第42話 豹変(水島悟視点)

 水島は来瀬の大人しく後ろをついていった。


 目の前の後ろ姿をじっと見つめる。


 一体何を考えているのか。


 灰谷と話させたくないと言う思惑は分かっていた。だが、憔悴しきった灰谷と話せるとは思えない。出来ることからやっていかなければならない。まずは来瀬に事実を突きつけて引き剥がすのが先だ。


 歩いて一分もしないうちにたどり着いたのは、近場の寂れた小さな公園。


 日暮れの光に苔のむしたベンチが沈んでいる。雑草は膝まで伸び、人気はない。まるで、ここだけ時間が止まったみたいだった。


「それでどうしたの?」


 来瀬は公園の真ん中で足を止めるとくるりと水島に向き直った。


 水島は一息着くと相手をまっすぐ見つめて言い放った。


「もう……これ以上、優を巻き込まないでください」

「何、言ってるの?」


 来瀬は何のことか分からないといった様子で小首を傾げている。


 水島は来瀬を睨めつける。


 来瀬は今までもその誰もが目を奪われる可憐な笑顔で、心に潜むどす黒く浅ましい本心を覆い隠して来たんじゃないか。


「俺は……優が文化祭で衣装を台無しにした犯人にされてるのも、来瀬さんが関係していると思っています」

「なんで……そんなこと言うの?」


 来瀬は笑顔を張り付けたまま、押し黙っている。


「ううん、わかるよ。親友だもんね? 親友があんなことしたなんてショックだよね。信じたくないよね。私だって信じたくないけど、証拠だってあったでしょ? 状況を考えればあれは灰谷君の仕業だと考えるほかに――」

「佐藤さんから全部聞きましたよ。佐藤さんに命令して俺に告白させたことも、来瀬さんと佐藤さんとの過去も」

「………」


 来瀬は押し黙る。


「思えば俺を含めて他のクラスの人間も騙されていたんです。それは、品行方正、才色兼備、誰にでも優しい来瀬麗華があんな事件に関わっているわけがない。そういう思い込みがあったからだと思います」

「…………」

「だけど、佐藤さんの話を聞いて思い込みから解放されてしまえば、来瀬さんを疑うのはごく自然なことでした。誰もが羨み慕う来瀬麗華は虚像で、本当の来瀬さんは何か後ろ暗い闇を抱えた人間だった。そうなれば、むしろ疑わない方がおかしい。あなたは事件が起こる直前に優と教室にいてその後姿を消している。これ見よがしに空の墨汁や衣装の布切れが優の机やロッカーに入ってるのも不自然だ」

「…………」

「佐藤さんから聞いたのですが、来瀬さんの行動はの目的は優を疎外させることだったんですね。わざわざ佐藤さんに告白させるなんて一見して意味の分からないことをした」

「…………」

「ても、優を孤立させることが目的なら、あの事件も来瀬さんが裏で手引きしたものなんじゃないのか、と考えるのはやっぱり自然なことですよね」

「………」



 黙っている間にも水島は自分の話を続ける。


「誓うなら違うと言ってください」

「………」

「もしかしたら、自身の意思でやったことじゃないのかもしれません。誰かに言われて断ることができずにやったことなのかもしれない。ですが、一つ言えるのは、あなたの行動のせいで周りの人間が全員不幸になってるってことだ。優も、それに佐藤さんも。だから――」


 つい熱が入る。


 まくしたてる。


 もう言ってしまったからには後には引けない。


 途中で理性がそう囁いてきた。


 全て勘違いで、佐藤の言ったことが事実と違っていたら。


 そんな想像がよぎって肝が冷えた。


 万が一にもそうならば、自分は何の罪もないただ灰谷を心配して見舞いに来てくれた善良な少女を犯人扱いしていることになる。それは大した証拠もなしに灰谷を犯人と決めつけ疎外したクラスメイト達と何ら変わりはない。


「――それで終わり?」


 ワントーン下がった低い声が、水島の思考を断ち切る。


 最初はそれが誰から発された声なのか分からなかった。


 だが、公園には水島と来瀬の二人しかいない。


 声を出したのが水島自身でないならば、声の主は必然的に一人に絞られる。


 その声の主はさっきまでと変わらぬ姿で立っていた。


 さっきの声。とても、同一人物とは思えない。


 微かに眉が動いた。長年貼り付けた仮面が剥がれるように。


 気がつけばさっきまでの微笑みは失われていた。


「そう。私が犯人。これで満足?」


 来瀬は口角を歪めた。


 その笑みは、形容するならば、嘲笑うような見下すような粘ついた、それでいて歪んだ表情だった。


「来瀬……さん?」


 水島の不安と戸惑いに満ちた問いかけは、舌打ちて返された。


「気持ち悪いから、そのさん付けやめてくれる?」


 不愉快そうに顔を歪めながら突き放すように冷たく言い放った。


「何、頼んでもないのにベラベラベラベラ講釈垂れてくれちゃってんの? 底辺のゴミのくせに、正義の味方面すんなよ。どうせあんたも本当は、他人のことを見下してて悦に入ってるんでしょ? 気持ち悪い」


 絶え間なくぶつけられる悪意に、少しの間返す言葉を失ってしまう。


「それが……あんたの本性なのか」


 来瀬は鼻で笑ってみせる。


「別に……? 驚くほどのことでもないでしょ?」

「今までのは演技で来瀬麗華という人間は作り物の人格だったのか」

「場によって顔や態度を変えるなんて、誰もがやってるごく普通のことよ。あんただって例外じゃないでしょ」

「…………」


 確かにそうなのかもしれない。


 学生は同級生、教師、両親の前でそれぞれ相応しい態度を取ることを求められていることを思い出す。むしろ、そうすることの出来ない人間こそ、空気が読めない、社会に適応できていないと、疎外されてきたことを思い出す。


 それと来瀬が自分を繕ってきたことに一体何の差異があるのか。


 来瀬はそう言いたいのだろう。


「……話を逸らすなよ」


 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 

 目の前の女は問題の本質を逸らそうとしているに過ぎない。


 一般論なんかだどうでもいい。来瀬が親友を欺き、傷つけ、害そうとしていることこそが問題だ。


 こいつが全ての元凶。


 水島は目の前の相手に対する敵意を増幅させるように意識する。


「文化祭で衣装がバラバラにされたのはあんたがやったのか」

「だからそう言ってるでしょ? 何度も言わさないでくれる?」


 自分の罪を認めた。


 拍子抜けする。


 話を聞きまわったり、探偵ごっこのようなことをしたところで何の能力もない普通の学生に過ぎない。物的証拠など集められる訳もなかった。だからこそ、本人の自供の重要性の高さを認識していた。本人が罪を認めさえすれば勝機はある。優から引き剥がすことは十分可能だ。逆に言えば、認めさせることが出来なければ絶望的だ。


 そのために足りない頭をフル回転させてこの場に臨んだつもりだった。


「……素直に話してよかったのか」


 水島は戸惑いつつも、今自分が優位に立ったと思った。


 ああ、来瀬はきっと自分が訪れた時点で観念していたのだろう。


「見ろよ」


 ポケットからスマホを取り出す。表示された画面には録音中の表示。


 水島は手早く端末を操作し、音声をMP3ファイルに変換した。


「何それ?」

「さっきまでの会話だ」


 ファイルを再生すると音声が流れる。


『文化祭で衣装がバラバラにされたのはあんたがやったのか』

『だからそう言ってるでしょ? 何度も言わさないでくれる?』


「キモっ……本当に救いようがないね」


来瀬は吐き捨てる。


「これをクラスラインにでも公開したらどうなるだろうね。あんたの学校での立場は」

「出来もしない大言壮語、本当にキモイわ。いかにもお前みたいな陰キャが言いそうなことだよね。お前みたいなのが授業中に気色悪いオナニーみたいな妄想ばっかりしてるんでしょ。こんなのが優くんの近くにいたかと思うと身の毛がよだつ」

「ハッタリだとでも思ってるのか」

「出来るならやれば? 別にあんた自身の情けなさを証明するだけだと思うけどね」


 相手は焦っている。


 罵詈雑言は焦りを悟られないためのベール。


「優に二度と近づかないと約束するなら、送らない」

「だからやれよ」


 来瀬は吐き捨てると、水島を心底軽蔑した目で見る。


「それで、自分が優位に立ったつもりでいるのほんと滑稽だよね」


 交換条件。


 これが水島の持てる最後の手段だった。


 しかし目の前の女はそれを一蹴する。


「本当にやるぞ」


 冷や汗が首を伝う。


 本当にするつもりなどなかった。確実に来瀬は交換条件を飲むと踏んでいた。八方美人で周囲から好かれるために、取り繕ってきた人間なら自分の評判が地に落ちるのが、恐ろしくないはずはない。


「やれよ。早く」

「っ………」

「ビビってんじゃねえよ。覚悟もないのにあんなこと言い出したの? 本当にお笑い草。覚悟もないのに正義の味方面して私を脅迫しようとしてたの? そんな薄っぺらい人間性だから、ゴミクズだって言ってんだよ。とっとと死ねよ」


 水島はギリと歯噛みする。


 今まで他人を避け、人との関わりを避けて生きてきた。


 それは傷つくのが怖いからであると同時に、傷つけるのが怖いからでもあった。


 他人の隠してきた秘密を公開するなどというのは人を傷つける最たることじゃないか。


 来瀬がいくら害悪で親友を脅かす存在だろうとも、人を傷つけ、その十字架を背負って生きていくことは恐ろしかった。


 他人を蹴落とし、傷つけ、排除し、大切な人を守る覚悟を決めなければならない。


 端末に乗る指がひどく重たく感じる。親指が震えながら、画面を滑る。


 そして――


  送信ボタンが、押された。

 

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