若ハゲの至り ―その効果、髪のみぞ知る―

鈴木りん

プロローグ(ある日、夢の中で)

 ぽつぽつと淡いオレンジ色の街灯の明かりが照らす中、暗い夜道を進んでいた。

 見覚えのある道だった。

 遠い昔、子どもの頃に見た景色に違いない。恐らくはそう……故郷、札幌の住宅街に近い場所なのであろう。

 歩むたび、サクサクと雪を踏む音が足元から聞こえてくる。懐かしい音。


(あ、そうか)


 会社の年末年始休みを利用し、僕は里帰りをしている。ならば、自分が冬の札幌の街を歩いていることに矛盾はないはずだ。

 だけど――。

 どうして僕は、一人、こんな雪の中を歩いているのだろう。

 皆目、見当がつかない。


 ――真冬の北国。降り続く雪。どこまでも続く、真っ直ぐな道。

 行く当てはない。が、とにかく進んでいく。

 気付けば僕はパジャマ姿であった。高校生のときから実家で使っている青と白の縞々パジャマ。しんしんと僕の体の上に雪が降り積もる。不思議と寒くはないが、頭の上だけがじんじんと冷えてきた。それと同時に、僕の心も冷えてゆく。


「そこの若者よ、何処へ行く」


 不意に背中越しに掛けられた、声。

 それは酷くしわがれた、男性老人の声だった。


「゛若者゛というのは、もしかして僕の事ですか?」

「もちろんだぞよ、そこの若者よ」


 二十八歳、独身。彼女無し。

 最近、風呂で髪を洗うたび、とみに軽くなってゆく頭部のせいもあって、その言葉をかけられる機会がだいぶ減った――そんな気がしている。その言葉に飢えていた、と言ってもいい。

 冷え切った心にそっと温もりを与えてくれたその言葉の主に向かって、僕はゆっくりと振り向いてみる。


「何でしょう?」


 人を喜ばせておいて、急に態度を急変させる物盗りの可能性もある。僕はその相手を、まずは上から下までじっくりと観察することにした。


(仙人……いや、神さまか?)


 僕の目がかっと見開かれたのが、自分で判った。

 なにせ、僕の目の前に立っている――いや、路上で浮いていると言った方が良いかもしれない――のが、まるでギリシャ時代の哲学者のように白く薄い布地を身にまとった白髪の老人だったのだから!


「えーと、おじいさん。その格好で寒くないですか?」

「……パジャマ姿のお前に、言われとうはない」

「あ、確かにそうですね。……で、ご用件は何でしょう」

「おお、そうじゃった、そうじゃった。お前があんまりワシを奇異な目で見るもので、つい言い忘れちまったよ。ワシは、この地球の神様じゃというのに!」

「か、神様ぁ? やっぱりぃ? そうなのぉ? っていうか、あんまり意外でもなくて面白みがなかったけど」


 まさか神様が僕の前に現れるなんて微塵も考えていなかった僕は、少し茶化すようにして言った。

 しかし、その老人は、そんなことなどちっとも気にならない様子で長い白髭を一度右手で撫であげると、その懐から小さな紙切れを取り出したのである。

 老人は、その見た目に違わず酷い老眼らしかった。

 薄暗いオレンジ色の街灯の下で何度も目を細めたり擦ったり、紙を遠ざけたり近づけたりしながら、紙に書かれた文字を必死に読もうとしている。

 が、よく見えなかったのだろう。

 やがて不貞腐れた顔で、途切れ途切れに、こう言ったのだ。


「えー、今から神様からの『ありがたーい』お言葉を申し渡すから、耳をかっぽじってよく聞くように。えーと、そのお、なんだ。き、君は、選ばれし……ん? この漢字、なんて書いてあるんじゃ? おい、若者よ。この文字、ワシの代わりに読んでくれんかの。文字が小さすぎて、読めんのじゃ」

「もう、仕方ないなぁ……。えーとですね、それは『戦士せんし』っていう漢字ですよ」


 差し出された紙の、老人が指さすその場所に書かれた文字を、素直に教えてやる。

 が、その途端。急に腹が立ってくる。

 なぜって、自分を神様と名乗るこの老人は、僕にいったい何の用があって呼び止めたというのか、まったくわからなくなったからだ。まさか、老眼で読めない漢字を読んでもらいたかったため、ではあるまい。

 しかも、本当に神様というなら、それくらい自分で何とかできるだろうに!


「おお、そうかそうか。センシ・・・か、なるほどな……。じゃあ、もう一度読むとしよう」


 おじいさんは一度、こほんと軽く咳をして喉を整えた。そして、紙きれを顔から目一杯離すと、元々細い目を線のように更に細くして、文章を読みだしたのだった。


「えーと、『君は選ばれし戦士である。ちたま・・・を救え』、じゃな」

「ちたま? ちょっと、何言ってるかわからないんですけど……っていうか、もういいですよ。ひとを呼び止めておいて漢字の読み方聞いてきたり、紙に書かれた訳の分からない台詞せりふを棒読みして聞かせたり――いったい、どういうことですか」

「え、どういうことじゃと? それはな……近頃は書類の文字が何でもかんでも小さいじゃろ? ワシらのような老人には厳しい世の中になった、ということじゃよ」

「いや、そういうことじゃなくて……。あなたが本当に神様なら、いちいち書類など見ずとも自分の言葉で僕に向かって話せるよね、ってことを言いたいんですけどね」


 そう言って僕は、僕の目の前にいる、もしかしたら真面まともに相手をしてはいけない小柄なおじいさんを、いよいよ疑いの目を持って見降ろした。

 すると、急におじいさんが怒り出す。


「な、なにを、失礼なッ! もう一度言うが、こう見えてワシは『ちきゅう』の神様なんじゃぞ! その気になれば、お前なんか『ちちんぷいのびびでばびでぶー』で、宇宙の塵として消し去ることもできるんじゃからな!」


 今もしも雪が降っていたら、頭の熱で雪を解かせるんじゃないかと思えるくらいに白髪から湯気を立てつつ、地団太じだんだを踏むおじいさん。

 でも、そんなおじいさんを見つめる僕の頭は、至ってクールであるといえた。

 ひとつの考えが、僕の頭の中に浮かんだからである。


「あ、わかった! 『ちたま』って、もしかしてそれ、『地球ちきゅう』の事なんじゃないすか?」

「ん? あ、そうか……。ちきゅうって、こういう漢字を書くのか」

「えーっ! 地球の神様が『地球』っていう漢字を読めないなんて、そんなことってある?」

「うるさーい! ワシは、ハワイ生まれのパリ育ち、その後、インドでの修行の末に神様になったんじゃ、漢字なんて読めるはずないじゃろ! ……と、とにかくだな、お前はこの地球の救世主きゅうせいしゅなんじゃから、そんな感じでこれからはお前も振る舞うように。ヨロシクな」


 老人の言っていることが、全く飲み込めなかった。

 だって今、このおじいさん、僕のことを『救世主』って呼んだんだよ!?


「はあぁ? この……頭の毛が薄くてモテたことなど一度もない、人生いつでもどこでも『ボッチ』だったこの僕が、地球を救う救世主だって? そんなの、ありえないじゃん」

「何を言っておる! この、えらい神様がジキジキに言っておるんじゃぞ。ちっとは気を使え! ……まあ、いい。とにかくお前は、ワシが選んだ特殊能力者なんじゃ。その頭に生えた『希少な髪の毛』が一本抜けるたびに超能力をつかえるという――」

「えっ? どういうこと!? 一本抜けるたびに……なんだって? 増々、わからなくなったよ」

「どういうこと、じゃと? お前、何度も同じ質問をするのぉ……。だから、今さっき言った通りじゃて。つまりは、地球の神様であるワシの能力の範囲で……ああ、もうメンドクサイわ。詳しくはここに書いてある、ホームぺ―ジを参照するのじゃ。会員専用のパスワードもここに書いてあるからな!」


 神様と名乗るその老人は、先程から見ていたものとは違う紙切れを一枚、薄汚れた羽衣のような服装の袂から取り出すと、それを僕に手渡した。


「…………」


 広げてみると、たしかにそこにはネット上のアドレスとパスワードらしきアルファベットの並んだ文字列が書かれている。

 だが、そうしている間にも、容赦なく降り積もる雪が、あっという間にその紙切れを覆い隠していく。時間が経つほどに訳の分からなくなる、そんなパラドックスに支配された世界に迷い込んでしまった僕が、右目の眉を吊り上げる。

 するとおじいさんは、まるで仕事をきっちり定時で終えたサラリーマンのように、満足そうに微笑むと、こう言った。


「では、あとは頼んだぞ、選ばれし者よ。お前とは別の他の何人かにも、同じ『ちから』を渡しておいたからな。彼らと協力し、この地球を守るんじゃぁ!!」

「いや、ちょっと待ってよ。あんた、神様なんでしょ? だったらあんたが戦えばいいじゃないですか」

「いやいや、実はそれができない、のっぴきならない理由があってな……。とにかく後は頼んだ」

「いやいやいや、その『ワシのできることはもうすべてやった』的な笑顔をするのやめてくれません? そんなこといきなり言われて『はい、そうですか。じゃあ、地球を待るために戦います』なんて言う人、この日本はおろか、世界中を探したっていませんってばっ!」


 僕の必死な言葉も、神様には全く届いていなかった。

 その一秒後、神様は僕ににこやかに手を振ると、


「続きはWebじゃ!」


 と言って、煙が空気に溶けるように視界から消えていったのである。


「こ、こら、じじい――じゃなかった、神様ぁ! 無責任にもほどがあるぞぉお!」


 そう叫んだ、僕の視界が急に暗くなった。

 まるで僕の意識が何かに吸い込まれていくかのようである。


(っていうか……僕は一体何のために、何と戦えばいいんだよ!?)


 薄れゆく意識の中、最も大事なことを聞き忘れたと、後悔した僕なのであった。

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