第5話「エルフと自由と尊厳」
境界の町ボーダニアは、その名の通り人間領と魔族領との国境付近にある町だ。遠くの空から見てもわかるほど、町の周囲にはしっかりとした壁が建てられていて、万が一魔族が攻めて来ても大丈夫、という強固な砦のような町だ。
なぜそんな危ない場所に建てられているのかまでは知らない。昔は魔族ともそれなりに交流があったとか、多分そんなところだろう。
俺たちが町へ辿り着いたころには、辺りはすっかり真っ暗になっていた。
町の門番と思しき兵士のおっさんの許可を得て町へ入る。
はじめて訪れた町だ。色々と見て回りたいのはやまやまだが、まずはとにかく寝床を確保しなければ。
疲労と空腹のダブルパンチ……いや、眠気も合わさりトリプルパンチか……に耐えながら目に入った宿屋へと飛び込んだところで、一つの問題が発生した。
「えぇっ!? あと一部屋しか空いてないの!?」
初対面のエレンと同じ部屋に泊まることになってしまったのだ。
俺は別に気にしないのでそれでいいと言ったのだが、エレンは最後まで宿屋の女将と交渉していた。徒労に終わったようだが。
メルコのことはやっぱり見たことがないらしく、最初は断られそうになったが、エレンが珍しい妖精だと説明すると、まあそれなら特別に、と許可をくれた。
犬なんだし外でもいいだろ、とは思ったが、メルコににらまれたので黙っておくことにした。
そしてここで、二つ目の問題が発生した。
「なんだいこの紙切れは? こんなの使えないよ」
そう、この世界で日本円が使えるはずもなく。
俺が財布から取り出した一万円札は、この世界では文字通りただの紙切れなのだ。
このままでは野宿せざるを得ない。だがここまで来て外で寝るなんて――と、俺が頭を抱えていると……。
「しょうがないわねぇ……私が出しといてあげるから、あとで返しなさいよね」
「え、エレンっ――!」
旅は道連れ、世は情け――。
俺はエレンに感謝すると、ここぞとばかりにメルコを抱かせてやった。
メルコは嫌がったが安眠のためだ。今回ばかりは我慢してくれ。
とにもかくにも、これで泊まる場所は確保できた。
俺たちはうまそうな匂いに誘われるようにして、隣の酒場へ転がり込んでいた。
「んっ……、んっ……ぷはぁっ!はーっ、生き返るわー!」
エレンはジョッキ一杯になみなみと注がれた酒を、一息で飲み干した。口元についた白い泡をぺろりと舐め取る姿が、絶妙におっさん臭い。
酒場にはちらほらと客が居た。どいつもこいつも飲んだくれのおっさんばっかりで、この空間で唯一の女であるエレンをじろじろと見つめてくる。
エレンは視線に気づいてないのか、気持ちよさそうに酒を飲んでいる。
本人が気にしていないなら、わざわざ問題にすることもないか。
気色悪い視線を無視して、俺も食事を楽しむことにした。
「豪快な飲みっぷりだことで。エルフってもっとこう、お淑やかに葡萄酒とか飲むもんじゃねえのかよ」
「偏見よ、それ。ワインも嫌いじゃないけど、私は断然こっちが好き。味より風味より、飲みやすさと喉越しが大事」
「ふーん。そんなもんかねぇ」
酒の味がわからない俺は、チビチビと何の果物かもわからない果実ジュースを飲む。柑橘系っぽいが、これが結構甘くてうまい。
鶏肉っぽい肉を口に運ぶと、口の中でほろりと肉がとろけた。赤黒いソースからは、想像もできないような深い味わいが口いっぱいに広がった。どちらかと言えばハヤシライスのルーのような味がして、見た目ほど辛くない。むしろ甘いくらい。
照り焼きチキンとビーフシチューを足して二で割ったような料理を、俺はとても気に入った。
「うっめえな! 何の肉だ、これ」
「ロックバードじゃないかしら。岩山に好んで巣を作る変な鳥よ。鳴き声がものすっごいうるさいの。近くで聞いたら鼓膜が破れちゃうくらい。でもお肉は美味しいのよねぇ」
何やらとんでもない生態をさらっと言ってのけられたが、こっちの世界ではそのくらいが普通なのかもしれない。
まあ、あっちでも毒を持つ動物を食べたりするし、ちょっとくらいの危険は美食には付き物か。死にそうな目に遭ってでも美味いものを食べたいと思うのは、生き物として当然の欲求だと俺は思う。
「カズヤよ、早く余にも寄越すのじゃ」
「はいはい、取り分けてやるから慌てんなって。ほら」
肉を小皿に取り分けて、テーブルの下で伏せていたメルコの前に置く。お待ちかねの肉に飛びつくと、小さな口ではぐはぐと必死に食べ始めた。
口元をソースで汚しながら食べる姿がまたかわいい。
「そういや、エレンはなんでこの町に来たかったんだ? なんか用でもあんのか」
「私? 特に理由はないわよ。強いて言えば、まだ来たことがなかったからかしら」
「なんだそりゃ。旅行でもしてんのか」
「うーん、世界を見て回るのも目的の一つではあるけど、どっちかといえば自分探しの旅って感じかなぁ」
酒が回りはじめたのか、エレンは酒を置くと、ほんのり火照った顔で語り始めた。
「私は北の森にあるエルフの集落で生まれ育ったんだけど、これがまぁなーんにもないところでさぁ。格式だのしきたりだのめっちゃ
「たしかにな。ちなみにエレンは今何歳なんだ?」
「えーっと、この前旅を始めて十五年経ったから……今年で百十六歳かな、多分」
「ひゃ、百十六⁉ 俺よりめっちゃ年上じゃねえか……」
「あはは、そりゃそうよ。私の方がお姉さん――って言っても、百歳まで森の中で暮らしてた世間知らずだけどね」
「でも色んな知識はあるんだろ」
「知識だけよ。それを役立てる機会がないなら、知識があったって意味ないじゃない」
それはそうかもしれない。
どれだけ知識を深めたところで、実際の見聞、体験に勝るものはない。
百年も同じ場所で生き、変わらない毎日を送るのが一体どんな感じなのかはわからない。
きっと退屈なんだろうな、と俺は思った。
そっか、とだけ相づちを打つ。
気持ちよくなってきてるのか、エレンはさらに続けて喋る。
「エルフが長命で聡明なんてのは、森の奥でひっそりと暮らす臆病者って話なだけよ。危険が無いから死なないし、やることないから毎日魔法の勉強したり鍛錬したりしてるだけ。種族としては正しいのかもしれないけど、私は……そんなのちっとも面白くない!」
嫌な過去を飲み下すように、エレンは酒をあおった。
どんっ、とグラスをテーブルに叩きつけると、恨みがましく吐き捨てる。
「あんなところで長い人生を無駄にするなんてまっぴらごめんよ! 私はもっとこの世界のことを知りたい。直接この目で見て、聞いて、いつか村のみんなに自慢話をしてやろうって、そう思った。だから私は、百歳の誕生日を機に、無断で森を抜け出したの」
「やっぱり勝手に森を出たら怒られるのか?」
「そんなことないわ。森を出たらあとは自由の身。どこへ行っても、何をしてもいい。けど、二度とあの森には帰れなくなる。一度勝手に森を出たエルフは、精霊たちに嫌われてしまうから」
エレンの声のトーンが下がる。なぜかは、聞かなくてもわかった。
「……森を出たこと、後悔してるのか?」
「――全ッ然! 外の世界はどこへ行っても何を見ても新鮮ですっごく面白いもの。後悔なんてしてないわ」
強気な言葉とは裏腹に、エレンの瞳にはどこか寂しそうな色が映った。
どれだけ不満があったとしても、故郷は故郷だ。二度と帰れないとなれば、それなりに思うところはあるだろう。
それに、二度と帰れないんじゃ旅の話を聞かせられない。だから余計に後ろ髪を引かれて、振り返ってしまうんだと思う。
でもそれはエレンの問題だ。俺がどうこう言うべきじゃない。
俺は俺が感じたままを口にすれば、それでいいんだ――。
「――カッコいいじゃねえか」
「え?」
「周りに何を言われても、お前は自分で自分の生き方を選んだんだ。簡単にできることじゃない。きっとたくさん迷って、それでもやっぱり『森の外に出たい』って決心したんだろ。そりゃあ後悔することはあるかもだけど、少なくとも間違いなんかじゃないと俺は思うぜ」
「カズヤ……」
エレンが森で過ごした百年間は、きっと無駄じゃない。十五年もの間、一人で旅を続けてきたのが何よりの証拠だ。一人で生き抜くための知識とか技術とか……剣の腕だってそうだ。生まれた森でエレンが身に付けたもの全部が、今に繋がってるんだ。
しんみりと故郷を懐かしむような表情を浮かべるエレンに、ちょっと自虐気味にこれまでのことを語ることにした。
「実は俺も似たようなもんでさ。この世界のこと何にも知らねえから何見ても驚きっぱなし。今日なんて、突然空から落っこちたかと思ったら山ん中でバカデカい熊に襲われてよ」
「あはははっ、何よそれ。作り話じゃないの」
「マジだって! あん時はガチで死ぬかと思ったわ。エレンはないのかよ、そういう経験」
「十五年も旅してるのよ? もちろんたくさんあるわ。この間なんて、危うく牛に殺されるところだったわ」
「牛⁉ どうやったら牛に殺されるんだよ。ぜってー話盛ってるだろ」
「本当よ! ただの牛じゃなくて、頭が三つもあるヘンテコな牛で――」
「牛じゃねえだろそれ!」
それからはもう、あることないこと話して大盛り上がり。
エレンがどんどん酒を飲むから、俺も負けじと飯を頼んでバクバク食べた。
「じゃんじゃん頼みなさい! 今日は私が奢ってあげるわ!」
「いよっ、太っ腹! さすがは世界を股にかけるエルフ様!」
エレンがテーブルに金が入った小包を出して見せる。どんっ、と重く鈍い音からして、それなりに金が詰まっているようだ。
本人が言うんだ。遠慮する必要はないだろ。
俺は興味のある料理を片っ端から注文し、異世界グルメを満喫した。
テーブルの下で俺たちの話を黙って聞いていたメルコは、いつのまにか眠っていた。
しばらくして、酔いつぶれたエレンに肩を貸して、俺たちは宿屋へ戻った。
金はもちろん、全額エレンの財布から支払った。
†
「おいエレン、部屋についたぞ。いい加減自分で立てって」
「……んー、まだぁ飲めるわよぉ~……」
ダメだこりゃ。すっかり出来上がってしまってやがる。
宿屋の部屋は簡素だがそれなりに綺麗な部屋だった。部屋の扉の正面奥には両開きの窓があり、間隔をあけて並ぶ二つのベッドの向かいには、小さめの箪笥が置かれている。あとは部屋の片隅に丸テーブルと椅子が二脚置かれているだけなんだが、正直悪くない。
古民家にでも泊まりに来たと思えば、むしろ風情があるくらいだ。
「ベッドに寝かせておけばよかろう。エルフの小娘が寝ている間にこれからの話をするのじゃ」
それもそうかと思いながら、エレンをベッドへ寝かせて布団をかけた。
すぐに寝息を立て始めたのを確認して、俺は部屋の窓を開ける。月の光が部屋に差し込み、肌を撫でる夜風が気持ちいい。
「さてと、それじゃあこれからのことだが……とにかくまずは金をどうにかしねえとな。このままエレンのヒモになるワケにもいかねえし」
「そうじゃな。ならば明日の朝はあそこへ向かうといいじゃろう」
「あそこって?」
「ここから北東へ少し行ったところに洞窟があるのじゃが、その奥に余の隠れ家があるのじゃ。魔法で隠蔽してあるゆえ、今も誰にも気づかれず残っておるはずじゃ。保管してある武具や財宝を売れば、それなりに金になるじゃろ」
「おお、さすが魔王だ! 素直に助かるぜ」
「ふふん。もっと褒め称えるのじゃ」
メルコはおすわりしたまま鼻を鳴らした。カッコつけてるようだが、むしろ可愛さ倍増だ。しっぽを左右に振って上機嫌なのが見て取れる。
俺が頭を撫でてやると、さらにしっぽの振りが加速した。
かわいい。
「そういやメルコって、産まれた瞬間から自分が魔王だって自覚があったのか?」
「いいや、そんなことはないのじゃ。余がきちんと己が何者か自覚したのは、産まれてからおよそ一年後のことじゃ。世界を超えた弊害じゃろう、すぐには意識と体が適応できんかったのじゃ」
「なるほど。魔王だった頃のことは全部覚えてるのか?」
「無論じゃ。しかし、余にわかるのは余が死ぬまでのこと。酒場におった者たちの会話に聞き耳を立てておったが、どうやら今は余が死んでから六年ほど経っているようじゃ。その間のことは余にもわからぬ」
「六年か……情勢が変わるには十分な時間だな。今はまだ戦争にはなってないみてえだが――」
「それもいつまで続くかはわからぬ。もし万が一、あやつが魔王として魔族を従えておれば、そう遠くないうちに戦端が開かれるはずじゃ」
「何だよ、次の魔王が誰なのか心当たりでもあるのか?」
俺の質問に、メルコは一拍間を置いて答える。
「――不死鳥の悪魔フェネキス。地獄の窯より生まれし煉獄の悪魔じゃ」
不死鳥……フェニックスのことか?
それなりに有名な神話生物だが、こっちでは悪魔として活動してるのか。
不死鳥は自ら体を燃やして再び蘇えると言われてる。
――となれば、不死鳥の名を冠するフェネキスにも、同様の力があると考えていいだろう。
「不死身の悪魔なんて、勝ち目あるのかよ」
「普通に戦ってはまず無理じゃな。付け加えるならば、あやつの一番の武器は不死性ではなく、そのカリスマ性にある。独特な言い回しと立ち居振る舞いは、なぜか見る者聞く者の心を強く揺さぶるのじゃ。余の臣下たちも、今頃はあやつの甘言に丸め込まれ思想を塗り替えられてしまっておるやもしれぬ……」
多種族を一挙にまとめ上げる手腕は、王として必要な素質だろう。
はたしてそれが、本物の王としての資質なのか、詐欺師としての資質なのかは疑問が残るところだが――。
「最悪、お前の仲間が敵になることも覚悟しなきゃいけないかもしれないな」
「……仕方のないことじゃ。皆、信じるもののために戦っておる。余の前に立ち塞がるのであれば、誰であっても排除せねばなるまい。それが余の……第三十五代目魔王、メル・クゥ・マルコシアスとして果たさねばならん責務じゃ」
「――マルコシアスですって⁉ ……あ」
その時、隣のベッドから何かに驚愕したような叫び声が響き、少し遅れてやらかしたことに気付いた間の抜けた声が漏れた。
エレンだ。どうやら話を聞かれてしまったらしい。
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