第3話 世田谷区、スタジオ繭
株式会社ジアンによる『
鹿野、宍戸、そして間宮は世田谷区にある株式会社ジアン所有の稽古場に向かった。
少なくとも不田房栄治はその場にいるはずだ。
「今後、ジアン関係の仕事出禁になるかもな」
「別に興味ないっす」
助手席でシートベルトを締めながら鹿野は応じる。
「探偵さんにも何も関係ないかなー。それより先にこの気持ち悪い案件から解放されたいよね〜」
助手席にひっくり返り、自分で集めてきた書類諸々を確認しながら間宮が明るく応じた。
株式会社ジアン所有の稽古場、『スタジオ繭』。関係者用の駐車場を勝手に使うわけにはいかないのでコインパーキングにクルマを放り込み、徒歩で稽古場に向かう。一階には喫茶店があり、二階が稽古場になっているという些か風変わりな建物だ。三人は喫茶店をスルーし、二階の稽古場に通じる階段を駆け上がった。管理人や、それに類する人間はいなかった。無防備なのか、なんなのか。
「お邪魔しますよ」
扉を開けた宍戸が、声を掛ける。
予想は当たった。『底無活劇』の関係者がほとんど──出演者以外にも音響、照明、そして舞台監督といったスタッフ、それに、
「……本当にお邪魔ね。エイジくん、どういうこと?」
──うんざりした口調で、
台本を持ったまま立ち尽くした不田房は呆気に取られた様子で宍戸、間宮、そして鹿野に視線を向け、
「俺が知りたい……」
「あなたの舞台監督と演出助手でしょう。それに、そちらの女性は?」
「私立探偵です」
間宮が胸を張る。滑稽な光景、のはずだった。
不動繭理が青褪めるまでは。
「探偵!? ……エイジくん!?」
違う違う俺が雇ったわけじゃないよ〜、などといつもの不田房ならお道化て見せたところだろう。だが、今、この場にいる不田房は鹿野の知らない人間の顔をしていた。
今の彼は、劇団傘牧場に所属している、フタフサエイジだ。
「宍戸さん、悪いけど」
「帰らんぞ。何ひとつ問題が解決していない状態で北海道になんか行かせるか。……鹿野、今何時だ」
「五時です」
「あと二時間」
宍戸が薄ら笑いを浮かべる。宍戸もまた、鹿野の知らない顔をしている。かつてヤクザと繋がりがあったという、悪徳弁護士の表情。
「何ひとつ、問題が、解決していない?」
丸椅子に座っていた不動繭理が立ち上がる。新宿のアートシアター・ムーンパレスで遭遇した時とは違う、紺色のスーツ姿。豊かな黒髪を揺らし、切長の眼が宍戸を睨み据える。
「失礼ですけど、宍戸クサリさん」
「おや、ご存じで」
「宮内さんとは私も交流がありますから。それにしても、やり過ぎですよ。まったく関係のない公演スケジュールに、いち舞台監督が文句を付けるなんて」
「関係なくはないですね。私はそちらの不田房と何度も一緒に仕事をしていますし」
「宍戸さん」
不田房が一歩、足を進める。
「頼むよ。言ったじゃないか、もう関わるなって」
「言われたが?」
宍戸が視線を寄越し、鹿野は首を縦に振る。
「私たちは、『もう関わりません』なんてひとことも言ってません」
不動繭理が大きく溜息を吐くのが分かった。次いで、「最悪」という悪態も。
「ちょっともう……今日は解散にしましょう。
「いいんですか?」
「ちょっと待った」
間宮が制する。
「一応ね、一応、この場にいる全員に関係ある話だから。誰も帰らないでほしいなぁって探偵さんは思うんだよね」
「……あなたにいったい、どういう権限が?」
王城穣治。コオロギ透夏に較べるとそれほど腕のある舞台監督ではなさそうだ──と鹿野は思う。全員の注意が間宮に向いた隙に、稽古場に上がり込んだ宍戸が『舞台監督』と張り紙がされた長机、王城の席から数枚の紙を取り上げた。
「……本気でこの舞台装置でいくのか? 北海道も?」
「宍戸さん!」
「で、また透夏とカンジに責任を押し付けるってか。悪質だよ」
駆け寄ってきた不田房が宍戸の手から紙──舞台装置の図面を取り戻そうとするが、ひと足先に鹿野へのパスが成功していた。
「ほ……ほんとだ。これ、最初の、東京のとまったく同じ装置です。これで北海道に行くんですか? 本気ですか? あんな風に怪我人が出たのに!?」
図面を抱えながらじりじりと後退りをする鹿野を、不田房が悲しげに見下ろしている。
こんな顔、本当に、見たことがない。
誰なんだ、この男は?
スモーカーズの不田房栄治はどこに行ってしまった?
「鹿野、それを……」
「んーふふふ。不田房さん、神戸で『女難の相が出ている』って言われたらしいじゃないですか」
鹿野の肩越しに、背後からにゅっと腕が伸びてくる。間宮だ。間宮に図面を渡し、鹿野は足を踏ん張って不田房を睨み付ける。
「それって別に、『
「どうでもいいから、図面を返してください。もう時間がないんだ」
「あなた北海道で死ぬ気ですか」
「死ぬ?」
間宮の台詞に稽古場がざわめき、そのざわめきを打ち消すかのように不動が声を上げた。
「死ぬ? 誰が? エイジくんが? そんなことあるわけないでしょう? 私たちは舞台公演のために北海道に行くんです。それを──赤の他人であるあなたたちが邪魔する権利は……」
「不動繭理さん」
図面をふところに仕舞い、代わりに茶封筒を取り出しながら間宮が笑う。
「名探偵の前に、隠し事は無意味ですよ」
「は……?」
「あなたは本当に根っからの女王様だ。女王蟻でも女王蜂でもない。女王様。でも、あなたが女王で在り続けるためには、邪魔な人間が多すぎたんですよね」
茶封筒の中には、何やら折り畳まれた紙が入っている。「エイジくん」と不動が唸る。間宮に近付こうとする不田房に、鹿野は反射的に足払いをしていた。驚くほど呆気なく床に転がる。足を挫きでもしたらどうしよう、という気持ちがないわけではなかったが、だが、それが原因で不田房が『底無活劇』から降板することになったとすれば──
(それでいい)
「鹿野ちゃんナイスアシ〜スト! あ、宍戸さんそっちで舞台監督さん止めといてくださいねぇ。さてさて、探偵のふところから出てきたこの書類の正体は? 皆さん気になってますよね?」
間宮最は、今この場にいるどの俳優よりも俳優然とした口調で言い、紙を広げる。
「
「やめなさい」
不動繭理の──女王の命令は、完全な部外者である間宮最には効果がない。
「石波小春、本名
「生物学上の父親は」
「不田房栄治、本名
大きく息を呑む音がした。
稽古場の空気が一変する中、鹿野素直だけがあの手を見ている。
不動繭理の肩に、例の、翡翠の指輪を嵌めた手が、
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