第8話 遭遇

「夏野君も同じ漫画読んでたとはね」


 冬川さんが、楽しそうに言う。


「てっきり重厚なファンタジーばっかり読んでるものだと思ってた。」


 この漫画、結構ギャグ多いし。

 そう言う冬川さんの顔を見る。


 その顔は、やっぱりとても楽しそうで。


「俺も、冬川さんが同じ漫画読んでたとは思わなかったよ。」


 相槌を打ちつつ、少し困惑してしまう。


 ここまで来る電車の中でも考えていたのだが、やはりこんなに良く笑う冬川さんは見たことが無くて。


 ……いや、そもそも”見たことがない”と言えるほどの付き合いは無いはずで。


 それがどうだろう。


 今日の冬川さんは、やっぱり少しおかしい。


 ……人が楽しそうにしているというのに、”おかしい”なんて思うのも相当失礼な話ではあるが。


 同じ趣味を持つ人と出会えてうれしいというだけではなさそうなその様子をみて、困惑してしまう。


 ……きっと、この妙に高いテンションは、ここ最近の心理的な疲れと川井さんへの負い目からきているのだろう。


 少し心配になって、でもまさか本人に言えるわけがなくて、悶々とする。


「夏野君、大丈夫?」


 不意に顔を覗き込まれた。


 眼鏡の奥、冬川さんの瞳に大きく俺が映っている。

 長いまつ毛の一本一本が見えそうなくらい、近い。


 バッと頭を引いた。


 脈拍が一気に上がるのを感じる。


「だ、大丈夫」


 ……やっぱり、おかしい気がする。


 動揺でどくどくと鳴る鼓動を聞きつつ、思う。


 こんなに距離の近い冬川さんを、見たことがなかった。


 この間自分の負い目をさらけ出してしまったから、距離感がバグってしまったのだろうか。


 きっと、そうなのだろう。


 いや、よく考えれば俺も大概である。

 この間まで特に仲良くもなかったはずの女子と、何の違和感もなく2人で買い物に来ているのだから。


 完全に無自覚であったが、ようやく自分の距離感もおかしくなっていたことに気が付く。


 ”笑っているのを見たことがない”と自分を棚に上げて言っていたが、おそらく冬川さんからしても同じようなものだ。


 ……まあ俺の場合は先輩たちともそこそこ話していたし、元のスペックの問題もあるので”クール”なんて印象は持たれていなかっただろうけれど。


 どちらにせよ、無自覚のうちに距離感をバグらせていたのは、お互い様だったかもしれない。


 放課後にショッピングモールに二人でいるところなど見られたら、あらぬ誤解を生みかねないのに。

 これほど距離感が近いと、なおさらである。


 傍から見たらただの……。


「……あれ?千幸?」


 人込みの中、一つの声が喧騒を破るように俺の鼓膜を震わせた。


 どくんと心臓が跳ねる。


 聞き覚えのある声。

 好きな……好きだった声だ。


 しかし、今は。


 嫌な予感を感じつつ、ゆっくりと振り返る。


 やはりというべきだろうか。


 そこには、川井さんが居た。


「優雨……ぅ……。」


 冬川さんが、何かに気付いたように口ごもる。


「あ、青空。」


 ぁ……。


 そこに大輝もいることに気が付いて、俺は逃げ出したい衝動に駆られた。


 今日仲直りすると言っていたな。

 今更、そんなことを思い出した。

 

「……おぉ、大輝。……元気?」


 動揺から、無駄に誤魔化すような態度をとってしまう。

 

 ”元気?”ってなんだよ。

 同じクラスだし、今日も何回かしゃべっただろ。


 自分で意味の分からないことを言ってしまったことに気が付き、これでは状況が悪化するだけじゃないかと唇を噛む。


 案の定、大輝の目が驚いたように丸くなり……そして楽しそうに細められた。


 嫌な予感が、膨らんでいく。


「……邪魔しちゃった?」


 ニコニコしながら、大輝が言う。


 半ば予想できていたその言葉を。


「全ッッ然!違う!」


 全力で、被せるように否定した。


 ……これが冬川さん以外ならば。

 ここまで全力で否定するのは失礼かもとか考えるのだけれど。


 あいにくお互いの好きな人を知っている間柄なので、全力で否定させていただく。


「ただ部活の延長線上で本を買いに来ただけだよ」


 少し遅れて冬川さんも気付いたようで、フォローを入れるように事情を説明する。


 ……いや、部活の延長線上で買いに来るにはギャグ過ぎないか?この漫画は。


 ツッコみたくなるが、今ここでそれをいうのは野暮というか、自分で設置した地雷を踏みぬくようなものだ。


 俺は話を合わせるように頷いた。


 それとなく、冬川さんが俺から離れている。


 バグった距離感にようやく気付いたのか、なんなのか。


 大輝は訝しげな表情をしているが、一旦誤解は晴れた……のだろうか。


「ん~……。そっかぁ。別に付き合ってるわけじゃないんだ。」


 川井さんが、ニコニコと笑みを浮かべながら、ズバリと遠慮なく聞いてくる。


 ド直球な確認。

 ここは流してくれる場面じゃないの!?


 心の中で抗議を上げるが、碌に話したこともない元憧れの人にそんなこと言えるはずもなく。


「違うよ~。」


 隣の冬川さんが、否定する。

 俺はちらっと冬川さんを見た。


 ……なんだか笑みが引きつっている気がするが、気のせいだろうか。


 川井さんはというと、いつもに増してニコニコしている。


 あらぬ誤解を生んでしまった気がするが、きっと気のせいだと信じたかった。


「ねぇ、大輝。」


 こちらを何か言いたげに見ていた大輝に、川井さんが声をかける。


「ん?」


「私、買い忘れた物を思い出しちゃって。」


 ……なんだろう。


 どことなく嘘っぽいというか、わざとらしいというか。


 川井さんが後ずさりして、大輝の手を後ろに引っ張る。


 大輝がぱちぱちとまばたきして、それから何か理解したというように笑みを浮かべた。


「あ~。俺も忘れ物思い出した。」


 ……そんな軽いノリで忘れ物に気付く奴などいない。

 絶対に演技だろ。


 嘘をついていることも、嘘をついている理由も見え見えで。

 頬が引きつるのを感じる。


 嘘ならもっと上手についてほしい。

 というか気を回す必要なんて皆無なので、そもそも嘘をつかないでほしい。


「じゃ、また明日~!」


 でもそんな苦情を入れる前に、親友カップルはこちらに手を振って人込みの中に消えていった。


 後に残されたのは、微妙な空気になった友達未満の二人。


「……なんか、ごめん。」


「いや、こちらこそ……。」


 久々に、気まずかった。


 部活終わりに鍵を返す時、毎日のように感じていたあの気まずさを思い出す。


 結局、謝り合っても気まずさは抜けず。


 俺たちはその日、その場で解散することとなった。

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