#12 疑問

【2020年11月07日】


「やっほー、来たよー」

「お邪魔しまーす」


 土曜日の午後。この日はアンコン練に加えて公民館祭りも近いということで、久々に一日練だった。


 午前のうちに全体合奏を終わらせ、午後からは分かれてアンコン練。ただ、午前のうちに体力のほとんどを使い果してしまったため、今は偵察も兼ねて他のグループの練習を見学しに回っている最中だ。


 開かれた教室の扉の向こうで、銀色の横笛を手にした三人の少女が半円状に集まっていた。


 突然入ってきた友人の姿を見て、一番手前に立っていた坂下初音は、一気に表情を綻ばせる。楽器を握りしめたまま、即座に美鈴の元へ駆け寄った。


「なん、その子供みたいな顔」


 そんな初音を、美鈴は呆れたようにあしらう。身長差もあって、なんだか美鈴がお母さんのように見える。


「あ、私達もいま〜す」


 美鈴のすぐ後ろにいた夏琴が、少し遠慮気味に手を挙げる。


「あら、金管の皆さんお揃いで……ってあれ、一人足りない」

「あー、大瀬なら職員室に呼ばれたよ」

「は?あいつ何したん?」

「ピッチが合わなすぎて先生と面談するんだって」


 怖っ、と響希がわざとらしく身震いする。花音の脳裏に浮かんだのはつい先程、吹雪に連行され音楽室を出ていく祐揮の青ざめた表情だった。


 祐揮のピッチ問題は、もはや部全体の問題と化している。仮にこの度のアンコンを誤魔化しで乗り越えたとて、彼はまだ一年生で、この先の方が大事だ。トロンボーンは彼一人しかいないのだし、来年は後輩も入ってくる。今のうちに徹底的な改善が必要らしい。


「フルートの皆さん、調子どうですか?」

「いやもう全然って感じ」


 まだ第一部しか通せてないよ。真ん中に立っている仲谷明音は苦く笑う。夏琴が興味深そうに楽譜を覗いたので、花音もつられて覗く。


「ん?三つの……こ、こびん?」

「いや、三つの小品しょうひん

「しょうひん?!」


 『三つの小品』という題名の曲は、他の作曲者や編曲含め数多く存在しているが、今回フルート三重奏が演奏するのはマデトヤ作曲の『三つの小品』だ。


 『羊飼いの夢』『小さな物語』『前奏曲』の三部から構成されているこの曲は、『フルート三重奏』という可愛らしい響きもあって易しそうに思えるが、実は公式で出されているグレードは金管六重奏や木管七重奏の曲と比べても一番高い。


「あーもう無理!こんなんできる人いんの?!」


 一番奥では、桜庭響希が楽譜を睨めつけ発狂していた。どうやら『前奏曲』の早いパッセージに手を焼いているらしかった。


「息継ぎ、間に合わねーって!中学生にこんなん吹かせんなよー!」

「そんなこと言っても、初音先輩は上手に吹いてるじゃない。しかもファーストはここ連符だし」

「初音先輩は二年生じゃん!」


 そんな相方を、明音は呆れ顔で宥める。フルートパートではこんなのが日常茶飯事なんだろうか。平和なんだか騒々しいんだか。花音の隣にいる響介が、苦虫を噛みつぶしたような顔で二人のやり取りを見ていた。


「でも二年生って、みんな上手いよね」


 ドア付近の方にいる美鈴と初音を眺めて、花音はふと呟く。


 椅子に座っている初音の肩に後ろから抱きつき、美鈴はその頭上から喋りかける。初音も部長なんだからもうちょっと堂々としないとねー。えー、美鈴ちゃんじゃないんだから無理だよぉ。そんな、どこにでもありそうな会話が聞こえてきた。

 

「ね!誰か一人が、とかじゃなく全員平等に上手」

「他の学校の中二もみんなあんな感じなのかなぁ」


 何気なく言ったことだったのだが、意外にも花音の発言は周囲の注目を集めた。


「いや、びーの一個上のいとこが吹奏楽部入ってるけど、うちの先輩達より下手だったよ。けど別に自分が下手って思ってる風じゃなかったから、みんな同じくらいなんだと思う」

 

 桜庭さん、自分のこと棚に上げて偉そうだなぁ。


「正直自分が来年、あんな風になれてるとは思えないんだよね」

「やっぱり、前の先生のおかげなのかな」


 明音が分かりやすく声を潜める。あの二人に、二年生に聞かれないためだ。


 前の先生。昨年の冬頃までこの吹奏楽部の顧問だったという男性教師・宮沢。彼の存在は、現在ではすっかりタブー、禁句とされている。


 宮沢が吹奏楽部を取りまとめていた時代、音楽室の空気は、今とは全然違ったという。


 彼の指導内容は『厳しい』というレベルを大幅に超過していたものだったらしい。


 噂で聞いたまでだが、部員たちが自分の理想とする演奏を仕上げてこないと烈火のごとく怒り、出来の悪い生徒を怒鳴りつけて泣かせたり、その生徒の楽譜を廊下に投げ捨てて合奏から追い出したり、そんなことは日常茶飯事だったそう。


 ひどいときは指揮棒を投げつけたり、生徒の譜面台を蹴飛ばし、それで倒れた譜面台が楽器に当たって破損したこともあったり、とにかく滅茶苦茶だったという。今の音楽室からは考えられない光景だ。

 

「なんか私、ちょうど顧問変わった年に入部できて運良かったのかなって思ってたけど、先輩たちの演奏聴くと、なんだかなぁって……」


 舞香はそう言って、手元のトランペットを優しく撫でた。そりゃあな、と響介が首を大きく縦に振る。


「結局みんな、怒られないとやらないしな。高みを目指すなら、それに見合った厳しさも必要だろ」


 響介が他人の意見にすんなり共感するなんて珍しいことで、花音は少し目を見張る。けど、彼の言うことは的を射ている気がした。


 吹奏楽部に限らず、どの部活やクラブチームもそうだが、強い団体の強さの秘訣は、大体どこも一緒だと考えていい。


 そのチームを取りまとめる指導者の腕が良いから。これが一番の理由である。


 部員一人一人の技量は、正直言ってあまり関係ない。だって強豪校の生徒も弱小校の生徒も、どちらも所詮は同じ中学生。そこに、大きな違いはない。


 ……と、これは花音が他者からの情報を鵜呑みにしているだけで、実際に身を持って体験したわけではないのだが、花音自身もこの意見に納得はしていた。


 それで言えば、時代遅れの問題指導をしていた宮沢も、きっと指揮者としての腕前は充分だったのだろう。実際、彼が顧問だったときの吹奏楽部は優秀で、アンサンブルコンテストでは何度か支部大会出場も果たしているという。


 一方、現在の顧問である吹雪。彼女は教師としてのみだと全く申し分のない人物だが、吹奏楽部の指導者としては色々と及ばない部分も多い(らしい)。


 新米教師で指揮経験も少なく、更に左耳が聴こえづらいというハンデを抱えているにしてはよくやっている方だと思われるが、やっぱりところどころ詰めが甘い部分がある(そうで)、宮沢と比べるとその腕前の差は歴然としている(そうな)のだ。


「かと言って、その…前の先生の指導に耐えられたかっていうと、自信ないなぁ」

「私、メンタル雑魚だから絶対辞めてる」


 夏琴が苦笑いで唸る。無理無理!と、明音が首を横に激しく振る。そんな顧問がいる部活なんて速攻辞めてやるわ、と響希が謎に自信満々に言う。


「そう考えたらさ、辞めずに残った先輩たち凄くない?」

「ね、普通に強いよね。だからあんなに上手なんだよ、きっと」


 ちらりと、花音はドア付近で相変わらずじゃれ合っている美鈴と初音を振り返る。


 あの二人だって、学校中で噂になるほど苛烈だった指導を乗り越えているのだ。そう考えると、ただ年相応に微笑み合っているだけの姿でも、なんだかものすごく尊い存在に見えるから不思議だ。


 そこでふと、花音は気になった。


 ……今のわたしたちのこと、先輩たちはどう思っているのだろう。

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