第6話 金一枚

 グラリーサの街の防壁はノバリヤよりも貧弱だ。魔物が少なく人口規模も数千人なので当然ともいえるが、実は歴史はこちらの方が長い。

 「白狼の牙」発足と時を同じくする130年前、北ベルザモックの魔境の森に対する前線基地として最初に整備されたのがグラリーサだった。

 それがアビリティー保有人口の急増などの要因によって見通しが外れ、周辺の森の魔物はあっという間に根絶されてグラリーサは役割を終える。魔物の脅威の無い土地にあって今も一応石造りの防壁が残っているのは、街の事実上の統治権を譲り受けたアール教勢力の見栄みえが影響しているのだろう。周辺には防壁を持たない小さな農村が散在しているが、特に問題が起きているとは聞かない。


 街の東に位置する門に入街審査の列ができている。人数は見える範囲で5人。それほど長くはない。ギュスターブが馬車を降りたのでイリアも席から飛び降りた。

 並んでいる人間は皆大きな荷物を背中に担いでいる。旅商人なのだろう。


 イリアたちの順番はすぐにきた。ノバリヤの西門と同じような門をくぐると、貧弱な体格の年若い門衛が一人。

 ギュスターブが懐から出した銅板の身分証を見て、すぐに「大丈夫っす」と許可を出した。


「馬車を停めておけるところはあるだろうか」

「あー。本当は街公用の物なんだけど、そこにある杭に繋いでおいていいと思うっすよ。使われてんの見たことないし」


 直径10メルテほどの範囲が門前広場になっていて、その中心部は石畳が敷かれているのだが、防壁際の部分は地面がむき出しであり、門の右側に太い杭が打ち込んであった。


「後で馬に水を飲ませてやってもらえないだろうか」


 ギュスターブはそう言って門衛の男に小銀貨を何枚か握らせた。仕事中の男にそういうことを頼んでもいいのだろうか。案の定「おい、まだかよ」という声が列の後ろから聞こえてくる。

 小銀貨はそれなりに価値がある。1枚あれば店でまともな食事が食べられる。3枚の小銀貨を受け取った男はギュスターブの頼みを承知した。


 トーロフを大きく回らせて、防壁の際に沿うように馬車を停車させたギュスターブ。長い手綱を杭に結び付ける。後ろの荷台に回って積んであった袋から何か取り出すとイリアに渡してきた。


「これを腰に差しておくんだ」

「……」

「大丈夫だ。刃はついていない」


 柄まで含めた長さが半メルテほどの短剣だった。握りに細い皮ひもが規則的に巻き付けられており、つばの部分まではがねで一体形成されている。

 鞘から少し引き抜いてみると、細長い直剣の形はしているが刃の部分は厚みを残していて研がれていない。


「……ありがとう、父さん」

垂革たれかわ姿で丸腰では恰好が付かないからな」


 重さが半キーラムほどしかない小さな短剣は、大人が武器として使うような物ではない。

 だがギュスターブの言うとおり、戦士団頭領家の子供として人前に出るならば形だけでも武装しているのが当然である。屋敷にも子供用の短剣は何本かあったはずだが、この無刃の短剣はわざわざイリアのために新しく打たせたものだろう。小さな短剣と言えど決して安いものではない。


 ほんの数分歩いただけで、街の中心にある教会にたどり着いた。イリアが初めて目にするアール教教会はずんぐりとした円筒型の建物だ。

 石造りとは違う滑らかな壁はノバリヤの政庁舎と同じ灰土建築だろう。

 灰土なのにあまり灰色をしていない。材料がすこし違うのだろうか、白く美しい壁。

 尖った屋根は銅葺きで全体に緑色に錆び、その先端に教会の象徴が飾られている。人間の頭蓋骨を単純化した図案の周りを黄金色の金属棒が放射状に取り巻いているのがアール教の教会の象徴である。

 信徒でないイリアにとって頭蓋骨など不気味に感じるが、アール教では魂の在り処ありかを表す重要な記号なのだ。


 グラリーサの街は教会を中心として運営されているが、この教会がベルザモック州のアール教信仰の中心地というわけではない。

 州都ソキーラコバルにはもっと立派な教会があるらしいし、他の大きな街のいくつかにも、街の規模に応じた教会があるはずだ。


 アビリティーを目覚めさせるために使われる魔道具、『魂起たまおこしの水晶球』はアール教教会にしか無いわけではない。本来信徒でもないイリアはノバリヤ政庁で『魂起こし』を受けるべきなのだ。

 それを避け、教会で『魂起こし』を受けることがいつの間にか決まっていた。

 「白狼の牙」頭領の長男として望ましいアビリティーに目覚める見込みのないイリアにとっては好都合だった。

 どのみち隠しおおせるものでもないが、地元ではイリアがどのアビリティーに目覚めたのかという情報はすぐに広まってしまうだろう。せめて気持ちを整理する時間くらいは欲しい。あるいはギュスターブも同じ考えなのかもしれない。


 扉を押し開けて教会内に入るギュスターブ。イリアはそのあとに続いた。

 扉の向こうは大きな半円形の空間になっていた。正面は巨大な壁で、天井の高さは5メルテ以上もあるだろうか。イリアは「礼拝堂」とかいう名前をどこかで聞いたことを思い出す。

 壁の中心には、降る雨を受けているような手つきの中性的な人物が大きく描かれている。人物というか、おそらくはアール神を表しているのだろう。その左右に一回り小さく4人の女性が描かれていて、それぞれが火風水地の精霊を象徴しているようだ。

 イリアにとって親しみのある伝統的な精霊観では、女性の姿で表現されるのは水と風の精霊だけなのだが。


 壁画の下には学問塾のように教壇があり、その周りを4重に取り囲むように弧を描く長椅子が取り巻いている。座っている数人は信徒なのだろう。礼拝堂というくらいなのだから、何か祈りを捧げていると思われる。老人が多いようだ。


 教会の僧侶が見当たらない。水晶球らしきものも無い。

 父が先に歩いていくのでそのまま後に付いていくイリア。

 組み合わされた色ガラスの窓から色とりどりの光が入ってきて、礼拝堂は不思議なまだら模様になっている。正面の壁の右の隅に、普通の大きさの扉があることにイリアは気づいた。ギュスターブは扉に近づき、3度続けて叩く。数秒後、引き開けられた扉の向こうに僧服姿の男が居た。


「なんでしょうか?」

「息子に魂起こしを施してもらいに来た。今日の正午ということで話が通っているはずだ」

「あぁ、ノバリヤの。……なんでしたか……」

「ギュスターブだ」

「そうでしたね。奥へどうぞ」


 扉の向こうに廊下を挟んで食堂があり、席を勧められたがギュスターブは断った。


「魂起こしは時間がかかるはずだ。悪いんだが今日中にノバリヤに帰る予定なので、出来れば早く始めてほしい」


 そう言って懐から革の財布を取り出し、中から金貨を一枚取り出して僧侶の男に手渡した。

 金貨一枚は大金で、小銀貨50枚分にもなる。ノバリヤ政庁舎で魂起こしを受ける場合もいくらか費用は掛かるはずだが、金一枚よりは安いと思われる。

 とはいえ「白狼の牙」の経営状況は別に苦境にあるわけではないし、一生に一度、人生を決定づける大事な儀式なのでそれほど法外な金額とも感じなかった。


「わかりました。それではご子息は私に付いて来てください。お父上はどうなさいます?」

「礼拝堂で待たせてもらいたいが」

「構いません」


 食堂を出て廊下の先に進む僧侶の後をイリアは付いて行った。突き当りに小さな窓があるだけの廊下は薄暗い。振り返ってみるとギュスターブはまだ食堂の出口あたりでイリアの方を見ていて、早く行けと頷いて見せるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る