メフィストフェレスの街

的矢幹弘

第1話 安藤

空を覆う高層ビル群の遙か先に、まもなく完成する超高層電波タワーが見える。その下にある街の大通りは、クリスマスのイルミネーションとタワーの見物客で賑やかだ。雑踏にはAIを搭載した人型ロボット、つまりアンドロイドも多く混ざっている。


普段よりも早く街灯が灯ったのは、雨雲がかかり、暗くなったからだろう。すぐに小雨が降り始めた。その中を一人の男がうつむき加減で歩いている。初冬のことで、降る雨は冷たい。しかし、男に雨を気にするそぶりはない。


足下に散らばる街路樹の葉をロボット掃除機が吸い込んでいる。男は早足で、しかし、それにぶつからないように慎重に歩いた。


男の背格好は中肉中背、年は四〇に近いが、それに似合わず顔つきは若い。名前を安藤といい、勤め先の食品会社から帰宅する途中だった。自動運転車両の車列が、安藤の横を静かに通り過ぎる。舗装路の空気汚染計は検出限界を示しているので、空気はずいぶんときれいだ。


自動運転車両の車列が通り過ぎるタイミングを見計らい、自動車用の誘導路を横断し始める。大通りの反対側にあるフードストアに立ち寄るためだ。誘導路を半ばまで歩いたところで、彼の目の前をものすごい速さで駆けていく車があった。思わず立ちすくみ、舌打ちをする。自動運転車両なら横断者を発見すれば停車する。歩行者を無視して走行するということは、マニュアル操作で運転されている車だと分かった。


ああいう自己中心的なやつがいるから、交通事故が無くならないんだと、忌々しく思う。


冷や汗をかいたものの、誘導路を無事に渡り終え、フードストアの前に着いた。通勤経路には何店舗かフードストアがあり、そのどれかで夕飯を買って帰ることにしている。


セントラルキッチンからの配送食が一般的になったこの頃、安藤のようにフードストアの弁当で夕飯を済ませる人間はあまり多くない。


市民は、提供されている献立の中から好きな献立を選び、セントラルキッチンから送られてくる冷凍食品か、または半調理された食品を、自宅の自動調理器に調理させるのが一般的だ。献立の種類は、マイナーな郷土料理から豪華な宮廷の晩餐まで豊富にあり、さらに値段も安いとあって、ほとんどの市民がこの配送食を利用していた。


安藤の勤めている食品会社も、そういった配送食の製造を行う下請けの会社の一つである。それにもかかわらず、彼はこの配送食を利用していない。というよりも彼自身の事情により、定期的な利用契約を結べないので利用したくても利用できないのが実情だった。


彼の会社の商品は厳格に管理され、パン一つさえ勝手に持ち出すことはできない。従業員といえども、客として購入しない限り、検食担当を別にすれば自社製品を口にすることはできない。そのため、工場からの帰りに通勤経路上のフードストアで食料を買うのが日課になっている。


しかし、この日はいつもと少し違っていた。フードストアの店先でふいに誰かに声を掛けられたからだ。


「安藤さんじゃないですか。奇遇ですね。こんなところで会うなんて」

抑揚のない、男にしては高めの声だった。

安藤は人付き合いの多いタイプではない。そのため、近所のフードストアといえど、知人に出会うことはなく、一体誰だろうかといぶかしみながら安藤は顔を上げた。


目の前にはこうもり傘を差した男が立っていた。男は、こけた頬に生気のない目をしている。理髪店に行ったばかりなのか、髪は短く切り揃えられて、髭のそり跡も見えなかった。


実に十年ぶりの、二度目の再会だったが、安藤はこの男の顔を忘れたことがなかった。男に対する怒りや怖れといった負の感情が胸に沸いたが、すぐに冷静さを取り戻す。

売布宮めふみやさん……。ご無沙汰しています」

男は社会健康省更生局の役人、売布宮だった。

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