第10話 森の妖精

 振り返った先に立ってたのは、背の低い女だった。


 忘れもしない、この巨乳!


 名前は忘れたけどな!


「えーっと……。お前は確か、この間オークに襲われてた……」

「はいっ、ビビアンです」


 胸元が緩めの、水色で裾の広がったワンピース。

 ビビアンの背は低いから、いやでも柔らかそうな二つの大きな膨らみと、その間にある深い深い溝が俺の目に飛び込んできやがる。


 ここに何か落としたら、呑み込まれていきそうだな……。


 いや、むしろここにポトリと部屋の鍵を落として、手を突っ込んで探してえ!


「今日も薬草を摘みに来たのか?」

「いいえ、森に来るのは日課になってしまいました。毎日お待ちしてたんですよ? アーク様!」

「えっ? 毎日だと?」

「はい、毎日です。アーク様」


 毎日って……俺がここに来たのって、1週間ぶりなんだが?

 その間、ずっとここに来て待ってたってことか?


 栗色の髪はポニーテールにしていて満面の笑み。

 丸い輪郭に低めの鼻も愛嬌があって、小さい唇も可愛らしい。


 でも俺を見つめる視線はなんだかネッチョリしてて、背中を悪寒が走る。


 そんな彼女の視線は、すぐに俺の左腕に移った。


「あらっ、大変。腕をお怪我なさってるじゃないですか!」


 ゴブリンの剣が掠めた二の腕か。

 スッパリ斬れて服も血で赤く染まってたが、それほど深い傷じゃない。


 くそっ、俺の身体を傷つけやがって、ムカつく奴め。


 俺は、足元に転がるゴブリンの亡骸に唾を吐きかけた。


「さっき、こいつと戦った時にやられたみたいだな」

「それはいけません。すぐに傷薬になる薬草を探しますね!」

「かすり傷だから、心配いらねえよ」


 なんだよ、俺の言葉も聞かねえで。

 茂みを掻き分けて、薬草探しを始めやがった。


 胸のポケットから這い出したブララーナが俺の肩に登って、耳元で囁く。


「……あの子、物凄く危ない臭いがするんだけど……?」

「……俺の鼻にもプンプンと臭ってるよ……」


 とはいえ、せっかく俺のために薬草を探してくれてるのに帰るのは申し訳ない。

 仕方ない、こいつが薬草を摘み終わるまで待つか。


 って、いつまでやってやがんだよ。あっち行ったり、こっち行ったり。


「これぐらいあれば大丈夫だと思いますので、ちょっとお待ちくださいね」


 ビビアンは軽く息を切らしながら、4、5種類の草を摘んできた。

 傷薬なんて、その手の葉っぱを擦り込んで終わりじゃねえのかよ。


 黙って見てると、彼女は手のひらを緑色に染めながら草を揉み合わせ始めた。


 この場で傷薬をこしらえるつもりか?


「傷薬って、そんなに簡単に出来んのかよ」

「はい、ちゃんとした日持ちのする塗り薬にするには、家に持ち帰って擦り潰したり配合したりしないとですけど、この場限りで良ければこれでなんとかなります」


 ビビアンは、手のひらの中でドロドロになった緑の物体を俺に見せる。

 うぅっ、臭せえ。泥臭さと青臭さが混じり合った、なんとも言えない臭いだ。


 だけど彼女はウットリしながら、その臭いを嗅いでやがる。

 こいつにとっちゃ、慣れ親しんだいい匂いなのかもな。俺には理解できねえけど。


 顔を背ける俺に構わず、ビビアンは左腕を掴んで傷口にそいつを擦り込み始めた。


 ほんとにそんなモノ、傷口に塗って大丈夫なのかよ。

 信用しないわけじゃないけど、やっぱり不安だぞ?


「傷が塞がるまでちょっと痛いですけど、我慢してくださいね」

「ぅぐっ!」


 痛てえって!

 そんなに強く擦り込んだら、むしろ傷口がさらに開くんじゃねえのか!?


 あれ? 痛かったのはほんの最初だけで、もう痛くないぞ?


「傷は塞がりましたから、痛みはもうないはずです。ですが、念のためにもう少し続けますね」

「あ、ああ、頼む」


 急場しのぎの傷薬なんて当てにしてなかったのに、思った以上の効き目だ。


 だけどこの女……。


 さっきまでは強く擦り込む感じだったのに、今度は撫で回してるみたいなんだが。

 それになんだか表情もニンマリとして、口元も緩んでねえか?


「引き締まってて、筋肉質なんですね、アーク様の二の腕って……んふふ」

「あー、もう大丈夫! 大丈夫だから!」


 なんだその『んふふ』って。

 全身の毛穴がブワーっと開いて、変な感覚に目覚めそうだ。


 言葉遣いは上品だし、身なりも整ってんのに、なんでこんなにこじらせてんだよ。

 こいつはやっぱり、お嬢様にありがちなヤンデレって奴か?


 身の危険を感じる。俺は掴んでるビビアンの腕を振り解いた。


 だけど、薬の効果は間違いない。

 血が滴るほど開いてた傷口が完璧に塞がってやがる。それどころか、傷痕も全然残ってねえ。

 しかも、こんなに早く効果が出る傷薬を俺は見たことがない。


 そこら辺で集めた薬草だけで、こいつはすげえ!


「おい、ビビアン! おまえ、他の薬も作れるのか!?」

「あはぁ、アーク様ぁ。初めてわたくしの名前を呼んでくださいましたね」

「名前ぐらいいくらでも呼んでやるっての。それより、他の薬も作れるのか?」

「はい、鎮痛剤、解熱剤、整腸剤に胃薬、その他にも軽い病気でしたらなんなりと」


 傷薬がこの効き目ってことは、こいつが作る他の薬もきっと上質に違いねえ。


 薬草を煎じて飲むぐらいの民間療法は一般的だが、ちゃんとした効能の薬となれば、超が付くほどの高級品だぞ。

 そんなものを気軽に使えるのなんて、王族や上級貴族みたいな大金持ちぐらいだ。


 こいつにその作り方を教われれば、大金持ちだって夢じゃねえ!


「そいつはすげえな。それって俺でも作れるのか?」

「たぶん、無理だと思います。ただ材料を集めて混ぜ合わせればいいというものでもないので……。それにちょっと間違えただけで、毒薬にもなってしまいますし」

「ちぇっ、そんなに甘くはねえか」


 確かに俺でも作れるんなら、そんなに高価なものになるわけがねえか。


 俺の野望は、一瞬にして潰えたってわけだな。


「ですけど! アーク様のお薬でしたら、わたくしが心を込めて作らせていただきますので、何なりとお申し付けください」

「いや、でも高けえんだろ? 俺にはそんな金はねえよ」

「いえっ、命の恩人のアーク様のためでしたら、お金なんていただきません!」


 オークから助けたことを、そんなに恩に感じてくれてんのか?


 そういうことなら、愛想を尽かされない程度に利用しないともったいねえな。

 さっそく、その言葉に甘えさせてもらうか。


「だったら、傷薬が欲しいな。さっき言ってた、ちゃんとしたやつ」


 これからも特訓するだろうから、きっと生傷が絶えない。

 内臓は丈夫だから、とりあえずそれだけあれば充分だろ。


「ちゃんとした傷薬でしたら2、3日かかりますので、それ以降にいつでも取りにおいでください」

「わかった、家はどこだ?」

「家は……ちょっと……」


 ビビアンは急に表情を曇らせて、顔を伏せた。

 家を知られたくない事情でもあんのか?


「わたくしでしたら毎日お待ち申し上げますので、いつでもここにおいでください」

「いやいやいや、俺がここに来るとしても週末だけだから。平日に来ることはないから、待たないでくれ」

「待っているのも楽しいお時間ですから、お気になさらなくて結構ですよ」


 いやいや、気にするだろ。来ないって言ってるのに待たれたらこっちが怖い!


 ビビアンは人間性がヤバすぎる。

 だけど、こいつの薬の知識を利用しない手はねえよな。


 身体も魅力的だから親密になりたいが、深入りは禁物だって俺の本能が告げてる。


 もったいないけど、こいつに手を出すのはやめておくか。


「どうして家を教えてくれないんだ?」

「あまりにもみすぼらしい家なので、恥ずかしいんです。あんな家には、アーク様をお招きできません!」


 えっ? そうなのか? てっきりいいとこのお嬢様だと思ってたんだが……。


「そういうことなら心配すんな。うちだって準男爵なんて称号はもらっちゃいるが、平民と変わらない貧乏暮らしだからよ」

「…………」


 黙り込んじまった。これだけ頑なってことは、よっぽどの事情があるんだろうな。

 別に平民だろうと貧民だろうと、俺は使えるものを使うってだけなのによ。


 これだけの薬が作れるなら、いくらでも金なんて稼げそうだけどな。


 どうしたもんかと頭を悩ませてたら、思い詰めたようにビビアンが口を開いた。


「でしたら、来週のこのお時間に、ここから西の先にある大きな栗の木の下にお越し頂けますか?」

「いや、急にそんなこと言われても、来られるかどうかわからねえよ」

「大丈夫です。来週でも再来週でも、毎週お待ちいたしますから!」

「わ、わかった。じゃぁ、傷薬、よろしく頼んだぜ」

「はいっ! 材料なら家にありますので、さっそく取り掛かりますね。アーク様!」


 勢いに呑まれて、約束しちまった……。


 駆け出して行ったビビアンは前回同様、何度も振り返っては手を振ってきやがる。

 やっぱり、ヤバい奴と関わり合いになっちまったかな……。


 平民なら隠しキャラでもねーだろうし、距離を置いた方がいいかもしれねえな。


 ああ、そんなことより特訓だ。

 次のゴブリンはどこだ、かかってきやがれ!

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