第221話 嫣然

 人口1万人を超えるティニカイスはチルカナジアの基準では小規模都市だろうが、スダータタルでは最大の人口密集地になる。ずんぐりした畑の民ザオラアダム様式の家々が建ち並ぶのはここまで見た他の郷と同じだ。

 土が踏み固められている広い道の上をウシや馬が曳く車が行き交い、その荷台に毛皮や燻製獣肉の塊や、封をされた大きなかめが積み上げられている。他領の郷戦士隊ムセジャンが物々交換に持って来たものなのかもしれない。


 青銅の棺から顔だけ出して運ばれていく捕虜を珍しがり、頭に布を巻きつけた子供らが駆け寄って来ては護衛に追い払われていく。

 中心地に近づくと横道に市場がたっているのが見えた。特に買いたいものも無く現金の持ち合わせもあまりないが、実に久しぶりに野菜の豊富な都市に来たのでせめて食料品店は覗いてみたかった。


 氏族長屋形やかたは高い丘の上に建っていた。中心に矢倉塔を備え、大きな砦城のような形をしている。

 外壁の見た目は黄色い土を塗り重ねたよう。本当にただの土であるわけがなく、灰土のような水と塩に反応して固まる建築資材を使っているのだと思われる。


 入郷時、ザファルの帯飾りを見てすぐに通してくれた関所番が先触れを走らせている。そのためなのか、屋形につづく階段に近づいても誰も咎めてはこない。長方形の石材を並べて作ってある階段を昇っている途中で、正面の鉄格子門が下からせり上がった。

 奥から大柄な女が一人で出てきて、こちらに向けて手を振ってきた。


「一番上の姉だよ」


 そう言ってザファルは歩くのを速め列の先頭に出た。ガリムもついて行く。


 ザファルが一般的な戦装の女性を女性と認識できない理由が、姉の姿を見たことで理解できた。30歳過ぎくらいにみえるその女はハァレイと同じような服装に太い革帯を絞め、左腰に大きな曲刀を佩いている。

 イリアよりはるかに重そうなその体にはどうやっても隠しようがないほど大きく女性的な特徴が主張していた。

 うしろでハァレイが「なるほどね……」と呟いたのが聞こえた。



 門の内側には中庭が広がっていて様々な植物が育てられている。花の季節は終わっているようで、見たことのない木に青い卵型の実が垂れ下がっていた。

 くすくすと笑う声が聞こえて上を見ると、黄色い壁に開いた大きな窓穴から誰かが見下ろしている。見返されていることに気づいた女たちが中に引っ込んだ。


 弟と話を終えた姉は体をゆさゆさと揺らしながら中庭の奥の大扉の向こうに消えていく。その後にアルボネからやって来た13人と青銅の棺に閉じ込められた捕虜2人がつづいた。

 戻って来たザファルが残ったイリアたち5人を集める。


「父がちょうど居るようですがどうしましょう。会合に出発するのは3日後だそうなので今日でなくてもいいとは思うんですが」

「いや、出来れば今からでもお会いしたいですな。オレは屋敷周りアイナラシンダじゃないですが、うちの氏族長が出発する前に顔を見せておかなきゃいかんかもしれんのですよ」


 カナトとイスキー、央山の民オルターワダムの二人は会わなくてもいいと言う。「孤立派」として「融和派」氏族の長とは仲良くできないということではなく、会ったところで用がないのだ。

 ハァレイの捕虜権を持っているのはイリア個人だし、イスキーの捕虜である巨漢の水魔法使いはまだアルボネにいて、生きているか死んでいるかも分からない。



 建物の中は青黒い艶のある石床が敷き詰めれれていた。泥を塗って乾かしたような壁とは不釣り合いなほどに美しく輝いている。

 玄関広間にはガラス無しの窓がたくさん開いていて、大きな卵の内側のような天井にもさらに天窓があって太陽の光が差し込んでくる。

 奥にもう1枚大扉があり、歩いて行く途中の壁際に20歳代と思わしき背の高い男が寄りかかっていた。輪の大きい鎖鎧のようなものを羽織っている。全体が白銀に光輝き部分的に金色の鎖も混じっていて、決して一般の兵が身に着けるような普及品ではないことがうかがえる。


「帰ったかザファル。なにやら危ない目に会ったらしいな」

「今帰りました、アセト兄上」

「どういうことなのかオレも聞かせてもらう」

「はい」


 兄弟らしくない硬い言葉を交わして扉の中に入る。そこは横幅5メルテほどで奥行きはそれよりも長い縦長の部屋だった。見上げてみると玄関広間と同じように天窓が開いている。

 左右の壁に人物の全身像を描いた絵がかけられていて、どれも豪奢で色鮮やかな布を肩から掛けた偉そうな壮年の男だ。頭に鮮やかな黄色の布をこれでもかと巻いていて大きく膨らんで見える。


 そして部屋の奥の正面。脚のない背もたれの大きな籐椅子に絵と似たような姿の男が座っている。

 立ち上がれば身長はガリム以上と見え、体重100キーラムは間違いなく超えているだろう。120くらいかもしれない。

 重ねて敷き詰められた絨毯の上にザファルとガリムが左膝をつき、両手の指を合わせる格好を取った。

 バウルジャとハァレイもそうするので、同じように真似をしてイリアも跪いた。



「ザファル・ザオラアダム、成人を果たしてただいま帰りました。父上におかれましてはご健勝のほど、お祝い申し上げます」


 氏族長イシュマルは右手を挙げて礼に答え、斜め後ろに控えていた女にヤガラ語で何か指示を出した。その声音は見た目から想像されるものと同じ、低く大きく響いて威厳を感じさせた。


「よく無事に戻ったと言いたいところだが、大きな問題に巻き込まれたようだな。客人への挨拶が後回しになって申し訳ないが、まずはそのことについて話すべきなのだろう」


 イシュマルに指示された丈の長い着物の女が、似たような格好のもう一人と共に全員に大きな座布団を配って回る。

 手首の鎖を外されて虜囚という感じではないハァレイも足を崩して胡坐で座った。大扉の横にはアセトと呼ばれたザファルの兄が控えていて、もし逃げ出そうとしても簡単ではないと思わせる。

 イシュマルの右側手前に剣を置いて上着を羽織って来た長姉が座った。8人も兄弟姉妹がいるというのにザファルの話を聞くのはこの二人だけらしい。


 おおよそ半刻の時をかけ、ザファルが襲撃の顛末を語り終えた。

 話の流れの中で、バウルジャは奥山の民エンイスカダムの戦士、イリアは央山の民オルターワダムの青年戦士と紹介される。

 立派な肉体のザファルの姉の名はルナァラというらしい。

 ハァレイは紹介されなかったが、スァスという謎に女にそそのかされた南砂漠の民タクティキラダム見姑ザターナ見習いが話題に出た瞬間目線を向けられていたので、バレていると考えるべきだろう。

 聞き終えたイシュマルは膨らんだ下顎の肉を右手の甲でゆっくりと叩き、10秒ほど考えてから口を開いた。


「……まずは息子の命を守ってもらえたことに感謝を示したい。バウルジャ殿にイェリヤ殿、望むものがあれば言ってみたまえ」

「もったいないお言葉ですイシュマル殿。ワタクシとしては今日移送していただいた2人の捕虜権をお買取り願いたいですな。いくらか色を付けていただければなおよいです」

「それはもちろん、こちらとしてもありがたいことだ。一人につき金3枚、合わせて6枚を支払おうと思うがどうだろうな」

「……よさそうですな」

「では次にイェリヤ君。その若さでもう捕虜権持ちとは恐れ入るが、君も買い取りを希望するかね?」

「あー、そうですね……」


 ハァレイがこの国4人目の女見姑という事は伝わっているはずで、それを普通の、敵国の捕虜のように取り扱っていいはずはない。

 話してみた感じからイシュマルは暗愚ということはなさそうだし、むしろ若くて何も分かっていないイリアから権利を買い取り、正しく政治的に事を収めようと考えていると想像される。


「バウルジャ殿はお急ぎとの事だが、今晩はティニカイスで休んでいかれるのであろう?」


 女性としてはかなり低く、それでいて滑らかで艶のある声がルナァラの口から出てきた。


「イェリヤもそうであるなら、今晩ゆっくり考えて明日結論を出せばよい。氏族の仲間とも相談したいだろう」

「ああ、はい。それがよいかと思います」

「ではまずザファルのレベルを確かめに参ろう。成人の儀式を行うには決まりがあるゆえだ。疑っているわけではないぞ?」


 頬の肉を持ち上げて笑い、ゆったりと立ち上がったルナァラ。

 ザファルが立ち上がり、バウルジャもそれに従ってイシュマルに挨拶の仕草をする。


「イェリヤ、その娘を連れて君もついてくるのだ。我が氏族の『魂起たまおこしの水晶球』で鑑定させ、間違いなくハァレイであるという事を確認しなければ割増しの身代金を払うことは出来ないぞ?」

「はいはい、じゃあ……。……ん? ……あーっ‼」

「なんだ⁉」


 うっかりしていたというか、昨日から起きた出来事が多すぎて考えがまとまっていなかった。

 ハァレイのアビリティーの確認のために水晶球で鑑定すれば、当然レベルも分かってしまうのだった。

 

 ハァレイが見姑ザターナであることを確認しないと状況の整理がつかないのは分かるのだが、イリアにはイリアの都合が存在する。

 先ほどの話。ザファルを守って戦ったことの褒美をくれるというならちょうどいい。


「鑑定を受けさせるわけにはいかないです。捕虜権を高値で買い取ってもらうのも要らないです」


 後ろから「なんだと?」と聞こえた声はアセトのようだ。

 金貨で3枚は物価の安いスダータタルにおいてかなりの大金だ。それより高くなる見込みもあるが、物事には優先順位というものがある。


「その代わりハァレイをしばらくの間俺のそばに置いておく許可をいただきたいです。それで、もしよければその後は穏便に、南砂漠の民タクティキラダムに返してあげられるように取り計らってもらえないものでしょうか」


 背後でハァレイが「え?」と言った。

 緩く結ってある少し明るい色の髪を体の前に垂らしたルナァラは嫣然と微笑み、「ほう?」と変に楽しそうな声を出した。

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