百七十話 丘と毒薬
道中に万全を期したお陰さまさまである。
斗羅畏(とらい)さん率いる私たち一行は、冬眠明けのクマに出くわすという以外にはなんの危ない目にも遭わずに「大都」の郊外に到着した。
発見、即時に斗羅畏さんが毒矢で射殺してくれたおかげで、活躍の場を奪われた翔霏(しょうひ)がむくれる程度の被害で済んだ。
小さな丘があり、そのふもとでこのたび亡くなられた阿突羅(あつら)さんの遺体が、腐敗防止処理をされて安置されているとのことだ。
「その二人を連れて来るなんて嬉しいな。俺に気を遣ってくれたのか?」
表面上はにこやかに斗羅畏さんを迎えた、新しき大統にして葬儀の喪主を務める、突骨無(とごん)さん。
私と翔霏が後ろに控えているのを見て、イヤミなのか本心からの感謝なのかわからないジャブで牽制してきた。
ここしばらく見ない間に、血色良い美青年だった突骨無さんは少し痩せていた。
やつれている、と言った方がいいだろうか。
目の下には薄いクマもあり、顔色が良くない。
責任ある立場に就任して、気苦労が絶えないのかね。
「招きの報せも届かぬのに押しかけたことを、大統どのにまずお詫びする」
斗羅畏さんは突骨無さんの雑談を完全に無視して、持ち寄った挨拶の品を祖霊の祭壇に捧げた。
要するにお供え物であり、葬儀が終われば突骨無さんの好きにしていいという役目の贈り物でもある。
私たちの知るお香典に近い。
斗羅畏さんは「大統の甥っ子」ではなく、あくまでも「隣の国からの代表者」としてここに来たのだという態度を貫いた。
「……ご丁寧に痛み入る」
突骨無さんはつまらなさそうな顔でそれを受領し、喪主としての務めが他にあるのか、この場を少し離れた。
「どんな感じ?」
私は翔霏(しょうひ)と軽螢(けいけい)に、現場の雰囲気がどの程度の危険度を孕んでいるのか、鋭い勘で察知してもらった。
「良くはない、が、それほどの殺気もないな」
翔霏なりに感じ取った空気を伝えてくれた。
やはり白髪部(はくはつぶ)のみなさんの中には、勝手に自立した斗羅畏さんを警戒している人と、それも仕方がなかったと同情的な人とが入り混じっているようだ。
どちらにせよ葬儀の場は厳重に衛兵が警戒しているので、おかしなやつが入り込んでいる可能性も低そうだね。
「おお、いつぞやの坊主に嬢ちゃんたち、来てくれたんか」
「へへ、阿突羅さまのお見送りなら、他のなにをほったらかしにしても駆けつけるよ」
先だっての旅で顔見知りになったおじさまたちに、気軽に愛想を振りまいている軽螢。
彼の視点でも今いまなにか物騒なことが起きるとは判断していないらしく、こう言った。
「大事な葬儀で間違いがあっちゃ、末っ子ちゃんにとっては良い恥さらしだろ。この場で滅多なことは起きねえと思うけどな」
「だと良いねえ」
軽螢の見解に、私は祈るような気持ちで同意した。
その後、重要な来賓と一般の弔問客が振り分けられて、私たちは一般参加者の方に行けと促されたのだけれど。
「翔霏、お願い」
「わかった。麗央那も気を付けろ」
翔霏だけは、斗羅畏さんの護衛ということで貴賓が集まる場に行ってもらった。
私たちはなにかヤバいと思ったらすぐに逃げるし、そのときに翔霏と合流するポイントもあらかじめ決めてある。
大都の近くに住む斗羅畏さんの支援者の一人に、協力してもらえる手はずになっているのだ。
どこかで乙さんも見てくれているはずだし、なにかあっても慌てず焦らず、冷静に迅速に撤退しましょう。
押さない、駆けない、喋らない、おかしを心がけましょうって、避難訓練で言われたよね。
私たちはなにかあったら、全力で駆け抜けると思うけれど。
「それより末っ子ちゃん、なんか病気なんかな。調子悪そうだったけど」
「メエェ~……」
突骨無さんの顔色を心配した軽螢が言った。
椿珠さんが私と軽螢の服を引っ張って自分の近くに引き寄せる。
内緒話のように声を潜めて自分の考えを述べた。
「俺の思い過ごしだと良いが、突骨無は阿片を飲(や)ってるかもしれん」
「え、嘘」
あの理知的でスマートな突骨無さんが、薬物に溺れるなんて。
私はさすがにあり得ないと思って、即座に否定してしまったけれど、椿珠さんの弁は違う。
「あくまで俺の経験の話だが、あのどろっと嫌に血走った眼とくすんだ顔色は、その手の薬を常習してるやつに多かった。阿片は痛み止めにも使うから、どこか痛めていてその治療かもしれんがね」
「そう、ですか」
私は力ない呟きを返す。
薬に頼るほどのストレスが、突骨無さんにはあったのかな。
不味い、これは不味いぞ。
私は今まで、突骨無さんがなにか物騒なことを考えていたとしても、やはり賢く計算高い人なので、自分たちの大きな不利益は避けるだろうという前提で事態を考察していた。
愚かな味方より、優秀な敵の方が動きが読みやすい。
なんて言葉があるけれど、私たちにとってまさに突骨無さんはその「優秀な敵」である。
彼は自分や白髪部の利益のために行動しているはずで、そこをぶち破った無軌道はしでかさないはずだと、私は信じてしまっていた。
なにより、自身は大きなリスクを取るタイプじゃないからね。
しかし、怜悧で聡明なはずの突骨無さんの頭脳が、悪いクスリでヤられちまっているとしたら?
私たちは彼の行動を見通すことが、そもそもできない!
意味の分からんことをするやつが一番恐ろしいという、私が今まで嫌と言うほどに煮え湯を飲まされた状況が、この場でも発生するかもしれない。
そんな心配をしていたら、私たち弔問客がまとめられている包屋(ほうおく)に、突骨無さんが自ら、足を運んだ。
「このたびは、遠いところからお越しの方も多くいらっしゃるとのこと。亡き父も喜んでいることと思います。先日より父の王業の跡を継いだ私はまだ未熟ではございますが、これからも精一杯、氏族の繁栄のために力を尽くしたいと思っております。どうかみなさまのお力を、ほんのわずかでもお貸しいただければ幸いです。永きお付き合いを、心からお願い申し上げます」
中毒者とは思えない、しっかりした口調、毅然とした態度で。
突骨無さんは挨拶と感謝の口上を述べ、客たちに向かって何度も拝礼した。
阿片云々は椿珠さんの気のせいなのでは?
「もちろんです、大統」
「立派な二代目じゃ。父君も安心じゃろう」
「なにかあれば遠慮なく相談してくれよ。親父さまにはお世話になったからな」
多くの人に囲まれ、たくさんの励ましやお悔やみの言葉を貰う突骨無さん。
ガンギマリのラリパッパであるようにはまったく思えず、私は安心したのだけれど。
「……フン」
「昔から口だけは上手いやつだったよ」
「言葉が軽いな。心に響かん」
包屋の隅に、突骨無さんに対して悪印象を持っている一派もいるようだった。
おじさんたちに揉みくちゃにされている突骨無さんには、その陰口は届かなかっただろう。
しかし私たちの耳にはかすかに聞こえたのだ。
複雑な感情で私が突骨無さんを見ていると、目が合った。
くすっと疲れた笑顔を見せて軽く一礼をくれたけれど、それだけだった。
彼はお客さんの輪に囲まれながら、少し大きく声を張って別のことを伝えた。
「明日の朝に伯父貴の斧烈機(ふれき)が、親父の霊を空に送る念言を唱えてくれる。そこから最後の焼香だかをして、明後日の朝に火葬する手はずになっている。参加できる方はぜひとも親父との別れに立ち会って欲しい」
斧烈機ってのは、赤目部(せきもくぶ)出身の沸教僧(ふっきょうそう)、星荷(せいか)さんの本名だな。
明後日が火葬ということは、斗羅畏さんもそこまで滞在し参加して自領に帰るという判断をするだろう。
私たちが翠(すい)さまからの親書を突骨無さんに手渡し、軽く交流の話をする時間も取れそうではあるな。
「用事を済ませて斗羅畏の白髪左部(はくはつさぶ)まで一緒に帰り、そこから国境を超えて角州(かくしゅう)の司午家(しごけ)に戻るとするかね」
椿珠さんの示した方針に、私と軽螢が頷く。
その流れを恙(つつが)なくこなすことができれば、今回のミッションは百点満点で完了である。
今までバタバタしていたし、阿突羅さんの不幸という予想外のこともあったけれど、私たち本来の仕事としてはなにげに順調に物事が進んでいるな。
でも上手く行っているときこそ、気を付けなければね。
「明日にでも、翠さまの用向きを話すために突骨無さんに時間をもらいましょうか」
「そだな。今日は末っ子ちゃんもまだ忙しそうだし」
「メエ、メェ」
段取りを確認した私たちはみんなで一緒に、貴賓控室である隣の包屋に向かった。
翔霏や斗羅畏さんの様子を確認して、これからの流れを話し合ってから今夜は休みたい。
ちょうどその包屋の入り口で、斗羅畏さん一味と翔霏に会えた。
「……明日の葬送まで、俺は眠らんつもりだ。親爺の顔を見に行くがお前らはどうする」
「私たちもご一緒します」
そうしてみんなで、静かに眠る阿突羅さんのご遺体に会いに行った。
常夜灯のように篝火がいくつも焚かれていて、霊安の祭壇前は夕方のように明るい。
警備の兵たちも斗羅畏さんの顔を見るなり、言葉もなく目礼して引き下がる。
突骨無さんの手前、斗羅畏さんと親しげに喋ることはできなくても、お二人の最後の対面を邪魔したくないと思っているのだろう。
「親爺……」
私たちは近親者ではないので、ご遺体に触れるほどは近付かない。
数歩離れた場所から見た阿突羅さんの死に顔は。
武威と厳格さで知られた北方の猛者と思えぬほど、険が取れて穏やかであった。
眉間を二つに割いていた深い皺も幾分か緩まっている。
誰の目から見ても、迫力はあるけれど優しそうなおじいちゃんが、そこに眠っていたのだ。
阿突羅さんが、周りの人たちに、そして斗羅畏さんに最後に見せたかった顔が、これだったのかな。
ただの孫に戻った斗羅畏さんが、はらはらと涙を流し落とし、もう言葉を返してくれることのなくなった祖父に語りかける。
「俺、親爺の真似をして一国の主になったけど、全然、務まってないよ。いちいち取り乱して、小さいことに腹を立てちまって……」
私はそれを聞きながら、もう前を見ることができなくなり、俯いて服の袖で顔を隠す。
ぽんぽん、と軽螢が頭を撫でるように叩いてくれたけど、彼も鼻をぐずらせていた。
「俺は親爺みたいに、若い頃から苦労して来なかったから。甘ったれたボンボンのまま頭領になっちまったから、親爺みたいにどっしり構えられなくてさ……親爺は本当に凄かったんだ、強かったんだなって、毎日毎晩、思い知らされて……」
ぐう、と嗚咽が聞こえた。
今まで冷静を保っていた椿珠さんも、自身の無力に嘆いた記憶と重ねてこらえ切れなくなったのだ。
亡くなった人と対話するというのは、自分の内面と向き合うことでもある。
斗羅畏さんと阿突羅さんの問わず語りを介して、私たちは自分の奥底にあるなにかしらを見つめ、見つけるのだ。
恒教(こうきょう)では「死」は「始」に通じ、決して終わりだけを指す言葉ではない。
一粒の種が地に落ちて、死なねば一粒のまま。
死ねば、次の春に多くの花を咲かせ、新しい種を実らせるのだ。
私たち全員、阿突羅さんの死と向き合って、新しい自分を発見し、始めなければ。
「チッ、来たか」
斗羅畏さんの挙動を見守りながら、周囲に注意を向けていた翔霏。
有能過ぎる護衛を務めていた彼女が忌々しげに呟いて、祭壇の下座を睨んだ。
霊安の場に、別の人物が訪れたのだ。
「ワシらのようなくだらない命がお互い、また生きて会えたと言うのに、誰よりも強い良くできた義弟(おとうと)は、もう二度と立ち上がらん。これも人の世の無常っちゅうことか」
赤い目を持った、矮躯(わいく)を持つ沸(ふつ)の僧侶。
星荷さんと私たちは、静かに横たわる阿突羅さんの前で再会したのだった。
「親父の亡骸(なきがら)を寝ずの番で守るのは、喪主である俺の務めだ。東の頭領どのはそろそろご遠慮願いたい」
横には突骨無さんも一緒にいた。
私たちが最後に星荷さんに会ったときも、たしか阿突羅さんと一緒にいたときだったな。
そんなことを私は意味もなく思い出したのである。
斗羅畏さんと突骨無さんが張り詰めた空気を発して睨み合う中、私たちはなんの言葉も発せないでいた。
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