第19話

ーーーー



アリーナが最後のあがきとして放った攻撃は、女王アークウェットに大きな傷を負わせた。


体に大きな外傷はなかったが、

拭えないほどの疲労感と上がらない左腕はダメージの証左だ。

そして何より魔術を放つだけの余力がもうない。


ーー死


彼女はそれを初めて肌で感じ取った。


エルマーが突撃する。

彼は曲がった剣の先を折り、欠け身の刃を構えた。


アークウェットはもはや魔術の出力が望めない事を悟り、

礼服に付けていた儀礼剣を引き抜いた。


振り下ろされた二つの剣が交差する。

鍔迫り合いになって、アークウェットは押され始めた。


体術に理解はあれど、現役の教会騎士と長く戦場を離れていた女王とでは剣技に差があった。


彼女はそのまま後ろに突き飛ばされると、蹴りを顔面に食らった。



頭がぐらぐらする。

その中でぼんやりと何かが形を帯びて私の前に現れたり消えたりし始めた。

これはきっと走馬灯だ。


生れた時。もう忘れた故郷。

そしてひたすら戦い、戦い、戦い・・・・


数百年生きて、これしか思い出がないのか。

私はそれらを前にしてだんだんと切なくなっていった。


やがてまた新しい記憶が浮かび上がってくる。

ーー

これはなんだ?


「陛下、ご気分が優れませんか」


ウラジンスキの問いかけを私は椅子に寛ぎながら聞いている。

凡そ十数年前の記憶だ。


「いや、体の調子はすこぶる元気だ。だが、どうにも」


「ここがこそばゆくてな」

私はそう言って胸を抑える。


ウラジンスキは顔をしかめたものの、何も言わず

淹れたお茶を私の前に差し出した。


茶葉はぷかぷかと水面を浮き沈み、立ち上る湯気に誘われてくるくると踊っている。

だがそれもやがて収まって、茶柱はそのまま茶色の湖の底に沈んでしまった。


私はそれが、人生のメタファーに思えた。


生れて、何かの事象にさすらわれて、やがては地面の下へと沈んでいく。

だが、もし地面の下へと沈まなかったら?人間は永遠に踊り続けるのだろうか?


そんなことはない。人は物事を為してしまったなら後は沈んでいくだけだ。それはただ、死に続けるのと同義。


ならば私はどうだろうか。

二度の転生のいずれも人生の途中で別世界に召喚され私は未だに死ぬことを知らない。だがそのどちらでも私は結局、神に至る事は出来なかった。


その時、胸にとてつもない寂寥感が押し寄せた。

数百年生きてきて、今までにこんなことは感じたことがない。


或いは数百年生きてきたからなのだろう。


「・・・私はどこから来たんだろうな」


「はぁ、妙な事をおっしゃりますな」


「私は、人間ではないのか」

「私は誰なんだ。ウラジンスキ」


彼はその質問に答えあぐねた。

私は平静を失いつつあった。

そのままうわごとのように私は彼に向けて一言二言と続ける。

「私が本当に神だと思うか?本物の神はな、私にこの力を与えた者だと思わんか?」

「・・・・死なぬだけの長生の果てに、私は何を得た?私の中には何も入っていない。叩けば音のなるがらんどうの玩具だ」

「私は結局、手から少しの手品が出るだけの生物さ」


「・・・いいえ陛下は神様です」


「それは妄信だよ。私は人間にも、神様にも慣れない中途半端だ」

「なぁ、ウラジンスキ。人間を人間たらしめるのはなんだ?」


「信仰と、生死でしょうか」


私は彼の答えにたじろいだ。

返答しあぐねて私は頬を撫でる。


彼の言う通りだと思う。人間を定義づけるのは上位の存在に対する信仰心と生死。

生憎私はそのどちらも持ち合わせていない。


「ウラジンスキ、私はずっと死んでないんだ」


「存じております」


「その中で、一度も人らしい扱いを受けたことはない。ずっと神様だとか救世主だとかと言われて祭り上げられていたからな」


「・・・・」


「私は今、数百年の長生の挙句何も知らなかった事を実感したよ」


そう言うと私はゆっくりと席を立った。


その後はよく覚えていない。


ーーー


場面は再び現在に戻る。

私は何とかエルマーの剣を受ける。


それと同時に、頭の中でウラジンスキや親衛隊の声を思い返す。


「貴方は私たちの神様だ」


ウラジンスキ、そうじゃない。それは間違っているよ。

だって私はただの、人間だもの。


神様ごっこももう疲れた。


第一、私はもう魔法が少しも出ないんだ。

腕を掲げても小さな火さえ出やしない。



エルマーが剣を持って迫る。

私はよろよろの肩を引きづって、最後の魔力を剣にまとわせる。


彼は目に炎をたぎらせて、明日へ向かって突っ込んでいく。

命を燃やして、使命を果たそうとする彼の姿勢は

いたずらに命を引き延ばして、ただ王国を維持しようとしていた私とは真逆だ。


あぁ、だからこそ私は彼に惹かれたのか。


ーー



私は剣を構える。青い炎を纏った儀礼剣はまっすぐ彼に向ってもう一度攻撃準備をした。

一方のエルマーは息を落ち着かせつつ、機を伺っている。


「ウラジンスキ、私はもう疲れた」


彼が踏み出す。


「私は到底神様になんかなれない」


私は剣を横にして、その斬撃を受け止めるべく身構える。


「でもそんなことわかり切っていただろう?」


エルマーは私の行動を見切って、斬りかかる瞬間に剣を構えなおした。


「だって私は、ただの人間なのだから」


次の瞬間、剣は私の首筋を撫で欠け身ながらそれを跳ね飛ばした。

私は穏やかな気持ちでその死を甘んじて受け入れた。




ーーー




女王の首が宙を舞う。そしてそれは、ぐしゃりとグロテスクな音を立てて地面に落ちた。

積み重なった雪に、深紅の血がゆっくりと染みていく。


私はぶるぶると震える手を必死に抑えた。

斬り伏せた時はアドレナリンのおかげか何も感じなかったが、雪の上に転がった彼女の生首を見て

私は初めて相手を殺害したという実感に包まれた。




話をして互いに知り合い。そして自分に対して好意を、少なくとも負の感情を抱いてはいなかった人物を殺害したのは初めてだった。


私はそのまま感極まって、女王の周りを何度かぐるぐると回った。

そして緊張と興奮で嗚咽しそうになった。


今だ宮殿の外苑では戦闘が続いている。

両軍とも最高指揮官を欠いたせいで混乱気味であったが、女王死亡の報が流れると親衛隊以外の王国軍部隊は逃亡ないし寝返り始めた。

そしてそのせいで、趨勢は一気に反乱軍に傾いた。


市街地を制圧した反乱軍は一気に宮殿前へと殺到した。


私は女王の死体と泣き別れた首を一つどころに集めて、だらりと四方に投げ出された彼女の四肢をきっちりと整えた。

そして暫し祈りを捧げると、直ぐに宮殿から離れた。



間もなく、ウラジンスキが親衛隊の一隊を率いて彼女の前に現れる。

彼は彼女の死体を見るなり駆け寄って、膝をついて彼女の首を抱きかかえた。


「陛下・・・・・」


彼は悲しみと喪失感で胸がいっぱいになった。

しかし、彼女の穏やかな顔を見て言葉を詰まらせた。


何とも満足げで、眠っているかのようなその表情は今まで見た彼女のどれよりも幸せそうだった。

彼はここに来て、初めて彼女の事を何も理解していなかった事に気が付いた。


「・・・・・私たちを置いてゆくのですか。あなたは。ああ、腹立たしい!!」


彼はそのまま地面を三度叩いた。

全てに腹が立ったからだ。本当は分かっていたのに知らないふりをして、ただの人間を祭り上げていた自分に。そしてそれを拒まず諾々と超人の振りをし続けた彼女に。

結局、ノルド人は運命に遊ばれていたのだ。まるでそれは喜劇のようだ。


だとしたらこの結末はひどいなんてものじゃない。こんな雪ばかりの辺境にまで逃げてきて、結局は何もなかったなんて。


彼は諦観の表情を携えたまま、親衛隊の兵士たちの方へと振り返った。

部下たちは戦に疲れ、もはや戦意に乏しい。


「お前らが守るべき王は死んだ。後は鎧を脱ぎ、各々落ち延びよ。今日ここにノルドという民族は滅んだのだ」


彼がそのように宣言すると兵士たちはうなだれたり、泣き出したりした。

しかしそれも暫くすると彼らは鎧や武器を下ろして逃げ出し始めた。


ウラジンスキはそれらを見届けてから、ごく少数の忠義心に秀でた者と生き残りのドルジーナを連れて宮殿へと進んだ。

ここには彼女のお気に入りの私邸がある。加えて、ノルド人の法具や神器も保管されている。

それらを反乱軍に渡してなるものか。


彼らは覚悟の決まった顔で宮殿と宝物に火をかけて回った。


ウラジンスキはその命令を告げた時とてもつらかった。


だがひとたびそれを始めてしまえば、存外に心がすいた。

もはや逃げ場はない。自分に嘘をついて、誰かに王冠を着せてもう我慢する必要はないんだ。


「私はもう逃げない」


ウラジンスキは覚悟の決まった顔で一人呟いた。


「この話にケリを付けに行こう」


彼は燃え盛る宮殿の柱に触れながら、残った10人の兵士たちに号令を掛ける。

「王国の最期を飾るぞ、晴れ舞台だ。ノルド戦士の精強さをロルド人に刻んでやれ!」


そして抜刀して叫ぶとそのまま彼らは押し寄せる敵集団の中へと消えていった。



ーーー

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