第16話 Anyways , I know I’m just a mediocre man. Do I have time to get depressed?

 いびつな運命を共にした愚か者達は、それぞれがあらぬ真理を見続けながら進む。触れてはいけない物に触れ、口にしてはいけない言葉を紡ぎながら、帰る道のない深淵しんえんへと、また一歩、足を踏み入れた。望んだ筈ではない。選んだつもりはないと嘆きながら、しかし、その足は留まることを知らない。

 光を求めてさらに深い闇へと。愚か者達は進む。あの日、出会ったあの日こそ間違いではなかったと己の胸に刃物を突き立て、ただ進む。やがて辿り着いたその場所が、広大な迷宮のほんの一部、行く手を阻む壁であろうとも。


 高く積まれた石垣はしっとりと濡れていてせ返るほど濃い緑の苔がみ付いている。それを掌でさすり、美猴王びこうおうは遥か頭上を眺めた。はなはだしい高さで、途中手足を滑らせそうではあるが登れない事もない。石垣の上から見渡せば、この終わりの見えない迷宮の先が判るかもしれない。

 しかし、この先には何があるのだろう。ふと、綱渡りで片足を踏み外したかのような寒気を覚えた。

 自分が何の為に進んでいるのか解らない。


「そう、それこそ君と出逢った時に私が感じた君への嫌悪感けんおかんの正体なのだろう」


 背後から、まくで覆われた闇を鋭い爪の先で、そっと突き破り、混世魔王こんせいまおうが現れた。


蛇蝎姫だかつきと君をぶつけてみて初めて気付いた。彼女と君はとても似ている。薄皮一枚で取り繕っているが中身が伽藍がらんとしている。まるで空っぽだ」


「馬鹿にしてんのか。亡霊ぼうれい風情がよ」


 唾を吐き捨てるように呟く美猴王びこうおうに対して、幼子の間違いをたしなめる母親のような表情で混世魔王こんせいまおうは首を振る。


「恥じ入ることはないよ。これからの出逢いが、君の中身となるのだから。私はきっとその完成を見届ける為に誕生うまれてきたのかもしれない」


 混世魔王こんせいまおうが石垣に掌をかざす。蒼白い光が指先に集まり、やがて直視出来ぬ眩さで閃光となった。

 眼を開けると黴臭い迷宮は消え、ゆるやかに起伏した草原が現れた。風が限りもなく駆けぬけ、柔らかな深緑の若草が爽爽さわさわと音もなく揺れている。


「迷うことなく君は進め」


 混世魔王こんせいまおうの顔を見て、美猴王びこうおうは、頷きもせず、先に進み始めた。光のある方へ、振り返ることはない。




 美猴王びこうおうの背を愛しげに見送る混世魔王こんせいまおうの唇の端の浮んだ笑みが、あざけるような陰りを浮かべる。


「彼女より創られし神の複製体、その業に触れ、君はどうなるのかな。愉しみだよ」


 風が止み、やがて足元の草が枯れはじめた。じくじくと泥濘が産まれる。泥土に咲く花のような美しい微笑みを浮かべて混世魔王こんせいまおうはふたたび闇の底に沈んでいった。




 眼を開いた美猴王びこうおうの視界に現れたのは、くしゃくしゃに泣き濡れた狐亜こあの表情だった。媚びるようなそれでいて責めるような口調で何事か喚き散らしている。

 一行は舟の甲板上に居た。今は坎源山水臓洞こんげんざんすいぞうどうの地底川を抜け、傲来国ごうらいこくの東に向かって流れる名も無き河川の上だ。その流れは緩やかで、とぷんたぷんと舟体を優しく揺らしていた。辺りは変わらず深い樹海となっており、真緑の鏡面に立ち並ぶ木々の姿を真逆様まっさかさまに写し取っている。

 坎源山水臓洞こんげんざんすいぞうどうの地底川は中間で、とんでもない激流下りへと変貌し、揺れる舟体に後頭部を強かに打った美猴王びこうおうは、暫し人事不省となっていたのだ。


「待て、少し待て」


 頭がくっつくほど顔を寄せる狐亜こあの肩を掴み、ぐいっと押し戻す。鰐の牙で負った傷が開いたのか、腕に巻かれた繃帯ほうたいに血が滲んでいた。


「主様を、一歩間違えば元も子も失う危険に晒してしまいました。この生命、主様の為の物とあの日に誓ったばかりなのに」


 感情が爆発して言葉に詰まっている。両手を舟の甲板について前かがみになり、まるで吐くような格好で泣いた。元が獣だからか、辺り構わず威嚇しているように見える。傍らで唇を噛み締めて座っていた喬狐きょうこが堪らず弟に縋り付いた。


「やっぱりお前ら姉弟だな。何度も云うが、俺の配下になった以上、お前らの生命は俺のもんだ。勝手に捨てようなんざ甘い考えは捨てろ。そもそも俺はな、生命に換えても偵察してこいなんて命令は断じて出したつもりもねぇよ」


 しかし、と狐亜こあが食い下がった。


「あぁ、もぅ!解った!じゃあ罰を与える!歯ぁ喰いしばれ!」


 中指を内側に丸め親指で押さえ、中指に伸ばす力を精一杯込めた状態で額を狙い、親指を離し中指を解き放ち、額を弾く。すなわち両手式丸め中指型のでこぴんが狐亜こあの小さな額の表面で爆ぜた。それは僅かに掠る程度の所謂、不発の当たりだったが、美猴王びこうおうの膂力で放たれた一撃は容易に狐亜こあ喬狐きょうこを吹き飛ばした。


「俺達はもう止まらねぇ。もっとずっと強くなるんだ。俺もお前も」


 美猴王びこうおうの言葉は脳震盪で気絶した狐亜こあに届いていなかっただろう。


「えーと、美猴王びこうおう様。お取り込み中にすみませんが、ご意見をお聞きしたいのですが」


 舟頭にて行く先を眺めていた百里魔眼ひゃくりまがんが声を上げた。声の方へ振り向いた美猴王びこうおうの眼に奇妙な物体が映る。

 すべすべと見るからに滑らかそうな表面を持った楕円の石。否、掌に収まりそうな大きさの白い卵が甲板の上に立っていた。舟の揺れに左右される事無く起立したそれは、異様な存在感を持って美猴王びこうおうの眼を放そうとしなかった。

 美猴王びこうおうが、それに手を伸ばした瞬間。白い楕円にばりばりとひびが入った。

 鳥の声と間違うような飛来音。

 突如、美猴王びこうおうの頸部に何かが突き刺さった。仲間に異変を報じる悲鳴を上げようにも気道に血が流れ込み、水中で足掻くような呼吸音しか出ない。引き抜こうと貫通した先を握り締めた。しかし、もたついた足が千鳥足になり、遂には甲板から川へ転がり落ちてしまった。




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