第57話 彼は哀れな王様?

 「お帰り、大丈夫だった? 変なコトされてない?」

 学校に戻ると、ともちゃんが心配顔で駆け寄って来た。とうに日付は変わっている。

「あちこち連れまわされて疲れたよ。とりあえずお風呂に入って眠りたい」

 事実、あまりの眠気に帰りの車内ではずっと眠っていた。ここに着いても、興俄に起こされるまで完全に熟睡していたのだ。

「やっぱり息の根を止めた方が良いかもね」

 ともちゃんはまだ諦めていないらしい。

「あの人自身は嫌いだし、許せない。この先も、一生憎むと思う。でもね、あの人なりにこの国を良くしたいと思っているのだけは分かる。その為に、私の力が必要ってことも。強がりなのに、弱くて、正義が空回りして、挙句の果てに北川先生とか周囲に担がれているようにも思えるけれど、あの人の理念はなんとなく理解できるんだ。大嫌いだけど」

 廊下を歩きながら冬華が言った。

「あのねぇ。あいつは、今も昔も冬華の大切な人を殺したんだよ。理解できるなんて、お人好しにもほどがある」

「確かにそうかもね」

 呆れた顔のともちゃんを見て、冬華は曖昧な笑みを返した。


 その夜、明け方近い午前四時。

 

 冬華はふと目覚めた。深夜までずっと車の中で眠っていたので、一度起きてしまうとすっかり目が冴えてしまった。ともちゃんを起こさないようにベッドから抜け出す。喉が渇いたなと思い廊下に出ると、熱気に包まれた。飲み物は調理室にある冷蔵庫の中だ。寝ていた教室はエアコンがきいていたが、鉄筋コンクリートの建物である小学校の廊下は昼間の熱をそのまま蓄えている。薄暗い廊下を進み、階段を降りる。一階の調理室へと向かう途中、二階の職員室から明かりが漏れていた。

 気になって部屋の中を覗くと、興俄が一人でパソコンに向かい何か作業をしていた。


「ねぇ、何をしているの?」

 部屋に入り、背後から声をかける。


「ファクトチェックだ。真偽の検証行為。今のこの世には必要な仕事だ。一方的な正義の押し付けが蔓延している世界に必要なのは、真贋を見極める力。歴史、学術、全ての分野においてな。あらゆる角度から精査しなければ、あとで痛い目を見る」

 興俄は顔をこちらに向けることなく、声だけで返事をした。その間にも指はキーボードやマウスから離れない。パソコンのディスプレイを見ると日本語の他に様々な言語がびっしりと並んでいた。

「あとは経済の動向、世界各国の軍事データの確認、まぁ、お前に説明は無駄だな。それより何の用だ」

「ねぇ、ちょっとは寝たら? 今日だってあれだけ動き回ったのに」

 

 彼は手を止めてゆっくりと振り向いた。

「ほう、俺の心配をしてくれるのか」

「するわけないでしょ。バカじゃないの。さっさとくたばればいいと思ってる」

「出逢った頃の冬華は可愛かったな。まぁ、こっちが本性なんだろうが」

 にやりと笑われ、冬華は思わずムッとする。

「可愛くなくてすみませんね。貴方の野望が叶ったら、ここを出て行くから。北川先生がいればなんとかなるでしょ」

「出て行けると思っているのか? 俺はお前を手放さない。どんな手を使ってもな。俺がこの国を治めた暁には」

 そこまで言って、彼は黙った。


「暁には?」

 冬華が怪しげに復唱する。

「その時は俺と共に国民の前へ出てもらう」

「は? なんで? 北川先生がいるじゃない」

「確かに麻沙美の存在は他を圧倒するだろうな。あれの演説は後世にも残っている。だが御家人に対しては有効でも、民に対してはいささか威圧的だ。それに比べてお前の存在は、国民を圧倒するだろう。長く辛い時代を生きてきた国民に、お前が語りかけるんだ。見る者すべての心を奪う素質がお前にはある。神さえも動かせるだろう」

「何それ。寝ぼけてるの? 睡眠不足で頭がおかしくなったの? 私にそんな力あるわけないじゃん。そんなの絶対に嫌だよ。貴方が国を治めたら、私の役目は終わりだからね」

「お前の役目は俺の傍らにいること。どちらかの命が尽きるまで、だ」

「そんなの絶対に認めない。私が出て行きたいと望んだら、勝手に出て行くから」

「まぁ、せいぜいほざいておけ。無駄なことだ」

 それだけ言うと、彼はまたパソコンに向かった。

 

 少しでもこの人の心配をした自分が馬鹿だったと、冬華は不機嫌な顔で調理室へと向かった。


 冬華が出て行って数分後、入れ違いに麻沙美が部屋に入って来た。

「まだ終わらないの?」

「何か用か?」

 彼は麻沙美を見ることなく言った。

「全て終われば、彼女は彼の元に返すのよね?」

「あの男が生きていればの話だ」

「まさか、また義経を殺す気?」

「彼女の力をみすみす手放せと言う方がおかしいだろう。あの男は近いうちに、誰かに殺されるかもな。ああ、それと」

 言葉を区切った興俄は手を止め、顔を上げて麻沙美を見た。


「麻沙美の周囲には、相変わらず身内ばかりだな」

「何が言いたいの?」

 麻沙美は怪訝な顔で聞いた。

「梶原の存在は本当に知らなかったのか? たまたま俺達が出会ったから良かったものの、これだけ転生者を見つけられるお前が、あんなに近くにいる男が分からないとは思えない。現に身内はちゃんと見つけてくるじゃないか」

 麻沙美をお前と呼んだ興俄は、じっと彼女を見据える。


 事実、興俄が言うように麻沙美は前世の弟である北条義時を見つけていた。だが、彼は前世を覚醒していない。現在の彼は身寄りがなかったので、住み込みのスタッフとして雇い入れていた。そして父である北条時政は見つけたものの、まだ小学生だったので引き入れることを断念していた。


「ちょっと、それどういう意味?」

「例えば三浦氏の一族であった和田義盛とその息子達。比企の一族。畠山 重忠。彼らは北条に強い恨みがあるだろう。本当に誰にも会っていないのか?」

「だから何が言いたいの。はっきり言って」

 麻沙美は怒気を含んだ声で言った。

「昔の俺は利用されたんじゃないかと考えていたんだ。北条家のためだけに、ただ利用された。実際、俺の死後はそうなっただろう。頼家、実朝、公暁、源氏の血を引く者だけが次々に命を落とし、その結果どうなったのか。あの時代に生きていたお前なら分かるはずだ」

 冷静に告げる彼を見て、麻沙美はあからさまに嫌な顔をする。

「まるで私が北条のために貴方に近づいたとでも言いたげね」

「その可能性も否定はできない。北条家の人間は真面目で、無駄なことを嫌い、よく気が付く。良い人たちだとは思うよ。しかしその反面、いつも陰気で不穏な影が漂っていた」

「ちょっと、いい加減にして。夫に先立たれ子も亡くしそれでも懸命に生きてきた私の気持ちなんて、あちこちに女を匿った貴方には分からないでしょうね」

「それではなぜ、頼家を守らなかった。お前の行動次第では、あのような最期にはならなかったはずだ」

「私はあの子を愛していたわよ。誰かさんに似て女好きで、苦労したけれど」


『正治元年(一一九九)七月大廿日 庚戌 申尅以後雷鳴甚雨及深更月明至曉鐘之期中將家遣中野五郎能成猥召景盛妾女點小笠原彌太郎宅被居置之御寵愛殊以甚云々 是日來重色之御志依難禁被通御書御使往復雖及數度敢以不諾申之間如此云々 吾妻鏡一六巻より』

 源頼家は中野五郎能成に指示を出し、安達景盛の妾を無理やり連れだして、小笠原彌太郎宅で囲い寵愛したと記されている。


「私はあの子と安達景盛との間もとりなした。貴方に嫌味を言われる筋合いはないわ」


「ねぇ、夫婦喧嘩はそれくらいにしてくれない?」

 いつのまにかそこにいたともちゃんが、冷めた目で二人を見る。彼女は冬華が部屋に戻った物音で目覚めていた。冬華同様、喉が渇いたと思い教室を出て廊下を歩いていたら、二人が言い争う声が聞こえたのだ。

「夜中に迷惑でしょ。静かにして」


 興俄はともちゃんを一瞥した後、麻沙美の顔を見つめた。

「他に子供はいないのか。貴女は巻き込みたくない一心で隠している可能性はある」


「いるはずないじゃない。誰があなたたちに会いたいと思う? 私だって、あなたたちに会いたかったわけじゃないから」

 麻沙美の代わりに、ともちゃんが答えた。

「とりあえず、二人とも出て行ってくれ。くだらないことで俺の邪魔はするな」

 吐き捨てるように言って、興俄はまたパソコン画面に向かった。

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