第54話 謀は密なるを良しとす
その夜、
「冬華、まだ起きてる?」
ともちゃんが小声で呼びかけた。
「うん……」
冬華はそっと起き上がった。カーテンの隙間から月明かりが入っている。目を凝らすと、ともちゃんが身体を起こしてこちらを見ていた。
「あのね、お母さんのこと……何もしてあげられなくてゴメン。それどころか私、あの人の言いなりになってここまで連れて来て、本当にごめん」
「ともちゃんは何も知らなかったんだし、謝らないで。それにともちゃんだって、賢哉を人質に取られている訳だし」
「あのさ、私が連れてきたのに言うのもアレなんだけど。明日の夜にでも、こっそり逃がしてあげる。駅までは一緒に行くから、そこからは一人で逃げて」
「ゴメン……それはできない」
冬華は小さな声ではっきりと告げる。
「どうして? あの人はお母さんを殺したんだよね? 目的のためなら手段を択ばないよ。野望が実現したら、冬華だってあっさり殺されちゃうよ。昔、義経がどんな末路を辿ったか知っているでしょう? 私は自由に出入りできるし、多少は信頼されている。まずは私が椎葉くんに連絡をするから。彼が義経なら、絶対に助けてくれる。迎えに来てくれた椎葉くんと逃げて。彼ならきっと、あの人も倒してくれるよ」
「それはだめ。鷲くんに私の居場所を伝えないで。彼は絶対に巻き込みたくない。ともちゃんが賢哉を巻き込みたくないって思うなら、わかるでしょ? もしも、鷲くんがあの人に殺されたりしたら……それだけは絶対に避けたい。このまま会わなければ、彼はきっと私のことなんて忘れるよ」
自嘲気味に言って曖昧な笑みを浮かべると、ともちゃんの顔が険しくなった。
「ちょっと、それ本気で思ってるの? 八百年も待った人を簡単に忘れるって。椎葉くんはそんな人じゃないでしょう。冬華が一番よく分かっているはずだよ」
「じゃあ、どうするの? またあの二人を戦わせるの? 彼が死ぬなんて、もう絶対に耐えられないよ。それだけは嫌」
悲痛な声で訴える冬華を見て、ともちゃんは少し考える。
「分かった。じゃあ、私達であの人を倒そう。二人で力を合わせればできるよ」
「倒すって……興俄先輩を殺すの?」
困惑した顔の冬華に、ともちゃんが力強く頷く。
「あの人にすごい力があったとしても、私たちには通用しないんでしょう。好都合だよ。二人で寝込みを襲えば良いんじゃない。熟睡している所を襲えばたいした抵抗もできないよ。冬華ができないなら、私がやる。凶器は捜せば何かあると思うし、絞殺よりも撲殺かな。一撃で仕留めないとね」
「え? いや、だって、人殺しなんて。さすがにそれは」
ともちゃんの提案に冬華はたじろいだ。
「あの人がどんどん暴走してもいいの? まさか、話せばわかるとか思っていないよね。椎葉くんに逢いたいでしょ。あの人がいる限り、逢わせてなんてもらえないよ」
「でも、具体的にはどうするの」
「上手く取り入って睡眠薬でも飲ませてさ、眠ったところを一気に襲えばいいんじゃない? 保健室の棚にはいろんな薬があったし、睡眠薬も手に入ると思う」
事もなげにともちゃんが言う。
「うーん。人を信用していない興俄先輩に、そんな子供だましの方法が通用するかなぁ」
「冬華は元カノでしょ。あの人、女好きなんだし、冬華が色気を振り絞って迫れば何とかなるって」
「えっ、私が眠らせるの? 色気を振り絞って……て、そんな、色気って振り絞るものじゃないから無理だよ。それならともちゃんだって元、実の娘でしょ。油断するんじゃないかな」
「いやいや、私より冬華の方が適任だって。あの人、まだ冬華に未練があるみたいだし。嫌だとは思うけど、二人きりの時間を作ってさ。上手く眠らせてくれたらあとは私に任せて。しっかりと息の根を止めてやる。義高様の恨みも私が必ず……」
その時、突然教室のドアがガラリと開いた。誰かがライトのスイッチを入れる。
「それだけはやめなさい」
穏やかな声で女が告げた。徐々に視界が明るさに慣れてくる。二人の前には北川麻沙美が立っていた。
「お願い、それだけはやめて。あの人は例え身内でも容赦はしない。分かるでしょう? そういう話をしただけで、命はないわよ。やめなさい」
いつにもなく真剣な北川先生の様子に、二人は黙って顔を見合わせた。
「私は冬華をここから出してあげたい。じゃあ先生があの人を説得してよ」
「先生が言ったって無理だよ。私なら大丈夫。時期が来たらちゃんと出て行くから心配しないで」
冬華が穏やかな口調で告げると、北川先生は「あのね」と口を開いた。
「菜村さんのおじいさんに私たちの姿を見られたでしょう。あの人が記憶を消そうとしてもできなかった。夢野さんが私達と一緒にいるって、きっと椎葉くんは知っているわ。そのうち迎えに来るんじゃない? だから、お願い。今はそんな話やめて」
「あの時、公園で会った人って、ゆかりんのおじいちゃんだったの? だから私のこと、どこかで見た顔だって言ってたんだ。あの人の力が通用しないって、じゃあ、ゆかりんのおじいちゃんの前世は誰? 木曽義仲とか?」
目を輝かせてともちゃんが聞くと、北川先生は苦笑いした。
「あの時代、七百万人の人がいたのよ。会ったことがなくても、1147年から1199年の間の一年でも同じ時代を生きた人間は、何故か神冷くんの力が及ばない。同じ時代、同じ国に転生する確率は僅かかもしれないけれどゼロじゃない。短いサイクルで転生した人もいれば、何百年ぶりに転生する人もいる。ああ、でも菜村さんのおじいさんは前世の記憶もないし、私達と接点があったわけじゃないわよ。農耕生活をしていた善良な民だったみたい」
「先生はそこまで分かるんですか?」
冬華が尋ねる。
「そうよ。話していなかった? 私は幼い頃から前世の記憶があったの。同じ仲間がこの世界のどこかにいるはずだとずっと信じていた。そうするうちに、同じ時代を生きた人が自然と分かるようになった。とは言ってもそう多くはないわ。そしていくらこちらが気づいても、相手は全く覚醒していないと知った。前世を覚えている人間なんていないんだなと痛感した。あの時代に一度も会ったことがなくても、共に生き、同じ風を感じた誰かと語り合いたかったんだけどね。無理だった。考えれば当然よね。みんな今を生きているんだもの。そんな不確かな過去なんて、誰も必要としていない。でも私は思ったの。彼にだけは会いたいなって。そして彼を見つけた」
感慨深げに話す先生を見て、
「そんなに会いたかったんだ。あの人はそれほどでもって感じなのに」
呆気にとられた顔でともちゃんが呟く。
「なんだか先生が不憫に思えてきた」
冬華が気の毒そうな顔で先生を見る。
「ちょっと、二人ともそんな目で見ないで。私は充分、彼に愛されています」
北川麻沙美はムッとした顔で言い切った。
「私が知らせなくても、椎葉くんなら助けに来てくれそうだね」
「でも、できればあの二人を会わせたくないな」
ともちゃんの言葉に冬華がポツリと零した。
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