第14話消えていく後輩

「いいか!体験は”お客様”!入部したら”部員”だ!」



 十人の新入部員は、初練習で早くも厳しい洗礼を受けていました。聞き覚えのあるセリフに昨年の悪夢を思い出しました。一年生は、入部前後の先輩の豹変ぶりに唖然としています。



「本当の地獄はここから始まるんだ…」



 僕は心の中で呟きました。最初にきっちり厳しさを教えるのが少林寺拳法部の伝統だそうです。



「まずはミットと胴を運びましょう」



 僕たちは先輩として雑用を一年生に教えます。初めて先輩と呼ばれた時は凄く嬉しかったです。鬼塚コンビにもこんな時期があったのでしょうか。後輩が育てば僕たちは雑用を卒業できるのです。



「おい!あいつ黒帯だぞ!」



 一年生の中に、少林寺拳法経験者の黒帯がいました。僕よりもだいぶ背が高く、サラサラヘアーで落ち着いた雰囲気は年下に見えませんでした。

 名前が『金田(かねだ)』だったので、僕たちはゴールデンルーキーと名付けました。少林寺拳法部では、中学三年生で昇段試験に受かると黒帯になれます。そのため、一年生にして彼は高校生の先輩と同じ帯の色でした。僕は「先輩として彼に何を教えればいいのだろうか?」と困惑します。



「あいつを倒したら俺も黒帯もらえるかな!」



 チュピくんはすでに彼のことを獲物として見ていました。



「後輩に負けるな!帯の色は関係ない!」



 部長からは「縦社会で後輩に舐められると秩序が乱れる!」と強くプレッシャーをかけられました。



「準備が遅いぞ!早くしろよ!」



 一年生は、昨年の僕たちのように先輩から雑用を注意されています。一つかわいそうだったのが、チュピくんのせいで後輩に求める雑用のレベルが上がっていたことです。

 彼は雑用に定評があり、二人で運ぶミットや胴を一人で運んでいました。先輩の道着を畳むのも丁寧で、めったに褒めない部長が認めるほどでした。そんなチュピくんの仕事ぶりに慣れている先輩は、新入部員を物足りなく感じているようです。

 僕は後輩に雑用を教えながら、「自分たちも一年生の時は大変だったなぁ」としみじみ思い出していました。



「鬼塚コンビは絶対に怒らせるなよ!」



 昨年先輩に言われたように、僕たちも後輩たちへ伝えます。一年生も鬼塚コンビのヤバさには気づいているようでした。



「こいつはドロップキックで人間一人を保健室送りにしてる"壊し屋"だから!」



 まっつんは、後輩に舐められないようにチュピくんのことを壊し屋クラッシャーとして紹介していました。一年生もこれだけを聞いたら"チュピくん自身が保健室送りになった"とは夢にも思わないでしょう。

 他にも「ドロケイで鬼塚コンビにカチコミした」、「全国のパンフレットに載って指名手配されている」、「九段の先生に喧嘩を売った」などと、あることないことを伝説として語ります。

 めちゃくちゃな話ですが、多少事実も含まれているのが恐ろしいことです。



「なんかさ!最近部活楽しいよな!」



 まっつんは入部してから初めて、部活に行くのが楽しそうでした。後輩ができたことで雑用や先輩からのイジリが極端に減り、部活での立場が急変しました。先輩の標的が僕たちから後輩へ変わって不思議な感じです。

 僕は後輩に雑用や技を教えることが楽しくて充実感がありました。チュピくんは多くを語らずに困っている後輩のフォローをしていて、面倒見の良い一面を見せていました。



「あれ?なんか一年少なくね…」



 喜びもつかの間で、一週間経つと一年生は半分になっていました。厳しい練習や慣れない上下関係は、小学校を卒業したばかりの子には刺激が強めです。僕も心が折れてチュピくんに弱音を吐いたことを思い出しました。

 後輩が減るにつれて、僕たちの仕事が増えていきました。その時は「まぁ十人いれば辞める子もいるよね」と軽く考えていたのでした。



「一年…減ったな…マジで…」



 ゴールデンウィークが明けると黒帯の金田だけになっていました。友達と一緒に入部した子は、その友達が辞めると一緒にいなくなりました。後輩がいなくなり、僕たちは昨年と同じように雑用をする生活に戻りました。

 それでも金田の存在は大きく、僕たちの最後の希望でした。



「先輩…僕には続けていく自信がありません…」



 さらに一週間が経つと、金田が練習後にチュピくんのもとに相談に来ました。暗い顔でうつむいており、元気がありません。三人の中で一番面倒見の良いチュピくんに相談したようです。

 僕とまっつんは隣で動揺しながら、黙って見守ります。チュピくんの返答次第で金田が辞めるかもしれません。

 彼はすぐに返事をせず、少し間をとってから口を開きました。



「なぁ金田、ワクワクしてこねぇーか?」



 彼はドラマのワンシーンのように、もったいぶった調子で、抑揚をつけながらささやきました。金田は想像もしていなかったであろう言葉に、きょとんとしています。

 チュピくんの話は続きます。



「お前がこの厳しい練習を乗り越えたら、どれだけ強くなっちまうのかなぁ!」



 金田は言葉の意味を理解できたのか、顔を上げるとチュピくんをキラキラした瞳で見ています。昨年同じ言葉を聞いたとき、僕にはピンときませんでしたが、金田の心には大きく響いたようです。

 チュピくんの凄さを理解するには黒帯クラスの実力が必要なのかもしれません。真っ暗闇に一筋の光が差したような、しおれた花が水を得て蘇るような、目の前で奇跡を目撃している気分です。

 生き返った彼は、チュピくんにお礼を言うと胸を張って帰っていきました。チュピくんも同じくらい胸を張って、後輩の背中を誇らしげに見つめていました。前から思っていましたが、彼には人を魅了する不思議な力があるのかもしれません。



「…お前は一人でも続けるのか?」



 翌日、まっつんが金田を心配して声をかけました。もし彼が辞めたら、僕たちはまた一番下に逆戻りです。一度後輩がいる喜びを知ってしまった僕たちは、前の生活に戻りたくありませんでした。また、黒帯なのに謙虚に練習へ取り組む真面目な彼のことを、僕たちは気に入っていました。



「自分は辞めずに続けて"伝説"を作りたいです!」



 金田はチュピくんに熱い視線を送りながら答えました。どうやら、チュピくんに猛烈に憧れているようです。

 本人曰く、小学生の頃から要領が良くて勉強やスポーツも無難にできたそうです。その反面、自分にしかない飛びぬけた個性が欲しいと考え始めたそうです。彼は、チュピくんの圧倒的な個性という名の光に導かれる昆虫のようでした。

 金田は僕よりも年下なのにしっかりした考えを持っていて驚かされました。僕には彼が、黒帯で人柄も良い完璧な人間に見えました。もしかすると、人間を追求した先にはチュピくんがいるのかもしれません。「こんな素晴らしい後輩が残ってくれてよかった」とホッと胸をなでおろしました。

 ただ、チュピくんを真似してドロケイで鬼塚コンビに叫びながら突っ込んだときはヒヤヒヤしました。

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