第38話 マリウス=ブルーメンタール

 踊り場で対峙した黒髪の少女は、頭のてっぺんから足の先までじろじろと眺めながらわたしの周りを一周した。


「ふむ。見目麗しい少女だが、どうにも記憶にない。どこで会った?」


 口調は若い男性のようだが、声は女性だ。つまり、少女のものだ。

 わたしは黒髪の少女から視線をそらすと、再び肖像画を眺めた。

 遠い記憶が蘇ってくる。


「わたしはその立場上、幼い頃から何人もの婚約予定者がいた。マリウス=ブルーメンタールもその一人。従兄妹のレオンハルトが最有力候補ではあったけれど、彼は同時にライバルでもあったしね。そんな中、七つ年上のマリウスはわたしにとても優しく接してくれた。……地方貴族だったから順位は低かったけど」

「さて、とんと覚えていないな。何の話だ?」


 少女が胡散臭そうに、横目でわたしを見る。

 わたしは少女を一瞥いちべつすることなく話を続けた。


「わたしが十二歳、マリウスが二十歳のとき、ブルーメンタール伯爵家を相次いで不幸が襲った。流行り病よ。まず奥方が亡くなり、続いてマリウスも亡くなった。あっという間だった。だけど伯爵――アウグストさまもまた流行り病に冒されてしまった。奥方と息子の葬儀を終え自分も長くないと悟った伯爵は、城を封印することを決意した。誰も踏み込めないように異空間に城を漂わせ、不可侵の墓標とした。はずだった……」

「お前は何を言っているんだ? 僕は現にここにいる。こうしてブルーメンタール伯爵家を継ぎ、新たな治世を……」

「あなたは五百年も前に亡くなっているの! マリウス!!」


 わたしは叫びながら少女の両手を握った。

 手を通じてわたしの膨大な記憶が少女に――マリウス=ブルーメンタールに流れ込む。

 わたしの中の思い出にさらされた少女は、やがて呆然ぼうぜんとした顔でつぶやいた。


「エ……リン? エリンなのか……キミは。……なぜ僕はここにいる……」

「あなたは死して尚、利用されたのよ、レオンハルトに。そしてその弟子の魔女ユリアーナに」

「どういう……ことだ?」

「劣化していく悪魔の書を若返りらせるためには大量の魂が必要だった。でもただ大量殺戮しただけだと、いつか軍隊を差し向けられ追い詰められる。そこで魔女は手ごろな悪役を作ることを考えついたの。すなわち、少女を憑代よりしろにあなたの魂を喚び出し、吸血鬼に合成したってわけ。これで吸血鬼マリウス=ブルーメンタールのしわざに見せかけつつ、裏で定期的に悪魔の書に魂を捧げ続けることができるようになった。ついでに手ごろなアジトも入手できて万々歳だったでしょうね」

「なんてことを……。エリン、キミなら僕を解放できるんだろう?」


 マリウスが少女の顔でわたしを見つめた。


「その為にきたのよ、マリウス」


 わたしは静かにうなずくと、その胸に短杖ワンドの先端を当てた。


「マリウス=ブルーメンタールの魂よ。輪廻の輪に立ち還り、やがて来たる再生のときを待ちなさい。プルガンス ルックス(浄化の光)!」


 少女の身体が光に包まれる。

 身体を支配していたマリウスが成仏するのだ。

 マリウスは少女の身体でありながら、生前そのままの表情で微笑んだ。


「ありがとう、エリン。願わくば、いつか再びキミに出会えることを……」

「さよなら、マリウス。わたしも、あなたと再び会えることを願っているわ……」


 黒髪の少女から抜け出た光は、上へ上へと上がっていき、やがて虚空に消えた。

 操り人形の糸が切れたように、少女はその場に倒れて動かなくなった。


 ◇◆◇◆◇


「ありゃ? マリウスさまはいなくなっちまったのかい?」


 声に振り返ると、大階段の下に若干じゃっかん疲れた様子の人狼ハーゲンが立っていた。

 肩に、ボロボロになった冒険者ユートを担いでいる。

 こちらは気絶しているらしい。


「あら。ハーゲンが勝ったのね?」

「当たり前だ。人間如きに負けるかよ。さ、約束だ。相手をして貰おうか、お姫さん」


 ユートを肩から降ろしたハーゲンが、身体中コキコキ鳴らしながらウォーミングアップをする。


「ま、約束しちゃったしね。いいわ。どこからでもかかってらっしゃい。ただし、今度はちょっと痛い目を見てもらうわよ?」

「しゃらくせぇ!!」


 わたしが階段を降り切ると同時に、ハーゲンが飛びかかってきた。

 早い。人狼としての能力を全開にしているからか、目にも止まらぬ速さで攻撃を繰り出してくる。

 だが、それだけだ。


 わたしはハーゲンの攻撃のことごとくを受け止め、受け流し、その身体を容赦なく投げ飛ばした。


 やってることは右手や左手をほんのわずかひねるだけだ。

 それだけで、ハーゲンは面白いように宙を舞い、受け身も取れずに床に叩きつけられた。


 普段は相手が上手いこと受け身を取れるよう回転方向をコントロールするのだが、今回は手足を掴んだままだ。

 ユートをボロボロにしてくれたことだし、マリウスの件もある。

 少しは痛い目を見てもらわないとね。


 そうして一分後、ハーゲンはピクリとも動かなくなった。否、動けなくなった。


「……痛い?」

「……痛い」

「満足した?」

「満足した」

「それ、治るのにどれくらいかかる?」

「関節という関節、骨という骨が粉々になってるし、あばらも何本か肺に突き刺さっている。そうさな。小一時間はかかるかな」

「それでもそんなもので治るんだ。さすが人狼の再生力ね」

「治るったって痛みがないわけじゃない。冗談ごとじゃなく死ぬかと思ったぜ」


 指一本動かせないようで、床に這いつくばって悪態をつくハーゲンに近寄ると、わたしは静かに話しかけた。


「ねぇ、ハーゲン。あなたいつからこの城にいたの?」

「半年前。例の大失踪のほんの数日前さ。ユリアーナにスカウトされてな。城主たるマリウスさまにお会いできたのは、サムラの街に訪問する直前だったけど。以来、毎月のお給金をもらいながらここの防犯とコボルトどもの訓練なんかをやっていたよ」

「マリウスはいなくなっちゃったわよ?」

「あー、そうだった。退職金、もらい損ねたなぁ。ちっくしょう。田舎への仕送りもあるってのに、まーた就職活動しなきゃいけねぇのかよ。あーもう。実家帰ろっかな」

「ふふっ」


 ハーゲンの思った以上の普通の人っぷりに思わず笑いがでる。

 人狼といえど、特殊能力があるだけでその辺りはなんら普通の人と変わらないらしい。

 さっきまで深刻だったから、気持ちを切り替えるにはちょうどいい。


「ね、実家に帰る前に一つだけ頼まれてくれない? もちろん、報酬ははずむわよ?」


 身体が動かせなくて四つん這いのままのハーゲンが、唇を尖らせながら顔だけわたしに向ける。


「ふん。俺は高いんだ。こう見えてプロだからな。お姫さんに払えるのかよ」

 

 わたしはハーゲンの前にしゃがみ込むと、懐から革の小袋を取り出して置いた。


「金貨で百万リール」

「ひゃ、百万!?」


 ハーゲンの顔色が変わる。

 わたしは話を続けた。

 

「いい? 依頼内容は……」


 話を聞いていたハーゲンがうなずいた。


「分かった、お安い御用だ。……だけど釣りはねぇぞ。いいのか?」

「いいわ。その代わり、ちゃんと依頼をこなしてよね」

「へへっ、商談成立だ。身体が治り次第、依頼に取りかからせてもらうぜ。ちょっとだけ待ってくんな」


 わずかずつでも手足が動かせるようになったのか、ハーゲンがあぐらをかいて、手足の状態をチェックし始めた。

 とそこへ、目覚めたのか、黒髪の少女が空から舞い降りた。

 見ると、その目は真っ赤なままだ。


 わたしを極上の獲物と見たのか、歓喜の表情を浮かべている。

 よだれを垂らしながら開いたその口からは、鋭い乱杭歯らんぐいばが見えていたのであった。

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