってんだこいつ……。


 「お前……病とか言って本当はビビってるだけだろ。数字遊びで誤摩化ごまかしてないでさっさと手錠を外せっての」


 「だ、だからちょっと待てって。今のは間違えだった……本当は一万飛んで十二指腸潰瘍だ」


 「それ数字のけたを増やしただけじゃねえか……。もう言い訳だったら後で何回でも聞いてやるから早く手錠を外せよ」


 「だから言い訳じゃ無いって言ってるだろ」


 「あきらかに言い訳だろ。どこの世界に一万飛んで十二指腸潰瘍の奴なんているんだ?」


 「分かった分かった、確かに一万は俺も言い過ぎた……。本当は百飛んで十二指腸潰瘍だ」


 「それもう数字飛んでねえだろ! 数字飛ばしてるヒマがあるなら僕を安全な場所まで飛ばしやがれ!」


 「俺だって飛びたいぞ! 俺の願いがもし叶うなら翼が欲しい!」


 「どこの卒業式の歌だ! 人生から卒業するかもしれないって時に下らないこと言ってる場合か!」


 「いや、飛ぶんだから下らないのは当然だ。むしろ上がるぞ」


 「そっちの下らないじゃねえ! お前はどうでもいいことだけすぐに頭が回転し過ぎて、思考が明後日の方向に飛んじまってるんだよ!」


 「ふっ。そんなことを言って、俺の上昇思考に嫉妬しっとしているな? まあ俺は常に思考を絶やさずに上昇し続ける男だから、君の嫉妬する気持ちも分からなくは無いが」


 「上昇し続けてるのはお前の馬鹿さ加減だろ!」


 「ちょっとアンタ達さっきから五月蝿うるさいわよ」


 くそ……。大声を出して灰玄に気付かれてしまった。

 ああ、せっかくの僕の作戦が臥龍の所為せいで台無しだ。

 こいつ言い訳だけで結局なんの役にも立ってないぞ。


 「ちょっと集中出来ないから、アンタ達は反対側を向いてなさい」


 そう言って、灰玄は僕たちの方に近づいて来る。

 しかし、今までのかしこまった口調とは一変いっぺんして実にフランクな口調である。


 これなら、もしかして友達に──なれるわけ無いか。

 手錠をかけて磔台に拘束する友達が、いったいどこに居るというのだ。


 それにしても、近づいて来る灰玄は柳眉りゅうびを逆立てているので非常に恐い。眼鏡をかけていないので余計に──って。

 あれ?

 眼鏡をかけていないぞ。


 「あの、灰玄さん……」


 「どうしたの?」


 僕は恐る恐る訊いてみた。

 

 「眼鏡はどうしたんですか?」


 「眼鏡? ああ。あれは伊達だて眼鏡よ」


 伊達眼鏡だったのか。しかし、人間。眼鏡を外すだけでここまで顔の印象が変わるものだろうか。

 釣り目ではあるが、眼鏡が有る無しでここまで雰囲気が変わる人も珍しい。


 「ふっ。灰玄さん奇遇ですね。実は私も伊達眼鏡なんですよ」


 「あっそ」


 「…………」


 灰玄が台詞を一蹴いっしゅうし臥龍が黙り込んだ。

 そして死ぬほど、どうでもいい情報だった。

 臥龍を見るとしょぼくれた顔をしている。

 だから、はげましてみた。


 「臥龍さん」


 「…………なんだよ」


 「ドンマイ」


 「うるっさい!」


 励ましたのに逆に怒らせてしまったようだ。と言うか、今のはわざとだ。


 「ほらほら。早く反対側を向きなさい」


 そう言って、灰玄は怪魚人たちに指示を出す。

 指示と言っても指で僕たちを差して、ジェスチャーのような合図を送っているだけで、そこに会話は一切無い。

 

  怪魚人たちが磔台をズルズルと引きづりながら反対側、つまり祭壇の逆の扉側に僕たちを向ける。そして、結構な震動だった。相当重い磔台みたいだ──しかも 怪魚人たちが間近まじかに来て磔台を移動させたので、その悪臭がピンポイントで僕の鼻に集中砲火して、文字通り鼻がひん曲がりそうになった。

 ていうか、怪物を飼い馴らしている灰玄っていったい……。


 「あの灰玄さん……。その怪魚人たち──恐くないんですか?」


 「怪魚人? ああ、螺蛇羅らじゃらの落とし子のこと? アタシもよく知らないけれどなついて来るのよ。それに慣れると可愛いわよ」


 いや可愛くないだろ……。その前に『らじゃら』って何だ?

 と言うか、正体も知らないで飼い馴らしていたんかい!

 神子蛇灰玄みこだかいげん

 どこまでも分からない奴だ。


 「アンタ達は螺蛇羅や、螺蛇羅の落とし子については詮索せんさくするだけ無駄よ。もうすぐ死ぬんだから」


 「──え? いや何で死ぬの?」


 「何でって、ここで殺されるからに決まってるじゃない」


 いやいやいや。答えになってないぞ!


 「何で僕たちが殺されなくちゃいけないんだ!?」


 「何でって、そこの学者小僧が無神論者だからよ。迷惑なのよね、こんな取ってつけたような哲学の名を借りて無神論の本なんて出されると。何が『真の神は自分の言葉の中に存在する』よ。こんなことを言う連中は皆消えてもらうしかないの。悪く思わないでね」


 どういうことだ? 臥龍が神様を否定したことに対して腹を立てているのだろうか。

 それに──『皆消えてもらう』とはどういう意味だ。今までにも他の神様を否定する人たちを皆……殺して来たのかこいつは。


 「いったい何で……無神論者を殺したりするんだ?」


 「まあ何でって訊かれてもねえ……。こっちにも色々と事情ってものがあるのよ」


 何か含みのある言い方だった。事情……いったい何の事情なんだ?

 と言うか、その前にどんな殺され方をするんだ? それぐらいは訊く権利があるんじゃないか?


 「ちなみに……殺すってどんな風に殺すの?」


 「生きたまま火炙ひあぶりだけど。助手の坊やはたまたま一緒に来ただけだから殺される理由は無いんだけど、まあ恨むならそこの学者小僧を恨みなさい」


 僕は臥龍をにらむように見つめた。

 そっぽを向かれた。

 と言うか…………。冗談じゃねえよ! なんで僕までとばっちりで殺されなくちゃいけないんだ! しかもオマケ感覚で!


 だが、この空間の酷い悪臭の原因が分かった。

 なるほど、今まで無視論者たちはこの磔台に生きたまま火炙りにされたから、こんな異臭がしていたんだな。それに磔台がこんなヌメヌメしているのも人間が生きたまま焼かれたからか。しかし生きたまま火炙りとは恐ろ──生きたままだと!?


 「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあああ! 生きたまま火炙りなんて嫌だあああああ!」


 「五月蝿いわね。男なんだから駄々だだをこねるんじゃないわよ」


 いやいや、自分の命がかかっているのだ。駄々の一つぐらいこねるのは当然だろ。

 しかも自分が殺されるって時に男とか女とか関係ないだろ。

 ここで駄々をこねずして、いつこねると言うんだ!?


 「嫌だ嫌だ嫌だあああ! 死にたく無い助けてえええ! まいう棒三本買って上げるからああああああ!!」


 「あっ九条君! 自分だけ命乞いだなんて卑怯だぞ! 俺だって死にたく無い助けてくれええええええ! お願いしますお願いします!!」


 「五月蝿い! 全くアンタ達は隣の部屋に居た時から、パンがどうたらこうたらとか言って暴れたりして五月蝿いったらありゃしない! 少しは静かに出来ないの?」


 「怒られちゃったよ……九条君」


 「いや怒られちゃったよじゃなくて! お前の所為で僕はこんな目に合ってるんだぞ。分かってんのか!?」


 「ああもう五月蝿い! すぐに準備するからアンタ達はそこでずっと駄々をこねてなさい」


 え? 準備って──本当に死ぬの!?

 僕の人生ってここで終わりなのか!? まだやりたいことがたくさん残ってるのに、そろそろ十七歳になるって言うのに、たった十六年で人生終了なのか!?

 ちなみに、僕の誕生日は八月だ。

 いや、そんなことよりも、マジでどうしたらいいんだよ!


 「あっそうだったのか!」


 臥龍が突然なにかをひらめいたように言った。これはもしかして、この土壇場で逃げ出す作戦でも思いついたのだろうか。


 「臥龍さんもしかして、この手錠を外して逃げる方法が分かったんですか?」


  「いや、大学の教授達の間で噂話うわさばなしになっているんだが──無神論者の学者たちが急に謎の失踪しっそうをすると言う話しなんだがな、それ が死体も見付から無いからニュースにもならずに、ただの失踪扱いになっているって話しなんだ。しかしこれでやっと無神論者たちの謎の失踪の秘密が分かっ た。犯人は灰玄さんだったのか──ああスッキリした」


 「全然違うし全然スッキリしねえよ、そう言う大事な話しは先に言え! と言うかお前も無神論者だろ少しは危機感を持て!」


 「だってただの噂話だぞ? それに人をすぐに疑うのは俺の主義じゃない」


 「お前のろくでもない主義の所為でこんなことになってるんだろうが……!」


 くそ……。

 こんなことになるなら、地道に冷房を買う資金を稼ぐ道を選ぶんだった。


  安易に助手として同行しなければこんな目に合わずにすんだのに……タイムマシンがあるなら、臥龍から「一緒に同行すれば冷房を買ってやる」と言われて浮かれている自分を全力で説得して止めることも──いや、それでは自分と自分が出会うことになるからタイムパラドックスが起きるかもしれないぞ。


 まあこれはゲームや漫画の知識で、実際にタイムパラドックスがなんなのかも知らないのだが。


 しかしだ、扉が見える向きに磔台を移動されて、この磔台から扉までの距離は約五十メートルぐらいだろうか。それぐらいの短い距離なのに……短距離走なら十秒ぐらいで届いてしまいそうな距離なのに……身動き一つ取れない今の状況では夜空の月ぐらい遠く感じる。


 「いよっし! それじゃあ始めるわよ」


 灰玄の威勢のいい声とともに、怪魚人たちが轟々ごうごうと燃え盛る巨大な松明たいまつを片手に持って近づいて来る。

 しかも「ルダ! ルダ! シュグス! ゼイデン!」と何度も繰り返し叫びながら。


 ああもう……灰玄も怪物たちも凄く盛り上がっちゃってるよ。

 本当に僕はここで死ぬんだな……。


 出来れば、最後にやり残したことを全部終わらせてから死にたかったけれど、誰もが自分の死の時を選べ無いということなんだろうな。たまたま交通事故で死ぬ人もいれば、たまたま自然災害で死ぬ人だっている。

 僕は、そのたまたまの中で、怪物たちに火炙りにされて死ぬというカードを引いてしまったのだろう。


 ちなみに、僕の人生でやり残したことは、まだ全クリしていないゲームと連載中の漫画を最後まで見ることが出来なかったことだ。


 そう考えると、余り深い人生を送っていないように思われそうだが──友達のいない高校生の僕にはかなり重要なことなんだぜ?

 一瞬……弟の鏡侍郎きょうしろうと母親の顔を思い出したが──二人は僕が死んだらどう思うのだろうか? 涙の一つぐらい流してくれるのかな?

 そう考えたら、なんだか急に悲しくなって来た──涙が出そうだ。


 これといって忘れられ無い大事な思い出が家族にあるわけでも無いのに、もう一生会えないと思うと本当に悲しい。これが血を分けた肉親にいだく感情と言う奴なのだろうか。


 きっと臥龍も僕と同じことを考えているのだろう。

 こいつの所為で僕は死ぬことになったのだが、こいつにも家族はいるんだよな……。



 やれやれ、まさか最後に見る景色が──目の前の教会の扉だなんて……。

 教会の扉なのに、なんだか地獄の扉のように見えて来て──その扉が壊れるぐらいの勢いで開いた。



 ──開いた!?



 その扉が開いた時、僕は神様や仏様やヒーロー様の存在を一瞬だけ信じた。

 僕は助かったのだと心の底から思った──だが現れたのは、神様でも仏様でもヒーロー様でも無かった。


  開いた扉の外は今までの嵐が噓のように静まりかえっている、そして真っ暗だ。どうやらまだ夜らしい。


 しかしいったい誰が扉を開けたのだろうか……。

 すぐには分からなかったが、だんだんと瞳が闇に慣れると──その扉の外に見えたのは、漆黒の軍服を着て顔が紫色に変色した、数え切れないほどのゾンビの集団だった。


 怪魚人ほどでは無いが、身の丈は軽く二メートル以上はありそうなゾンビの集団である。

 そのおびただしい数のゾンビの集団の中から一人だけ、僕と同じぐらいの身長の漆黒の軍服姿で、口にくわ煙草たばこをした女性がゆっくりと、悪魔のような笑みを浮かべながらこちらに歩いて来た。


 女性の左の前腕ぜんわんから手首には、鉄のようなくさりがぐるぐると巻かれている。そして、その漆黒の軍服姿の女性は人を食ったような口調で灰玄に話しかけた。


 「よう、久しぶりだなマグソ蛇女。お楽しみ中みてえだがパーティーはお開きだぜ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る