かわいいきみに恋してる

 プログラマという仕事柄、ド近眼で乱視の俺には眼鏡が必須だ。それも瓶底みたいなやつ。

 だけど最近、客先常駐先の人に、「コンタクトにしないか」と迫られているのが悩み。今日も休憩所で、自販機の前でつかまった。

「宮本さん、コンタクトにはしないの?」

 栗色に染めた髪をツーブロックに刈り上げた、背が高いその人は、俺を見下ろしてそう尋ねてくる。顔を合わせるたびにこうだ。営業職だというその人の、話し相手に目を合わせる癖だとか、ぱっちりした目元だとか、正直俺はちょっと怖い。

「しません。高いし。高木さんも飽きませんね」

 コンタクトより、眼鏡の方が随分と割安で済む。それにブルーライトカットをオプションでつけるのも簡単だ。

「眼鏡、外さないんですか。外した方がかわいいかもしれないのに」

「しつこいです。外しませんし、かわいくないです」

 眼鏡をかけると、目が悪すぎて顔の輪郭はレンズの内側に食い込んでいるし、目も小さく見える。だけどそんなデメリットより、俺は経済性と利便性を取った。

「外しても、俺、こんなんですよ」

 ひょい、と眼鏡を外してみせる。途端に世界がちょっと眩しくなって目を細めた。レンズから外れた視界はぼやけ、輪郭がずれて、一歩踏み込むのもちょっと怖い。俺はそれくらい、目が悪かった。幼少期から学生時代にかけて、暗いところで本を読んだりゲームをやったりしたツケだ。

「まぶし……」

 ひとりごちて眼鏡を戻すと、高木さんは口元に手を当てて何か考え込んでいた。その視線は珍しく俺からそらされて、床に向けられている。つられてそちらを見るが、特に何も落ちていなかった。

「眼鏡」

 高木さんがぽつりと呟く。はい、と相槌をうつと、彼は、あっさりした口調で「外さなくてもいいです」と掌を返した。

「はぁ……」

「かわいいので。眼鏡をしていたほうが」

「ありがとうございます……?」

 首を傾げると、彼は目を眇めた。口元がへの字に曲がり、いつもにこにこと俺を見下ろすやたらと強い目が、熱っぽく見えた。俺はちょっと首を傾げ、のけぞる。

「かわいい、ですか」

「宮本さんは、かわいいですよ」

「人生で縁のない言葉トップテンくらいですね」

 俺が軽口を叩くと、「うっそだぁ~」と高木さんは笑った。彼は自信満々に腕を組み、壁に肩をつけて立った。

「宮本さんがかわいいことが当たり前すぎて、周りが何も言わなかったんです」

「ンなわけないです」

 俺がちょっと荒っぽく言うと、彼は珍しくはにかんだ。その表情があんまりやわらかいものだから、俺はちょっと怯んで口ごもる。

「あ、あんまり、かわいいとか言わない方がいいですよ。怒られますよ」

 早口で言うと、彼は片眉をひょいと上げた。気障な仕草でも、彼がすると妙に様になった。

「セクハラです。俺だからいいですけど、他の人に言ったら人事に話が行きます。注意されます」

「宮本さんは、いいんだ?」

 からかう彼に、むっと眉間に皺が寄る。だけど彼はだらしなく口元を緩め、「俺にかわいいって言われるのは、いいんですね?」と、薄い唇を触る。

「うれし~」

 浮かれた様子で言う彼に、眉間に深い皺が寄った。からかいやがって。彼はなおも続ける。

「本当に嬉しいです。口説いてるから。ずっとそうです」

「は?」

 いきなり放り込まれた爆弾発言に俺が目を白黒させていると、いかにも恋愛になれていますという仕草で、彼は俺の顔をのぞきこんできた。

「ね」

「何が!?」

 俺が裏返った声をあげると、「やっぱりかわいい」と追い打ちがかけられる。

「今、この会社にいる人間の中で、宮本さんがいちばんかわいい」

 俺にとっては、ね。その囁きが嫌に現実味を帯びていて、俺はかっと頬が熱くなった。じっとり掌が汗ばみ、あわててうつむく。その拍子で眼鏡がずれたので直す仕草に、彼はまた「かわいい」と言った。

「正直、俺にこう言われるの、満更でもないんでしょ?」

「い、いや」

 口ごもる俺に、高木さんは「やっぱり」と笑う。

「大人しくて、でも毒舌で、かわいい」

「じゃあ眼鏡かけててもかわいいじゃないですか」

 俺が咄嗟に切り返すと、彼は言い含めるように言う。

「それは、眼鏡を外したあなたを、俺が知らなかったから」

 俺の目を指さした。正確に言えば、眼鏡を。慌てて指でフレームを抑えると、「眼鏡も素顔も、どっちもかわいいってことが分かったので」と彼は腕組みをする。

「眼鏡外したらもっとかわいくなるかな~と思っていたんですけど。どっちもかわいいってことしか分からなかったです」

「期待外れってことなんじゃないですか?」

 減らず口を叩く俺に、「いや?」と、高木さんがしたり顔で首を横に振る。

「あなたのかわいさは、眼鏡と素顔で二通りあるんです。どちらにも優劣をつけることはできません」

「はぁ」

「こし餡とつぶ餡、みたいな」

「好き嫌いで分布とったら結構偏りありません?」

 ふー……と、高木さんはため息をついた。ちょっと呆れた感じで彼はポケットに手を突っ込み、「俺は両方を、同じくらい、好きなんです」と言う。あんこの話か俺の話か分からなくなってきた。

 まずい、話の着地点が見えない。

「と、とにかく」

 強引に話を切って、俺は眼鏡を外した。雑にシャツの裾でレンズを拭く。彼の顔を見ているのがものすごく、気恥かしい。なんだか世界がちかちか光っていて、落ち着かなくて、熱い。

「俺、席に戻るんで」

「ちょっと待って」

 ぼんやりとした色の塊にしか見えない高木さんが、スーツの胸元から何かを取り出す。それはだいたい四角くて、光っているから、スマホだ。

「連絡先。これ、プライベートのやつ」

 俺はしぶしぶ眼鏡をかけて、画面を見る。彼のアドレスが液晶画面に表示されており、仕方ないなぁとしぶしぶスマホを取り出した。ここで「いやだ」と突っぱねられない俺は、悔しいけど。つまりは、そういうことなんだろう。

 大人しく連絡先を交換して、彼を見上げて。俺は、眼鏡をかけ直したことを若干後悔した。

 彼の頬は赤らんで、表情はだらしなくゆるんでいた。目はうるんで熱っぽくて。大きな手が、彼のスマホに映った俺のアイコンを撫でている。ああこの人って、本当に俺のこと好きなのかも。

「宮本さん、顔、赤いですよ」

「あなたも人のこと言えませんけどね」

 最後の最後まで憎まれ口を叩いて、俺はやっと自販機に百円玉を入れた。がちゃん、と硬貨が落ちる音が、やたら耳に残る。ブラックコーヒーを選んでボタンを押した。

「仕事終わったら連絡しますね」

「どうぞ」

 ぷい、と顔をそむけてエレベーターの下の階へと向かうボタンを押す。冷えたコーヒー缶が、じっとりと汗ばんだ熱い掌に吸い付いた。彼もまた自販機に硬貨を入れ、「絶対に連絡しますね」と爽やかに笑った。

「絶対口説き落としますんで」

 そう言われると、俺はもう、何て返せばいいのか分からなかった。悔しいのに胸が熱くなって、嫌だと思うのに浮足立って、どうしようもなくなる。

 だからやってきたエレベーターに無言で乗り込んで、閉じるボタンを連打した。閉じる間際にちょっと会釈すると、「ほんとにかわいい」とまた彼は言った。

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