第10話 その座はちいさな友達のために

 からりと晴れた昼下がり。

 砂糖菓子のような外観の建物のドアには『定休日』の札がかかっている。


 しかし、店の前には十数人ほどの人だかりができていた。


 店長を務める男が福々しい笑顔で扉を開ける。

 途端、わあっと歓声が上がった。


 開かれた戸口へ子供たちが駆け込んでいく。

 王都いちの玩具店は本日貸し切りだ。


「先日はすみませんね、配慮が行き届きませんで」


「いえ! ……いえ、そんなことは」


 マティアスが軽く頭を下げて(ドアの寸法より背が高いためだ)戸口をくぐったのに同行し、俺は話しかける。

 彼はどこか夢うつつといった様子で、あたりをぼうっと見渡していた。


 店内では数人の子供たちが、マティアスに負けず劣らずぽーっとした様子で行き来していた。


 子供たちは皆、簡素ながらこざっぱりとした格好をしている。

 垢じみたり哀れな様子はない。


「今日は勇者様のご厚意で、好きな玩具をどれでもひとつ選んでもいいそうだ」


「「「はーい!」」」


「うむ。帰ったら皆でお礼状を書こうな」


 子供たちは老僧へ朗らかに返事をすると、ふたたび各々の楽しい難事業に没頭しはじめた。

 なにしろこの子たちはこれから、多種多様な玩具からいちばんのお気に入りを決めなければならないのだ。


 皆、あの日俺が中庭で出会った子たちだ。

 寺院で養育する、他に身寄りのない子供たちだった。


 マティアスは、正確には寺院を預かる老僧の養子である。

 けれどもこうした孤児たちとほとんど分け隔てなく育てられていた。

 成人した今でも兄弟妹きょうだいのような、兄貴分のような関係なのだそうだ。


「世話する子らを差し置いて、大人のあなただけぬいぐるみを貰う訳には行きませんよねえ」


「はい」


 やり取りはそれでおしまいだった。

 やはり彼は、自分の内側に湧きおこるものを、他人に伝える必要性を特に感じていないらしい。


「俺としては筋を通したつもりなのですが……改めて提案をさせていただいても?」


「私と対話するために、この場を設けたと?」


財布スポンサーはミロスラフだからお気になさらず。彼も『それはとても良いお金の使い道だね』と快諾してくれましたしね。まったく、あいつらしいというか」


「……ですが、発案はあなたなのですよね。でしたら、こちらも無碍むげにはできません」


「ありがとうございます」


 これでようやっと開始地点に立てた。

 俺はマティアスを伴い、店の奥まった一角へ移動する。


 ぬいぐるみが棚にずらりと並ぶ前に立って、俺はマティアスを振り仰いだ。


「この中から、どれでも好きな品を一体選んでくれますか? 申し訳ないのですが今回の主旨と、あと予算の関係でぬいぐるみに限定させてください」


「……すみません、私には難しそうです」


「ではこう考えてみては? 貴方の中に小さな椅子があると仮定してください、そこに座らせてみて、しっくり来るものを選んでみる」


「小さな、椅子?」


「そうです。いやまあラグでもクッションでも、そこは何でも良いのですが」


「……うーん?」


 前回失敗した要因は孤児たちの存在の他にももう一つあった。

 俺は自身の目的のために、お仕着せの品をマティアスに押し付けようとしていたのだ。


 それは俺の目指すことにとっては妨げにしかならなかっただろう。

 実際のところ、俺は子供達のおかげで挽回の機会を得られたといえた。


「貴方の中に住まわせる、小さな友達を作ってやるんです。そして今後、良くも悪くも日常から逸脱した出来事に出会ったら『この子だったらどう考えるだろう?』と思考するというのはいかがでしょう。という、これは提案です」


 いわば、彼の深い場所に埋まった自己主張を掘り出すための依り代といったところだ。

 ごっこ遊びに過ぎないかもしれない。

 だが、まずはそこから始めるべきだろう。


 これは9歳まで俺の相棒をつとめてくれていたクマの坊やちゃんにあやかったアイディアだ。

 今でも俺は、打ちのめされるような経験をした日の夜に心の中で自己対話する。

 その土台を作ってくれたのは、ベッドの中で坊やちゃんに内緒話をしていた子供時代だったのは明白だった。


 そんな心からの相棒をこれから彼は作るのだ。

 俺任せにさせることは、本来してはならなかった。

 すまんネズミ。

 返品不可だそうだから当座は俺のデスクに鎮座していてくれ。


 マティアスはわけがわからない、といった表情をしていたが、とりあえずは従う気でいてくれるようだった。


「……きっと、とんでもなく時間がかかります。構いませんか?」


「もちろん。そのために終日貸し切りにしています」


 そこから先はすごかった。


 マティアスはぬいぐるみの陳列棚の前をなんども行ったり来たりし、屈み、観察し、首をひねり、唸り、懊悩の限りを尽くした。

 子供たちがめいめいの気に入りの玩具をとっくに選び終えたあとも。

 老僧と子供たちを土産の菓子付きで送り出して、俺と二人だけで店内に残された後も。


 すっかり日が暮れて、店長が何か恐ろしいものを相手にするかのような丁重さで店内に明かりを灯してくれてからも。


 マティアスは考え続けた。


「この子にします」


 そしてとうとう、ひとつのぬいぐるみを指さした。

 それは茶色い仔ヤギを模したもので、片腕がほつれて取れかかっていた。


「たいへん失礼しましたお客様、そちらは不良品です。ただいま倉庫から美品をお持ちし――」


「いえ、結構です。……この子がいいのです」


 マティアスが即座に断って見せる。

 それだけで、長年子供たちを相手にしているであろう店長には何か得心するものがあったらしい。

 彼はそれ以上何も言わず、手ずから仔ヤギの首にリボンを花結びするとマティアスへ手渡した。


「どうぞお連れ下さい。大事にしてあげてくださいね」


「はい」


「お代は銀貨7枚です」


 こちらは俺に向き合ってからの言葉になる。

 ……労働者の日当が吹っ飛ぶ額面だ。

 さすが高級店。


「まかりませんか。傷アリでしょう?」


「はあ。……では勉強させていただいて、銀貨6銅貨30で」


 小声で手早く話をまとめると、俺は自分の財布から料金を支払った。

 これはこれで、俺なりに通す筋というものだろう。




 以後、マティアスのサーコートには小さな刺繍が加わった。

 茶色の糸で仔ヤギをかたどり、右肩には白でステッチを入れた図案だ。


 件のぬいぐるみは、寺院の枕元にハンカチを敷いて座って貰っているのだそうだ。


 どれも、後年のマティアスから直接聞かせてもらった話だ。

 その頃には彼も相応にくだけた会話に付き合ってくれるようになっていた。


「例の遺跡攻略に出向いたのって、あの後だったか?」


「そうですね。お陰様で私の方も多少は交流が成り立つようになっていたのですが……まさかあんな理由で帰参することになるとは」


「あー……アレか」


「そう。アレです」


 俺たちは深く頷きあうと、つまみとして出された漬物をかじる。

 なんでも食用花の蕾の酢漬けだとか。

 なかなか悪くない味だった。

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