第9話 知らないはずの名前

 壁にめり込んだアリオトを見ても、ファクダやベネトナシュはさして動揺していないようだった。魔導人形だから感情が読み取れないせいなのかもしれないが。仲間の安否には関心がないらしい。


 気を失っているのか、アリオトは動かない。だが油断を誘うための罠かもしれないので、迂闊に近づくのはやめた。


「なるほど。本気でないとはいえ、アリオトを倒すとは、剣聖の称号は本当のようですね」


 ファクダがそんなことを言ってくる。今まで信じていなかったのか。まぁ実際、ファクダには傷一つ付けられなかったので仕方がない。


「強くなったわね、エラルド」


 その言葉がベネトナシュから発せられたものと認識するまで、数瞬かかった。


「え……なぜ俺の名を知っている?」


 どういうことだ。俺は剣聖であると明かしてはいるが、セプテントリオに入ってから一度も名乗っていない。ベネトナシュから、【エラルド】という単語が出るはずがないのだ。


「あれ……私、今なんて言った?」


「エラルド、と。その男の名ですか?」


「いや、分からない。私は彼のことなど知らないというのに……」


「普通に不具合なんじゃないの?」


 アリオトが起き上がり、指摘した。


「有機物でできた私とは違って、あんたらの素材は経年劣化する。私みたいに超速再生もできないなんだから、有り得る話でしょ?」


 見ると、確かにアリオトの四肢はもとに戻っていた。ヒレに変化させ切り離した右腕も、再生している。


「いや、俺の名前は確かにエラルドだ。申し遅れたが、俺はハプルーン王国十三代目剣聖、エラルド・ステファノプロスという」


 俺が名乗ると、ファクダたちは一応頭を下げた。それなりの礼儀は仕込まれているらしい。アリオトは腕組みをしたままだが。


「ベネトナシュがあんたの名前を口走ったということは、ヨハンナ様から移植された記憶の中に、あんたの名前があったということね。案外、幼い頃に会っていたのかも」


「そんな記憶はないんだが」


「当然でしょ。だって……」


「アリオト。待って。聴かれてる」


 アリオトが何か重要事項を言いかけたときだった。ファクダが俺の胸元の徽章を掴み、耳を近づけてきた。


「遠隔感知魔術ね」


「なんだと?」


 これは剣聖を襲名したときに賜った徽章だ。いつの間にそんな魔術を仕込まれていたんだ?


「ハプルーン程度の技術レベルでも、盗聴くらいはお手の物って訳ね」


 ファクダは無表情ながらも、苛立ちを露にする。


「待て。俺はこんなの知らない!」


「分かってる。あなたは利用されただけでしょうからね。とにかく、さっさと待避しないと……」


「そんな隙は与えない」


 見ると、胸元の徽章から魔法陣が壁に投射され、人が這い出してきていた。


 白銀の鎧を纏い、剛剣を背負っている。


「ヘルメスベルガー!」


 目の前に立ちはだかっていたのは、ハプルーン王国騎士団長だった。

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