第14話 なぜここに

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 リズミカルに鳴るその音は、なぜか……電車には乗り慣れないはずなのに、なぜか懐かしいような感じがして。

 開きかけたまぶたが、再び重くなるのを感じた。


 眠気を誘う、それでいて風情のある音だ。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 本当に、的確な擬音語だと思う。


 これ以外の言葉では、この独特の雰囲気は表せない。

 そう思ってしまうのは、幼い頃から聞き馴染んだ言葉だからと依怙贔屓しているに過ぎないのだろうか。


 でも、レールの継ぎ目の上を電車が走る音……そう事実を並べてしまうと、とたんに無機質な音に感じてしまうのも事実だろう。


 閉じていた目を開けて、ぼんやりと前を眺める。


 夕陽のオレンジ色が、車内を暖かく包んでいた。

 ……いつの間に、雨が上がったのだろうか。


 外を見ると、雲の隙間から太陽の姿が見える。


 サラリーマンが帰宅するには、早すぎる。

 部活生が帰宅するにも早すぎて、しかし帰宅部が帰宅するには遅すぎる。


 そんな時間帯だからか、乗っている人はまばらだった。


 ……だからこそ、これほど風情を感じるのかもしれない。


 ふわぁとあくびを一つして、俺は伸びをした。


 伸びをしたことで袖からはみ出した手首が、涼しい外気に触れてひんやりと心地よい。


 涼しい、でも長袖を着ているからか少し暖かく感じる……そんな今の季節が、好きだった。


 暑すぎず、寒すぎず。

 一年の中でもとても貴重な、過ごしやすい季節。

 最高だと思う。


「あ、起きた。」


 不意に、俺のそれよりも少し低い、聞き心地の良い声がした。

 ぱちりと瞬きをする。


 唐突に隣から聞こえてきた声を、起きかけの頭は処理しきれなくて。

 固まって、ただ瞬きを繰り返した。


「すごいぐっすり眠ってたな。」


 聞き慣れた声だ。

 

 稼働し始めた脳が、そう分析する。


 ものすごく、聞き慣れた声だ。


「……大輝?」


 半信半疑で、聞き慣れた声の主を呼ぶ。

 目をこすって、隣を仰ぎ見た。


 眩しいくらいにイケメンな顔。

 人の良さそうな少し垂れた目尻と、すっと通った鼻筋。

 リラックスしているらしく口元は緩く弧を描いており、その爽やかな短髪が似合っている。


 こんなイケメンが、身近に何人もいるわけがない。


 やっぱり、隣りにいるのは大輝だった。


 大輝の笑みが、少し深くなる。


「……どうしたんだよ?」


 なぜか少し面白がってそうな大輝の声と。


「なんでここにいんの?」


 訝しむような俺の声が、重なる。


 ……全く噛み合っていない。

 ぱちぱちとまばたきを繰り返して、それから俺が何かを忘れているのだろうかと寝る前のことを思い返した。


 今日は部活もなかったので、昨日学校に置いて帰った自転車に乗って帰宅する予定だった。

 ちなみに登校時は昨日教えてもらった乗り換えを思い出しながら、昨夜ふと存在を思い出して財布に入れておいたICカードを使って無事に学校にたどり着いた……のだが、今それはどうでも良くて。


 さあ帰宅しようとしたときに、それまで小雨程度だった雨がバケツを引っくり返したような土砂降りになってしまったのだ。

 ゴロゴロと空が鳴り始めたので、流石に自転車で帰るわけにもいかなかった。

 俺は結局、今日も電車に乗って帰ることにした。


 昨日の夜、反省した俺はリュックにしっかり折り畳み傘を入れていた。

 それが功を奏して特に濡れることもなく駅についたのだが、ふと頭の中に

 ”途中で電車を降りて、ショッピングモールで冬川さんにあげるお詫び用の何かを買えば良いのでは?”

 という案が浮かんで。

 その頃には雨もかなり弱まっていたので、俺は結局、途中で電車を降りてショッピングモールによることにした。


 十数分……いや、数十分悩んだ末に焼き菓子を買った俺は駅に戻り電車に乗って、その後無事乗り換えも済ませて最寄り駅まで行く電車に乗ったのだった。


 いつ寝てしまったのかは、正直あまり覚えていない。

 昨日雨に濡れて体力を消耗したからか、はたまた単純に疲れていたからか、寝る前の記憶があやふやで。

 でも多分、乗ってすぐ……まだ電車がホームに停車しているうちにあまりの心地よさで眠ってしまったのだと思う。


 隣の大輝を、もう一度眺める。


 やっぱり、大輝が隣にいた記憶なんてない。


「……なんでここに……?」


 もう一度、聞く。


 いつも電車を使ってるわけではないだろうに。

 

 少なくとも入学時は、自転車通学をしていたはずだ。

 青空が知らぬ間に、登校手段を変えていたのだろうか。


 なにか忘れているような気がするが、何を忘れているのかがわからない。

 それが気持ち悪くて、俺は考え込むように眉根を寄せた。


 その様子がよほど面白かったのか、大輝が吹き出すように笑う。


「それはこっちのセリフ。……俺はもともと、ほぼ毎日この電車に乗って帰ってるわけだし。」


 やっぱり?という納得と、いつから?という疑問がまぜこぜになる。

 大輝って、自転車通学じゃなかったっけ。


 電車で帰ってるなんて聞いたこと……。


 そこまで考えて、やっと1ヶ月ほど前に聞いたことを思い出した。


「あぁ〜、川井さんを送ってるって言ってたね。」


 言いながら、納得する。

 相談されたときに言っていたのをすっかり忘れていた。


 大輝はそうそう、と頷いている。


 大輝からしたら、いつものように電車を乗り換えようとしたらなぜか俺が席で眠っていたので、隣に座ってみた……という感じだったのだろう。


 ふわぁとあくびをして、伸びをする。


 ようやくぱっちりと開いた目で、窓の外を眺める。


 なるほど、大輝はいつもこの電車に乗ってるのか。


 なんだか新鮮な気分だ。

 口元が、少し緩むのを感じる。


 昨日は土砂降りだったから気が付かなかったが、景色がなかなか良かった。


「もう川井さんは送ったの?」


 目を擦りながら、大輝に問う。


 一度起きてしまったのに二度寝するほどではない。


 ただ、まだ眠くはある。

 今もまたあくびが出そうだ。


 手を当てて、口を大きく開ける。


 息を吸って……。


「いや、優雨は……。」


「私ならここにいるよ、夏野くん。」


 否定するような大輝の声と、それに重ねるように予想外の声が響いた。

 大輝のそれよりももっと高い、澄み渡った綺麗な声。


 なんで、ここに。

 動揺する心で思いつつ、開けた口を急いで閉じた。


 どくんと大きく一つ、鼓動が鳴る。


 聞き間違えるはずもない。


 今のは、間違いなく俺が好き……だった声だった。

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