第17話:婚約者として王都へ

 翌日、クロエは緊張しながら身支度みじたくととのえた。


(本当に今日、王都へ行くの……?)


 田舎の村周辺しか行ったとこのないクロエにとって、王都は外国のように遠い存在だった。


(村でも王都に行く人なんて滅多にいなかった……)


 この辺境地なら、馬車で一週間はかかりそうなものだが、なぜか旅支度たびじたくは必要ないと言われている。

 そわそわしながらも王都に行くということで、きちんとしたドレスを着て髪も結い上げ、アクセサリーもつけてみた。


「クロエ、準備はできたか?」


 ノックをしたエイデンが顔を出す。


「はい!」


 立ち上がったクロエにエイデンが顔をほころばせる。


「その薄桃色のドレス、似合っているな。そうだ、せっかく王都に行くのだから、新しい服も買うか」

「いえっ、そんな! じゅうぶんです!」

「おまえは本当につつましいな」


 エイデンが少し呆れ気味に笑う。


「私の周りの女は、むしろ何でもねだるようなタイプが多くて辟易へきえきしたが」


 エイデンの口の片端が上がる。


「おまえはもっと欲があってもいいと思うぞ」

「いえっ、花の苗もたくさん買ってもらいましたし!」


 エイデンがたまらずふきだす。


「そうか……それが贅沢ぜいたくなのか、おまえにとっては」


 エイデンが肩を震わせている。

 何か笑われるようなことを言ってしまったのだろうか。

 しゅんとしているクロエの頭に、そっと手が乗せられた。


「悪い。馬鹿にしたわけではないのだ。おまえを見ていると、妙にじれったくなってな。いろいろ買い与えたくなって困る」

「……っ」


 あまりに慈愛に満ちた眼差しに、クロエは思わず目をそらせた。


(なんて優しい目で見つめてくるんだろう……)


「ところで、王都に行く前に一つ頼みがある」

「なんでしょう?」

「私の婚約者ということにしてほしい」

「えっ?」


 思いがけない言葉にクロエはぽかんと口を開けた。


「王都にいる間、おまえが婚約者だと色々都合がいいのだ。形だけだが……嫌か?」

「いえっ」


 絶句しているクロエをエイデンが心配そうに見つめてくる。


「あの……恐れ多くて……私なんかがエイデン様の……」

「そもそも、おまえは”辺境伯”に嫁入りに来たのだろう? 婚約していても何もおかしくはない」


 エイデンがからかうように言う。


「そ、そうですが……」

「受けてくれるか?」


 薄青の目が真摯に見つめてくる。


「は、はい!」


 うなずくと、エイデンが安堵したように顔をほころばせる。


「そうか。よろしく婚約者殿」

「……っ」


 クロエはうつむいてぎゅっとスカートを握った。


(どうしよう……めちゃめちゃ嬉しい。仮の、今だけの、形だけの婚約なのに……)


 クロエはぼんやりした予感が次第にくっきりと輪郭をすのを感じた。


(私……エイデン様のことが好きなんだ……)


 彼の顔を見るとホッとする。

 話していると楽しい。

 できるだけ側にいたい。

 今思えば明らかな恋心だ。


(それとも、ただ心細くて頼りにしたいだけ?)


 クロエの混乱に気づかず、エイデンが立ち上がった。


「さて、執務室に行くか。あそこがいいだろう」

「? は、はい」

「荷物を持ってきたら出発する」


 クロエはよくわからないまま、鞄を持って執務室に行った。


「では行くぞ」


 エイデンがポケットから鍵を取り出す。

 真鍮しんちゅうの重そうな鍵には、赤い宝石がついている。


「これはいわゆる『魔道具』でな。王家の者しか使えない」

「は……?」


 魔道具――その存在自体は知っていたが、空想の世界のものだと思っていた。

 いわく、どんなに風が吹いても消えない火がともされた燭台、どんなものでもしまえる無限の箱――などなど、伝説だけは知っている。

 そのうちの一つが、遠く離れた場所へ一瞬で移動できる鍵だ。


「まさか……」

「そのまさか、だ。伝説上のものではなく実在する」


 鍵を壁にかざすと、何もなかった場所に扉が浮かび上がる。

 エイデンは慣れた手つきで鍵穴に鍵を差し込む。

 ガチャリ、と音がした。


「行くぞ」


 音もなく開いた扉に、エイデンが足を踏み入れる。

 クロエも慌てて後についた。

 一瞬、すべてが暗闇に包まれ、体の中がぐにゃりとねじれるような不快な感覚が襲う。


(ん……っ)


 すぐさま明るい光が目に飛び込み、クロエは目を細めた。


「え……?」


 クロエは目を疑った。

 目の前には豪奢な家具がしつらえられた応接室があった。


「えっ、えっ?」


 見たこともない部屋に、クロエは目を白黒させた。


「クロエ、気分はどうだ? 初めてだから驚いただろう。言うのを忘れていたが、空間移動は体に負担がかかる」

「えっと、びっくりしましたけど……平気、です」


 どこも痛くないし、異常はなさそうだ。


「気分は悪くないか?」

「ええ、一瞬だけ。今は全然大丈夫です」


 クロエは大きく息を吸ってみたが、どこも異変はない。


「そうなのか! 俺は初めてのときは吐き気と目眩めまいがひどくて……。おまえはすごいな。じゃあ、すぐ移動して大丈夫か? ソファもベッドもあるから休んでいけるが……」

「いえ、大丈夫です」


 どうやら、空間移動のための部屋らしい。

 よく見れば、ゆったり休めるようにベッドもあるし、水差しなども置かれている。


「ここは……もしかして、もう王都なんですか?」

「ああ、そうだ」


 信じられない思いでクロエは部屋を見回した。

 室内のせいか、そんな遠方に来たという実感がわかない。


「では、行くぞ」


 クロエはドキドキしながら、エイデンの後についていく。

 扉を開けて廊下に出ると、はるか高みに天井があった。

 ゆったりした廊下には石柱が並んでいて、その奥には美しい中庭が見える。


「ここ……どこですか?」

「王宮だ」

「は?」

「王宮の中だよ」

「ええーーーーー!?」

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