辺境伯の花嫁 ~生贄として嫁いだら、王子に溺愛されました~

佐倉ロゼ

第1話:生贄の花嫁

きましたよ、クロエ様」


 感情を押し殺した御者ぎょしゃの声に、クロエは震える足で馬車を降りた。

 強い風にあおられて、長い黒髪が大きく流れる。


 クロエは逃げ出したい気持ちを必死でこらえた。

 逃げたとしても帰る場所もないうえ、付き添ってきた村人たちにすぐに捕まえられてしまうだろう。

 やっとのことで選んだ生贄いけにえの花嫁なのだ。


 辺境伯に渡す前に逃げられでもしたら、自分たちの娘や恋人が生贄にされるかもしれない。

 誰もが切羽詰せっぱつまっている。


「ああ……」


 灰色の空におおわれた北方のノースフェルド辺境伯領地は、元いた村とはまるで違う荒涼とした丘が続いていた。


 カーター・ノースフェルド辺境伯――王国の北東に位置する領地を治める悪名あくめい高き貴族だ。

 王都から遠く離れて目が届かないのをいいことに、カーターは領地で暴虐の限りを尽くしていた。


 人嫌いで魔術に耽溺たんできし、純潔の乙女を『花嫁』として差し出すよう領民に求めた。

 体裁は『花嫁』だが、魔術に使う生贄であることは誰の目にも明らかだった。


 過去30年において差し出された娘たちは、ゆうに百人を越えるという。

 そして、誰一人として生きて帰ってくる者はいなかった。

 城の地下からは娘たちの泣き叫ぶ声が聞こえてくると噂になっている。


(どんな目に遭わされるのだろう……)


 想像するだけで涙がにじんでくる。


「……悪く思わないでください。クロエ様」


 クロエの運命を知っている村人たちの表情も暗い。


「村を焼き払われるわけにはいかないのです……」


 クロエは目をつむり、今朝の出来事を思い出した。

 自分の運命が大きく変わった瞬間を。


         *


 4年に一度、各村から『花嫁』を辺境伯に捧げるように。

 それがカーター・ノースフェルド辺境伯からの各村へと通達された命令だった。


 一年ごとに持ち回りで4つの地域に分けられた村から一人ずつ、穢れなき娘を花嫁として送る。

 つまり、一年に数人の娘たちが犠牲者となるということだ。


 それは『花嫁の儀』と呼ばれた。

 形式的には生贄を差し出すのではなく、『辺境伯の花嫁候補を送り出す』とされていたからだ。


 期日までに娘を差し出さなかった村は、辺境伯の私兵たちに容赦なく蹂躙じゅうりんされ、思い税を課せられた。

 完全な見せしめだったが効果は抜群で、刃向かう村はなくなった。

 悲惨な例を見て以来、領地の村たちは仕方なく命令どおり若い未婚の娘を差し出すようになった。


 クロエの暮らす東部のメイデンホリー村も例外ではない。

 今年はメイデンホリー村が所属する東部の地域の村々から花嫁を差し出す番だった。

 妙齢の女性たちは怯えて暮らし、早くに娘をとつがせようとする者も後をたなかった。


「どうするんだ。期限をもう1ヶ月も過ぎている!」


 苛立った父、ノアの声が屋敷内に響く。

 今日も客間で村長であるノアと長老たちが集まって相談をしている。


「クロエ、水くみは終わったの?」

「はい、お母様」


 母のリンジーが苛立った表情でクロエを睨む。


「じゃあ、次は洗濯をしてちょうだい。マデリーンの祈祷きとう着が必要なのよ!」

「はい、今すぐに」


 クロエは逆らわず、すぐに洗濯場へと向かった。

 クロエとマデリーンは共に18歳。

 まったく似ていないが、双子の姉妹だ。


 明るい髪色の村人たちのなかで、クロエの黒髪は目立った。

 クロエ以外の家族は全員、明るい金色の髪をしている。

 そのせいか、年頃になるとリンジーは露骨ろこつにマデリーンをひいきし始めた。


(マデリーンは巫女姫としての力もあるし……)


 村長一族は代々、神へと仕える祭司の役割もになっている。

 だが、クロエはまったく神と交信できず、役立たずの烙印らくいんを押されていた。


 クロエもまったくの無能力というわけではない。

 花を上手に咲かせることができた。

 だが、豊かな自然を享受きょうじゅしているこの村では必要とされない能力で、村長の家族ではあるが落ちこぼれとして扱われている。


 不吉とされる黒髪のせいで、村人たちの多くはクロエとの交流を好まなかった。

 家族との関係は、クロエの努力もむなしく冷え切っている。


「はあ……」


 荒れた手に冷たい水がしみる。

 クロエはひとりぼっちで過ごすことが増え、寂しさに身を切られる思いだった。


 できれば好きな人と結婚をして家を出られたら――そう思うが、黒い髪がわざわいしてか、クロエに縁談が持ち込まれることはなかった。

 村の中どころか、よその町からもひっきりなしに声がかかるマデリーンとは大違いだ。

 だが、マデリーンのお眼鏡にかなう男性はまだ現れず、結婚する気配はない。


 ずっとこの家で使用人のようにして暮らさなくてはならないと思うと、暗い気持ちになる。

 洗濯物を干すと、クロエは庭に出た。

 咲き乱れた花をいくつか手折たおる。

 こうして庭の花を摘んで飾ることしか、癒やしがない。

 小さなブーケを手にして家の中に入ったクロエの耳に、怒声が聞こえた。


「では、もうクジで決めようではないか!」


 父の荒げた声にびくりとする。

 いつもは穏やかな父も追い込まれているのだろう。


「そんな乱暴な――」

「だが、話し合いでは解決しないだろう! それともおまえの娘を送るか?」

「……」


 クロエはドキドキした。

 とうとう、生贄の娘が決まるのだ。

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