第20話 離婚届のサイン
私と離婚するだと?新しい妻を娶れ……と。
「ソフィア。君は私を愛していないのか?戦時中、二年もの間、この領地を守り私の帰りを待っていてくれたのではないのか」
彼女は私と共に歩む道を選んで結婚した。苦労はかけたが、今では侯爵夫人として栄誉ある地位を手に入れたではないか。
私は彼女を妻として愛している。
ソフィアは困ったように表情をゆがめる。
「そうですね。私は旦那様の帰りを待っていました」
「屋敷に私が帰って来てからは、新しい使用人も増やした。今では以前の三倍の数になっている。執事も増えただろう。モーガンだけではなく、コンタンにガブリエルだ」
彼女は黙って私の話に耳を傾けた。
「君が今まで苦労した事を、私は十分理解している。だからこれから、侯爵夫人として貴族らしく優雅に過ごしてくれたら、私はそれでいいと思っている。たくさん茶会や夜会にも行こう。ドレスや宝石も好きな物を購入すればいい」
戦後の混乱の中、忙しく、やらなければならない仕事も多かった。かまってやれなかったのは申し訳ないと思っている。
これからはちゃんと妻と共に社交界のパーティーにも参加しよう。きっとすぐに元の彼女の姿に戻ってくれるだろう。
私にとって妻は、文句を言わず、一歩下がって陰で私を支えてくれる貞淑な存在だった。
何よりソフィアは、若く美しい自慢の妻だった。
私は彼女に温かい眼差しを向け微笑んだ。
「華やかなパーティーなどには私は興味がありません。貴族同士の付き合いで、どうしても必要なら参加しますが、それ以外はできれば行きたくないものです」
私は彼女の言葉に苛立った。
できるだけ平静を保てるよう呼吸を整えた。
「……ソフィア。君には少し考える時間が必要だ。落ち着いたら意見も変わるだろう。私は今日からまた王宮へ行かなければならない。しかし一週間後帰ってきたら、もう当分どこにも行かず、領地にいられる」
「そうですか。承知しました」
「分かってくれたか。それなら帰ってからまたゆっくりと今後について話し合おう」
「離婚届に旦那様がサインをして下さったのなら、話は早く済んだんですが……」
まだそんな事を言っているのか。
私はあきれたように息を吐くと、ソフィアを置いて執務室を後にした。
◇
「旦那様。奥様は少し拗ねてらっしゃるだけですわ。どうか、お気になさらないように……」
マリリンはアーロンをあやしながら私にそう言った。
いつも彼女が優しい言葉をかけてくれるので、いつの頃か彼女の部屋が居心地の良い場所になっている。
「そうだな。やはり自分に子ができないから少し自棄になっているのかもしれない」
「旦那様、ご本人に、そのような事はおっしゃってはなりませんわ。大丈夫です。その為にアーロンがいますもの。私もこちらでずっとお世話になっている状態で、肩身が狭い気持ちでしたがアーロンが旦那様の養子になるのなら、恩返しができますのでとてもうれしく思っています」
マリリンはお茶の準備をメイドに頼み私に甘い菓子を出してくれた。
部屋の中は女性らしい家具でまとめられていて、私専用の椅子も購入してくれたようだ。「旦那様がいらしゃると、部屋の中が明るくなります。いつでもアーロンに会いに来て下さい」そう言われまんざらでもない気分になる。
「君は母親の権利をソフィアに渡してくれるとまで言ってくれた。本当に感謝しているよ」
血のつながった我が子を他人の子にするという事が、どれほど辛い事か私は分かっている。きっと悔しいだろうが、アーロンの将来を考えての決断だろう。
彼女は少し目頭を押さえ、それでも笑顔を作って頷いた。
子供の幸せを願うのは親として当たり前の事だ。
「アーロンは機嫌がよさそうだな」
「ええ。今日は特にご機嫌なんですよ。旦那様が顔を見せてくださると喜んで、はしゃぎ過ぎてしまうくらいです」
そう言って微笑みながら私の腕に触れる。
少し距離が近くなってしまったので、彼女の腕を外し、一歩後ずさった。
「赤子の成長スピードは目覚ましいな。日々新しい事ができるようになっている」
アーロンは先日一歳になった。一人で立って歩けるようになり、 自我が芽生えて好奇心も旺盛になったようだ。
「ええ。もう何をするかわかりませんので、目を離せなくて一日中ずっとついて回っていますわ」
アーロンはこの間、私の事をパパと呼んだ。
間違った呼び方だが、悪い気はしなかった。
ソフィアとの子供だったら、どれほど可愛いのだろうと想像すると、早く我が子が欲しいと欲をかいてしまう。
少し、マリリンとアーロンの部屋で休憩をとると、私は王宮へ向かう準備に入った。
職務は軍関係から、侯爵としての仕事に切り変わった。
今後は夜会等も頻繁に出席しなければならないだろう。
マリリンが言うには、ソフィアは頻繁に茶会やパーティーに参加しているようだ。
いつも違った綺麗なドレスを身に纏い、出かけていると聞く。
本人はパーティーなどは嫌いだと言ったが、きっと嘘なんだろう。
もしかして新しいドレスや宝石を買っているのを知られたくないのかもしれない。
普段邸で見る彼女は、高価そうなものを身に着けているようには見えなかった。
夫人の予算内だったら別に文句は言わない。それほどケチな男ではない。
「隠さなくてもよいのに……」
そう考えながら側近を伴い王都へ出発する。
一週間もあればソフィアの気も変わるだろう。
その時私はまだ気づいていなかった。
次に帰る時はすでに、彼女は屋敷を出てしまっている事に。
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