出産

 お嫁入の日から、私は村長さんのお屋敷で生活することになりました。

 私の村では、お嫁入のとき、お嫁さんのお世話をする人が、祝言の後、数日の間、お婿さんのお家に滞在するという風習がありました。私の場合は、奥様がその役をしてくださいました。そして、新しく夫婦になった二人が、円満に行くことを見届けるのです。


「まあ、ハナも一度くらいは出戻ってくるだろ。いいかい、ハナ? その時は、遠慮なんかするんじゃないよ」

 祝言のあとの祝宴で、お酒の入った奥様がそんなことを仰いました。すると、浩一さんのお母様……、私のお母様になった方が、そうはいかないといった風に言い返されました。

「うちの浩一をみくびってもらっちゃ困るね、おキヨちゃん。ハナさんは、そう簡単に返しやしないよ」

「ひゃっひゃっひゃっ! あたしのところだって、3回は出戻っちゃ旦那に連れ戻されてたんだから、そうそううまくはいくまいよ。そういうおシヅちゃんだって、出戻りくらいはあっただろ?」


 お二人とも、随分お酒が入っていらっしゃるご様子……、この時気が付いたのですが、お二人は、旦那様方とご同様にご友人同士でいらっしゃったようです。私が内心、ハラハラしながらお話を伺っておりますと、おシヅちゃん……、お母様が、ぶすっとなさったようにお答えになりました。

「1回だけ……。まあ、荷物を纏めた回数は片手じゃ済まないね。うちの旦那ときたら察しがいいんだか、悪いんだか……、あたしが荷物を纏めだすと、目ざとく見つけて引き留めに来るんだからさ、ほぉんと、参っちまうよ」

 そうして、お二人で顔を見合わせて、大声で笑っていらっしゃいました。


 私はほっとしながら、お二人の仲の良さに感じ入りました。私とさっちゃんも、こんな風になれるでしょうか……。ふと、お父様の方を見ますと、少し気まずそうな、気恥ずかしそうなお顔で、静かにお酒を飲んでいらっしゃいました。私は、村長さん……、お父様は、少し怖い方だと思っていたので、意外な感じがして、クスリと笑ってしまいました。


 そうして、私の村長さん宅での生活が始まりました。さっちゃんは、それをとても喜んでくれました。

「ハナちゃんと一つ屋根の下で暮らせるなんて、夢みたい……。よろしくね、お姉さま!」

「もう、いじわるしないで、さっちゃん……。お姉さまなんて、私のことじゃないみたい」

 そういう私に、さっちゃんは、カラカラと笑って答えました。

「あははは! ごめんごめん、ちょっと浮かれちゃってるみたい。嬉しくって」


 私は、おたなにいたころと同じように、お掃除などの家事をしようとしましたが、お屋敷のお手伝いさんに止められました。

「それは、わたくしの仕事ですから……。若奥様は、お寛ぎになっていてください。大奥様が若奥様とお話になるのを楽しみになさっておられましたから、大奥様とのお喋りにお付き合いいただけますと、ありがたく存じます」

 お屋敷のお手伝いさんは、スミさんと仰る、少し年配の方ですが、とても落ち着いた優しい方でした。さっちゃんも浩一さんも、スミさんのことが大好きで、小さい頃からよくしていただいていたそうです。言わば、二人のお姉さんのような方なのです。


 私は、浩一さんがお仕事に行っている昼の間、スミさんからのお勧めもあり、私はお母様と一緒に過ごすことが多くなました。

「思い出すね……。ハナさんのご両親が亡くなって、ハナさんをどの家が引き取るかって話になった時、うちには浩一とサチがいたからね。声を上げづらかったんだ。許しておくれ。それに、おキヨちゃんのところなら、安心だったしね」

 お母様にそう言われて、私は両親のことを思い出して胸がちくんと痛みましたが、そんな気持ちを押し込んで答えました。

「とんでもございません、お母様。どうかお気になさらないでください。それより、よろしかったら、その頃のさっちゃんや、浩一さんのお話など、伺いたいです。どんなお子さんだったのですか?」


「ありがとうよ。そうだね、サチは小さい頃はやんちゃな子だったね。それに比べると浩一は、小さいころから聞き分けのいい子だった。サチの面倒もよく見てくれてたよ。浩一が親に逆らったのは、一度だけ。外国に留学したいと言い出した時だ。あの子は、この村の人たちの生活をよくするにはどうすればいいのかって、よく父親と話してたからね。その辺のことをあの子なりに考えてのことだったんだろうけど……、驚かされたよ」

 笑いながら、そのように仰いました。浩一さんが無事、外国からお帰りになられたことを心から喜んでおられるようでした。私は、お母様がそう仰るのを聞いて、お母様は、浩一さんやさっちゃんをとても大事に思っていらっしゃるのだと思いました。


 お掃除は、スミさんに止められてしまいましたが、お食事の用意をすることについては、さっちゃんと一緒にスミさんのお手伝いをするようになりました。主にさっちゃんの花嫁修業のためというお話でしたが、私も何もしないでいるのは落ち着かなかったので、お願いしてやらせていただいているという感じでした。


 とはいえ、さっちゃんは私と何かをすることをとても喜んでくれたので、お食事の用意はとても楽しいものでした。

「小鉢の方はあたしがやるから、ハナちゃん、煮物のお野菜の方、お願いできる? ハナちゃんて、お野菜をとってもきれいに切るよねぇ!」

 さっちゃんが、楽しそうにそんなことをいうと、決まってスミさんが、こう仰るのです。

「はい、若奥様は、菜切も薄刃も、とてもきれいにお使いになりますね。嬢様も、若奥様にお任せになってばかりいないで、もう少し見習ってくださいまし。花嫁修業になりませんから……」


 お屋敷での生活は、とても楽しいものでしたが、いつまでも続くものではありませんでした。浩一さんが、会社を興すことになり、それに合わせて町に建てたお家に引っ越すことになったのです。


「もう、引っ越すんなら、兄さんだけ行けばいいのに……、なんてわけにいかないよね。辛くなったら、いつでも帰ってきていいんだからね」

 そんなことを言ってくれるさっちゃんに、私も答えました。

「ありがとう、さっちゃん、大好き……」

「あたしもだよハナちゃん……、大好きぃ……」

 抱き合いながら涙ぐむ私たちに、浩一さんは少し苦笑いしてこんなことを言いました。

「二人とも大げさだよ、ずっと会えなくなるわけじゃないんだから……」

「ぐずっ、兄さんには、わかんないの!」

 さっちゃんが、べっと舌を出してそんなことを言いました。私は、さすがにクスリと笑ってしまいました。


 町での暮らしは、不慣れなことばかりでしたが、少しずつ色々なことを学んでいきました。お屋敷では、お掃除はスミさんがやっていらっしゃいましたが、このお家では、もちろん私がやらなければいけませんでした。お掃除は嫌いではないのと、やることのある方が気がまぎれるので、むしろ良かったくらいのお話ではあるのですが、引っ越したばかりの頃は、ご近所へのご挨拶回りとか、家の周りのお店や施設の場所を覚えたりと、たくさんやることがありましたので、中々手が回らないこともありました。そういえば、初めて銀行で私個人の口座を作ったのもこの頃です。


 浩一さんは、立ち上げたばかりの会社を軌道にのせることに忙しく、お家のことは、私に任せっきりでした。私も、それが妻の務めであろうと思い、毎日を忙しく過ごしておりました。幸運だったのは、ご近所に、お世話好きのご婦人がいらっしゃり、色々とお世話を焼いてくださったことです。そのご婦人は、亜沙子さんと仰る方で、二人のお子さんはもう成人して別にお住まいを持っていらっしゃるという年配の方でした。とても頼りになる方で、よく一緒にお買い物に行ってくださったりしました。


 そのようにして数年たった頃、私は妊娠いたしました。浩一さんは、とても喜んでくれました。私も、とても嬉しいとは思ったのですが、同時にとても不安に思いました。手紙で妊娠をおたなとお屋敷に知らせると、おたなの奥様が、さっちゃんを伴って遊びに来てくれました。


「ハナちゃーん! 子供できたって? おめでとう!」

「体は大丈夫なのかい? つわりはどうだい?」

 二人に会うのは数年ぶりでしたが、二人ともちっとも変わっていなかったので、私は嬉しくなって答えました。

「ありがとう、さっちゃん。つわりは少しありますが、ご飯は普通に食べられていますので、大丈夫です。そちらは、お変わりありませんか」

 そう聞く私に、二人はそれぞれ、私たち夫婦がお屋敷を出た頃からの様子を聞かせてくれました。お屋敷では、さっちゃんにお見合いのお話があったそうです。


「いちおう、お見合いするだけしたんだけど、断っちゃった」

 ペロっと舌を出して、さっちゃんが言いました。私は、さっちゃんらしいと思って、クスリと笑ってしまいました。どうもさっちゃんは、まだまだ結婚をするつもりはないようです。

 おたなの方では、なんと坊ちゃんが東京の学校へ通うためにお家をでて、一人暮らしを始めたそうです。

「早いもんだね、もうあの子が自分の将来を考えて、自分の力で行動するようになったんだからね」

 奥様が、少し寂しそうにそう仰いました。


「坊ちゃんがお家を出て、ご心配ではないのですか?」

 私がそう伺いますと、奥様は仰いました。

「そりゃあ、心配さ。でもね、こればっかりは、しようがないんだよ。結果がどういうものになろうと、自立ってのは必要なことだからね」

 改めて奥様とお会いして、まだまだ私は奥様のお考えには遠く及ばないことを感じました。私などは、ただただ、坊ちゃんのことが心配になってしまうばかりなのでした。


 二人は、数日家に泊まっていってくれました。

 その間、二人ともほとんど浩一さんと顔を合わせることがなかったことを気にしました。

「兄さん、随分忙しいみたいだね。ハナちゃん、子育てはうちに戻ってした方がいいかもしれないよ?」

 私を心配して、さっちゃんがそんなことを言ってくれました。

「お前は、どうしたいんだい? お前のしたいようにしていいんだよ」

 奥様も、そんな風に仰ってくださいました。

「私は……、浩一さんのそばで子育てをしたいのです。お母さんと、お父さんがいるところで、この子たちのお世話をしたいのです。正直、とても不安ではあるのですが……」

 私は、正直な気持ちを二人に伝えました。


「そうかい、お前がそうしたいなら、そうするのがいいだろう。でも、いつでも帰ってきていいんだから、そのことをちゃんとおぼえておくんだよ」

「あら、おばさん、帰ってくるなら、こっちのおうちの方じゃないの?」

 口をとがらせてそんなことをいうさっちゃんに、奥様が笑って仰いました。

「まあ、お前さんも結婚すりゃ、わかるようになるよ」

 さっちゃんは、お見合いを断ったばかりです。

「それを言われちゃうと反論できないなぁ。でも、あたしはいつでもハナちゃんの味方だから、兄さんに愛想が尽きたらいつでも言ってね。あたし、ハナちゃんとなら一緒に暮らしたい!」

「嬉しい……、ありがとう、さっちゃん」

 少し、さっちゃんと二人だけで一つ屋根の下で暮らすことを想像してみました……、とても賑やかで楽しそう。私は、クスリと笑ってしまいました。


 そして、十月十日とつきとうか、奥様とさっちゃんが村へ帰ってから半年ちょっとして、私は出産をいたしました。町では、村のようにお産婆さんのお世話になることはあまりないそうで、助産院と呼ばれる医療施設や、病院を利用することが多いそうです。

 私も、村で見聞きしたお産婆さんのお世話になれないことに少し不安もあったのですが、お家の近くにある助産院をやってらっしゃる方は、お母様がお産婆さんをやっていらした方だそうで、若い頃に助産婦資格を取り、しばらくはお母様について、あちこちのお家を回ってお母様と家庭分娩をしていらしたと伺いました。そしてお母様が亡くなってから、この町で助産院を開かれたのだそうです。

「初めてのお産は色々不安だろうけど、何にも心配ないからね。あたしは、あなたがこーんなちっちゃいころから助産婦やってるんだから!」


 お腹が大きくなってきて、予定日が近くなってから、助産院に泊まり込みました。私は、お家での家事ができないことが気になりましたが、先生から、そんなことは気にしなくてよいのだと言われました。

「妊婦さんは、そんなこと気にしなくっていいの! ここにいる間は、お腹の赤ちゃんのことだけ考えてね。みーんな、そうしてるの、そういうものなのよ」


 お見舞いに来てくれた浩一さんも、同じように言ってくれました。

「家のことは、僕に任せてよ。こうみえても、スミさんに少しは教わっているんだから」

 お仕事に追われる浩一さんに、お家の事をする余裕などがないことは、私にもわかっておりました。

「ありがとう。ご飯だけは、きちんと食べるようにしてください」

 お仕事で多忙の浩一さんが、一番後回しにするのは食事だと思い、そう言いました。浩一さんは、笑って答えました。

「僕は、大丈夫だよ。ハナはここでゆっくり、自分と子供のことだけ考えてて」

 私は、ままならない自分の体を歯がゆく感じながら、頷きました。


 数日後、いよいよ出産が始まりました。

 陣痛は、真夜中を少し過ぎてから始まりました。その日の夜、私は浩一さんのこと、出産のこと、子育ての事など、色々なことが気になって眠れずにおりましたが、陣痛が始まってからは、痛みでそれどころではありませんでした。腰の辺りや下腹部に初めて感じる、重く、鋭い痛みが恐ろしくて、痛みに耐えながら、少し震えておりました。助産婦さんをお呼びすると、助産婦さんは、急いで助手の方を起こし、手際よく出産の準備を始められました。


「大丈夫だよ! その痛みはね、赤ちゃんが生まれてくるために必要な痛みなんだ。だから、すっごく痛いだろうけど、しっかりその痛みを受け止めて、赤ちゃんが生まれてくるのを助けてあげるんだよ。大丈夫さ! あんたなら必ずできるよ、あたしが保証する!」

 助産婦さんが、そう言って、私の手を握ってくださいました。

 私は不思議と、怖い気持ちが小さくなって、子供たちが生まれてくるためという、この痛みを、受け止めることができるようになりました。

 大丈夫だから、怖くないから……、お願い、生まれてきて……。


 ふぎゃあぁぁぁ! うぎゃぁぁあ!!

 ふぎゃあぁぁぁ! うぎゃぁぁあ!!


「よくがんばったね! そら、抱いてあげな、双子のかわいい男の赤ちゃんだよ!」

 助産婦さんが、産湯できれいにしてくれた双子の赤ちゃんを、交互に抱かせてくださいました。不思議と私は、生まれてくる前から、赤ちゃんが双子であることがわかっていたように思いました。

「生まれてきてくれて……、ありがとう」

 私は、生まれたばかりの二人の赤ちゃんに、そう言いました。


 to be continued...

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