第9話 蒼天のグリモワール

 現実世界に戻ったアルベルトは、我に返ると持っていた悪魔の書を構えた。


「エグレーデレ ヴィルガン ヴィルトゥーティス(出でよ、力の杖)!」


 アルベルトの足元を中心に暴風が巻き起こる。 

 左手に持った悪魔の書が勝手にパラパラとめくれると、開いたページが光り、本の中からゆっくりと漆黒の短杖ワンドが出てきた。

 アルベルトが杖を掴んで引き抜く。


 左手に本を、右手に杖を持ったアルベルトから禍々しい気があふれ出る。

 呪いの発動だ。

 追手たるわたしを倒すべく、悪魔の書が持ち主たるアルベルト=バルツァを操っているのだ。


 わたしは圧をものともせず、六芒星の刻まれた金色こんじきの左目でアルベルトを睨みつけ、叫んだ。

 

「悪魔王ヴァル=アールよ。血の盟約に従い、我が力となれ!」

「まかせろ!」


 足元をウロチョロしていた二足歩行の白猫が空中に飛び上がってクルンと一回転すると、悪魔の書へと変化へんげし、わたしの左手にすっぽり収まった。


 なめし革の真っ白で滑らかなハードカバーの表紙に、悪魔王ヴァル=アールの紋様が金の箔押しで浮き出し加工された、とても美しい本だ。

 これこそが悪魔の書の頂点、蒼天のグリモワール。

 

「エグレーデレ ヴィルガン ヴィルトゥーティス(出でよ、力の杖)!」


 わたしの足元を中心に強烈な風が渦巻くと、左手に持っていた悪魔の書がパラパラっとめくれ、中からゆっくりと真っ白な短杖が出てきた。

 アルベルト同様、わたしも右手で本から杖を引き抜き、構えた。


 アルベルトが持っていた黒い杖を使って空に魔法陣を描いた。


いかづちよ。天裂く怒りの光よ。りてりて槍となれ。我が敵を滅ぼす刃となれ。断罪だんざい千槍せんそう!」


 あっという間にアルベルトの周囲に何十何百もの魔法陣が出現すると、その中から雷で形作られた槍が一斉に飛び出し、凄まじい勢いでわたしを襲った。

 だが、わたしは全く恐れることなく、迫り来る無数の雷槍に白杖を向けた。


「エッフージオ(吸収)!」


 杖の前に一瞬で積層型の魔法陣が展開すると、放たれた雷槍がことごとく吸い込まれていく。

 

 ドドドドッドドドドドドドドッドドドドドドドド!!!!


 ペントハウスがアルベルトの放つまぬ雷の奔流ほんりゅうで真っ白に染まる。

 劣化コピーとはいえ、さすがに悪魔の書だけのことはある。

 これならゴーレムの大群すら一撃で砕けるだろう。

 だが――。


「な!? 無傷だと!?」


 雷の攻撃が止んだとき、だがわたしは全くの無傷だった。

 雷槍は全て、魔法陣を通して蒼天のグリモワールに吸い込まれたのだ。


「ゲプっ。良いお手前で」

「はしたないなぁ……。さ、次はわたしの番。アルベルトさん、本物の雷の魔法ってやつを見せてあげるわ!」


 悪魔ヴァル=アール——蒼天のグリモワールの盛大なゲップに冷たく返したわたしは、白杖で空に軽く魔法陣を描いた。


「悪魔王ヴァル=アールの名において、雷の支配者フルウルに願いたてまつる。我が敵に死の鉄槌てっついを。轟雷ごうらい!」


 次の瞬間——。

 視界は一瞬で白一色に染まり、同時に起こった凄まじい轟音に耳もあっさりその役目を放棄した。


 こうして、遥か天上より落ちた超特大の雷によって、カジノホテル・シャングリラは一瞬で木っ端微塵になったのであった。


 ◇◆◇◆◇ 


 粉塵の舞い止まぬ中、瓦礫の山を登ったわたしは、そこに目当てのモノを見つけた。

 チロチロと端から火を出し燃えている、真っ黒な表紙の悪魔の書だ。


 痛みによるものか、そのすぐ隣でカジノ王・アルベルト=バルツァがうずくまってうめき声をあげている。


「打撲はそれなりにあったでしょうけど、防御壁を張ってあげたから言うほど痛くはなかったでしょう? 感謝してよね。ちゃんと手加減したんだから」


 アルベルトがわたしに気付いて頭をあげた。

 力を使い果たした為か、その顔は焦燥しきっている。


「君か……。しまった! 客は? まさかこの瓦礫の下か!?」

「このホテルにいた人たちは魔法発動の前に一人残らず転移させたわ。全員川向うに避難してる。安心した?」

「そうか。助かる……」


 アルベルトの視線が、灰になりつつある悪魔の書を捉える。

 

「悪魔の書が……燃える……。私は……どうなるんだ?」

「言ったでしょ? あなたは被害者だって。悪魔の書の呪いによって周囲の人たちごと操られていたの。影響は二、三日で消えるわ。それと同時に悪魔の書に関する記憶も薄れて消える。真っ当に戻るのよ」

「君は? 君はどうするんだ?」

「わたし? わたしは旅を続けるわ。わたしの目的は蒼天のグリモワールの写本を一冊残らず燃やし尽くすこと。ついでに従兄弟の持っていった儀式用の写本を燃やせば、天空の王国・イーシュファルトの石化は解ける。まだまだ先は長いわね」

「そうか……。君の旅の無事を祈ろう……」


 疲れ果ててグッタリと座り込むアルベルトを残し、瓦礫の山を下りようとしてわたしは足を止めた。

 眉根を寄せつつ振り返る。


「あなたの息子さん、クラウスって言ったかしら。仮にも伝説の王国の姫に対して不敬の数々、万死に値するわ。責任持って教育し直してよね!」


 アルベルトはわたしの苦情に一瞬ポカンとした表情をすると、次の瞬間大爆笑した。


「ふっ。はっはっはっは。あっはっはっはっは! 分かった、お約束しよう。達者で、エリン姫」 


 こうしてわたしは、倒壊したカジノホテル・シャングリラを後にしたのだった。

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