第58話
アシュリーはオースティンを見据えた。
涙と鼻水だらけの惨めな姿を見ても心が痛むことはない。
「……っ、すま、なかっだ。許し、てッゴホ……!ゴホッ」
王妃はオースティンの姿を見て我慢ができなかったのか、彼の元に行き、背を擦りながら大粒の涙を溢している。
「アシュリー、お願い……!何でもするわ!あなた欲しいものは何でもあげるっ」
「頼むっ……!」
オースティンの口から掠れた声で『助けてくれ』と聞こえたような気がした。
今更縋りついたところで何もかもが手遅れなのだ。
アシュリーがこうして話を聞いて欲しいと縋った時、彼らはなんと言ったのだろうか。
暴言を吐かないだけマシだと思ってほしい。
まさにあの時の絶望を再現しているようだった。
(滑稽ね……本当にくだらない)
そんな悲痛な叫びを聞いてもアシュリーの心は動かなかった。
こんなに苦しんでいる姿を見ても少しの罪悪感も感じない。
怒りと憎しみは燃え上がるばかりで消えないのだ。
アシュリーは大きく息を吸った。
そして貼り付けたように笑を浮かべた後に、こう答えた。
「嫌ですわ」
広間に響き渡る声。
それには皆、言葉を失った。
「………ぁ」
「なっ……何故だッ!?」
「先ほども申し上げましたが、わたくしやペイスリーブ王国に何のメリットが?わたくしはギルバート殿下とペイスリーブ王国のためにしか力を使うつもりはありませんから」
アシュリーは最初から話し合うつもりなどない。
心がこもっていない上辺だけの謝罪を受けたところで何も意味はなかった。
「なっ……!我々はちゃんと謝罪をしたではないか!」
「そうですね。ですが、わたくしはあなたたちを許す気にはなれませんでした」
「……っ!?」
「あなたたちが死ぬほど嫌い……大っ嫌い」
そう言ってアシュリーは笑みを深めると、サルバリー国王たちは怒りに肩を震わせている。
オースティンの体からは力が抜けて、ついにはその場に膝を突いてしまう。
「オースティンッ!?しっかり……!」
「きっ、貴様ッ!絶対に許さん!許さんぞ……っ!」
「なんて人なの!悪魔だわ……あなたは悪魔よっ」
唾を吐き散らしながらアシュリーを怒鳴りつける姿を見ていると、おかしくてたまらなかった。
以前は涙を流しながら踵を返したが今回はそうはいかない。
(……絶望を味わうがいいわ)
荒く息を吐き出しながら暴言を吐き散らすサルバリー国王と王妃を見て、ギルバートの表情に怒りが滲む。
そして二人を囲むように刺々しい真っ黒な闇が囲った。
あまりの禍々しさに騎士たちすら動きを止めた。
「愛する妻への暴言は見過ごせません」
「……ッ!?」
「サルバリー国王、これはペイスリーブ王国への宣戦布告でしょうか?」
「こ、これは……」
「今すぐこの場から消えろ」
ギルバートの言葉にサルバリー国王は引き下がろうとはしない。
オースティンは高熱に魘されているのか、譫言のようにアシュリーの名前を呼び続けている。
騎士たちはギルバートが発したその言葉にサルバリー国王、王妃、オースティンや医師のカルゴを取り囲み、扉へと促す。
ビリビリと背後から伝わる圧迫感に困ったように微笑んだアシュリーはギルバートの頰に手のひらを滑らせた。
背伸びをした体に合わせて、真っ赤なドレスがサラリと揺れた。
「あらあら……ギルバート殿下」
今にもサルバリー国王たちを殺してしまいそうなギルバートの手を握り、そっと力を込めた。
淡い光がギルバートを包み込む。
今、オースティンが喉から手が出るほどに欲している力をあえて目の前で使っているのだ。
「ギルバート殿下、落ち着いてくださいませ。わたくしは大丈夫ですから」
その言葉に正気を取り戻したのかギルバートは詰まっていた息を吐き出した。
「今、ギルバート殿下がこの場でこの方たちを殺したら、わたくしが復讐できないでしょう?」
「……アシュリー、君は」
「あら、わたくしったら。うっかり口が滑りましたわ!」
「ははっ……やはりアシュリーには敵わないよ」
二人の間には普段と変わらない和やかな空気が流れていた。
それでもギルバートは気が収まらないのか、手のひらで目元を覆ってから小さく首を振る。
「気分が悪い。アシュリー、行こう」
「ま、待ってくれ……!」
「アシュリーを悪く言うあなたたちとこれ以上は話すことない。今すぐに帰ってくれ」
「誤解なのよ!これは違うの……!」
アシュリーはドレスの裾を持って軽く会釈する。
「……さようなら」
それには国王も王妃も、目を見開いて首を微かに横に振ることしかできない。
「こんな侮辱……許されない、許されないぞッ!」
伸ばされた手を取ると往生際悪く声を上げたサルバリー国王にギルバートは不敵な笑みを浮かべながら答えた。
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