推しの力は偉大なり

海乃マリー

第1話 前編

「奈美さーん。これから散歩に行きましょう」


名前を呼ばれた瞬間、意識が全部そっちに持っていかれた。今しがたやろうとした事が何だったのかすっかり忘れて、私は女性の呼びかけに応じた。


今日は天気も良く暖かな陽気だった。奈美は羽織っていたカーディガンを脱いで膝の上に置いた。

桜の花びらが舞い散り、カーディガンの上にも花びらが数枚落ちた。看護師さんに車椅子を押してもらいながら桜並木のトンネルをくぐり抜ける。


奈美は美しく懐かしい光景に目を細めた。陽射しが明るくて眩しくて、しばらく瞼を閉じると温かな桜吹雪に包まれたような不思議な感覚が呼び起こされる。



今日は久しぶりの外出だった。私は今、ちょっと病気をしていて、車椅子生活になっているんだけど、こんなのすぐに直して、早くライブに行きたいと思っている。


そうだ。

昨日はトッキーのDVDの発売日だったじゃない。予約していたからそろそろ届いているかもしれない。花を見ながら散歩も気持ちいいけど、早く帰ってDVDを見たいところだ。

 


桜吹雪に五人のシルエットが映り、アングルが近づいていく。大音量とともにライトに照らされた彼らの顔がアップで映し出された。


「キャー! トッキー! やっぱ最高!!かっこいーわー」


奈美は戻ってからすぐに、自分の部屋でDVDをセットして歓声を上げた。


予約していた私の推しのバンドである『ターニングポイント』のDVDがちょうど宅配で届いていたのだ。ターニングポイントのジャンルはハードロック。私の推しはトッキーこと『時東拓哉ときとうかずや』は自分のことをハードロッカーとよく表現していた。


トッキーはボーカル担当だ。歌も上手いし、声も良いし、顔もいい。大好き。

この間、バラエティー番組に出た時は、ボケ&おバカキャラでそれがまた可愛かった。


私はデビュー当時からずっとトッキーを応援してる。ターニングポイントが出てる音楽雑誌は必ず購入してて、くまなく情報収集してるし、テレビに出るときは必ず録画するようにしていた。


トッキーは私の生きがいで生きる原動力だった。


本当は早くライブに行きたいんだけど、その為にもこの病気を治さないと。




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