010:二重契約

 アランとの契約の顛末について語った所で、僕は一旦、話を区切った。


 勿論、空白の二日間については省いた。そこで得たことは語るまでもなく、ヴラドはよく知っているに違いないからだ。

 

 実際の所、此処までの話は準備段階以外の何ものでもなかったが、経緯とは順を追って説明するに越したことはない。

 

 それに、僕の手品道具の出所について話すことになるのは、嫌がおうにも想像できることだ。


 何しろ、胡乱な所業に転用出来そうな代物ばかりである。

 

 例えば無煙火薬。


 ヴラドに対し、事の顛末を語る上で最も大変な事はまさしくそれだ。


 アランとの契約がある以上、その製法を語ることは是が非でも避けたい。


 嘘をつく事に罪悪感はないが、契約は蔑ろにするべきでは無い。それが僕の信条だった。

 

 おかげで、多少手の込んだ嘘をつく羽目になった。


「それで、お前は錬金術師に対して新たな赤色塗料の製法を売り込んで、自分の手品道具の材料の仕入れを取り付けたわけだな?」


 取引材料を無煙火薬から赤色塗料に擦り換えたそれだけの嘘だ。


「その通りです。ベンガラという緑礬を強熱して出来る塗料です。劣化し難く発色も良く文句なしの一品です。彼の顧客には鉱物絵の具を欲する画家も多いので、大いに喜ばれましたよ」


 嘘はあまり多く無い。


 ベンガラも無煙火薬も原料は緑礬であるし、無煙火薬の主成分は塗料の溶剤としても利用される。ニアピンに次ぐニアピンである。


 ある一つの物事に一つだけの側面しかないことは有り得ないのだ。

 

 ヴラドは其の深淵のような瞳を伏せ、机の天板を数度叩いた。何か碌でもない事を考えている様に見える。


「ああ、そうだな。君はどうやって日銭を稼げるまでに芸人として成り上がったんだ。その秘訣はあるか?」


 ヴラドは話を変えてきた。意図は読めない。

 

 彼も芸人になりたいのだろうか、数え切れない人間を吊るしてきたこの男が?


「他の方達と大して変わりません。適切な場所で、目新しい事を、派手にやればいいのです」


 当たり障りの無い返答。これがベストに思えた。


「派手にか?炸裂する花吹雪や塗料のことなら聞き及んでいるが、それのことかな?」


 否定のしようはなかった。


「部下の話では、嗅いだことの無い類の火薬の匂いがしたらしいが、何か知っていることは?」


 ヴラドの薄い唇が三日月状の弧を描く。鋭い白磁の八重歯が覗いている。


「てっきり、君が売り込んだのはその火薬じゃ無いかと踏んでいたんだが、どうやら違っていたようだ」


 導火線の焼ける音より恐ろしい声が石室に反響する。


 その最中、僕の脳裏にはただ一つの後悔の念が渦巻いた。


『派手にやり過ぎた』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る