第6話 覚悟
あれは、中学時代に、校内で、弁論大会というのがあった。
まるで、以前、
「成人の日」
などにもよおされていた、
「青年の主張」
なるものを、学校行事として行ったものだった。
基本的に、クラスの代表が、最低1名、数名くらいまでは、発表の場を求めるということで、それ以外の生徒は、講堂の席に座って、客のような状態になっていたのだ。
最初の年は、
「俺は、自分で発表できるような話題もないし、何も皆の前に立つだけの理由もない」
ということで、スルーしたのだった。
しかし、全員の演目が終わり、表彰式に移った時、司会者が、順位を発表しながら、三位以内という、入選者にトロフィーや賞状などを手渡しするのを見ると、それまでに感じたことのない、何かムズムズしたものを感じたのだった。
演台に立って、表彰を受けている姿が、羨ましい。何か、格好良さを感じるのだが、それを見ていると、自分に当てはめてみるのだが、それが、うまく重ならないことで、
「俺は、二度とあそこにはいけない。指をくわえて、賞品を貰っている姿を羨ましく見ているしかないのだ」
と感じたのだ。
その心境がどこから来るものなのか、正直分かっていない。それが分かったのは、皆が貰っているのを一通り見たことで、
「ああ、自分から行動しないといけないことを、彼らは行動して、その結果として、褒美としての、賞をもらっている」
ということが分かったからである。
つまりは、
「結果というのは、行動した人にしか訪れない」
ということになるのだろう。
確かに、結果を求めるのであれば、行動を起こさないと、その人には永久に訪れないと思うと、
「俺も、参加してみるか?」
と感じたのだ。
ただ、一つ、自分の中でネックがあった、
小学生の頃のことだったが、国語の授業で、先生から差されて、教科書を読むということがあったのだが、これが、有岡には実に苦手なことだったのだ。
というのも、
「人前で、教科書を読んだりなどすると、なぜか急に笑いたくなってくる」
ということだった。
笑いたくなるなどというと、実に不謹慎なことであるが、
「笑いたくなるのは、あくまでも、照れ隠しのようなもので、人前だと緊張してしまって、何も言えなくなる代わりに、笑い出したくなるということになるのだろう」
ということであった。
その記憶があり、それを解消できないまま中学生になったので、その頃まで、
「人前で話すなどということは、俺にできるわけはない」
ということだったのだ。
だから、
「弁論大会などもっての他」
であり、人前に出ただけで、どうなってしまうのか、想像もつかない自分に、どう対応すればいいというのか、曖昧なものだったのだ。
実際に弁論大会に出るということを決めるまで、かなりの、紆余曲折があった。いろいろなことを考えては打ち消したりしたが、考えることが、結果になるのかどうか、難しかったのだ。
だが、覚悟が一旦決まれば、後は早かった。
基本的な題材は自由だったので、結構悩んだものだった。
「題材が自由で何でもいいというのは、実は一番難しい」
というではないか。
何でもいいということは、出場者にすべてを投げられているということであり、要するに、
「潰しが利かない」
ということになるといってもいいだろう。
「言い訳ができない」
ということであり、テーマがある程度絞られている方が、楽だったりする。
実際に、テーマを考えるという立場にならなければ分からないことだった。
それが分かってくると、
「他の出場者が、どのような内容を発表するのか?」
ということが気になってくるというものだ。
しかし、それはあくまでも、
「自分のことを考えなければいけないのに、まわりが気になる」
ということであり、その発想が、
「小学生の時に教科書を読まされて、笑ってしまうということに繋がっていくのだ」
ということになるのだろう。
「まわりのことを先に考えると、結果を求めることを優先してしまい、前に進んでいるつもりでも、求めているだけで、自分が切り開いているわけではないと考えられるであろう」
ということであった。
だが、覚悟を決めると、
「退路を断っている」
というところまでは行っていないが、自分ではそれくらいのつもりだったといってもいいだろう。
だが、
「やる」
と決めると、自分の気が楽になってくるのを感じる。
それまで、緊張から重たかったと感じていた身体だったが、覚悟を決めて、気が楽になってくると、少しでも、前に進める気がするのだ。
「前に進めるということが、覚悟を決めたことの証明にもなるということではないだろうか?」
と考えられる。
小学生や、中学生では、そんな気持ちは、なかなかわからないだろう。
中学生の時、弁論大会に出ようと想ったのは、
「賞品を俺も貰いたい」
という発想からで、
「モノに惹かれた」
と言ってもいいだろう。
確かに、景品や賞品に惹かれることは当たり前であり、小学生、中学生くらいであれば、文句なしに、
「景品や賞品は、貰って嬉しいものだ」
と言えるだろう。
実際に、景品や賞品を貰うということよりも、貰ってみると、
「貰うということよりも、貰って嬉しいと感じている自分を、まわりの人に見せびらかして、羨ましいという感覚にさせたい」
というものだった。
それは、自分が感じたことであり、羨ましいと思わされたことで、自分が立候補したのだ。それが、堂々巡りではあるが、最初に感じたことであり、
「間違っていない」
と感じさせるものだということではないだろうか。
弁論大会に出てみると、正直、成績は惨憺たるものだった。
「俺がここまでひどいとは」
というほどのことで、予行演習でやった時は、
「実にうまくいった」
と信じて疑わなかった。
信じて疑わなかっただけに、結果を見た時、
「そんなバカな」
と感じたほどだった。
順位発表の時、自分の名前がなかなか出てこなかったので、
「ひょっとして、優勝では?」
と自惚れたほとだったが、実際には、下から2番目で、ほしくもないブービー賞だったのだ。
「何で俺が、こんなに低い順位なんだ?」
と思った。
本番では、練習の時くらいに、
「自分でもうまくいった」
と思ったのだったが、実際には、
「こんなにひどかったんだ」
と思わされるほどだったのだ。
してはいけないとは思ったが、どうしても納得がいかずに、審査委員に聴いてみると、審査委員は、聴かれたことに、別に印象はないようだったが、呆れたかのような表情で、
「放送部が録音してくれているだろうから。それを聞かせてもらってごらん」
と言われただけだった。
そして、その表情に、哀れさを感じさせるのだったが、放送部の人に、
「審査委員から、僕の録音を聞かせてもらってくれと言われたので来てみました」
というと、今度は放送部の人も、委員と同じような、少し呆れた表情になったことを見逃さなかったが、それを見ると、
「何か嫌な予感」
がしたのだった。
そして、実際にそのテープを聴いた有岡は、愕然としてしまった。
「これが俺なのか?」
ということが、まず出てきた言葉だった。
声のトーンも自分で感じているのとは違い、かなり高めだった。
しかも、声の抑揚には、完全に、どこかの訛りが含まれていた。
「どこの訛りだというんだ?」
知っているかぎり、生まれてから、違う方言の土地に住んだということはなかった。ただ、おばあちゃんが、自分たちとまったく違う方言を使っていて、その分、訛りもひどく、テープを聴いているうちに、おばあちゃんが話していた訛りを思い出したのだ。
中学2年生のその時、すでにおばあちゃんは亡くなっていて、確認することはできないが、自分の喋りを聴いていくうちに、おばあちゃんの方言を思い出すので、
「この訛りは、おばあちゃんから受け継いだものだったんだ」
ということであった。
それを思い出してみると、
「なるほど、こんな弁論だったら、最悪じゃないか。まあ最下位じゃないだけマシだったというものだ」
ということであった。
ただ、
「参加して、やり切った」
ということだけは、評価できると想った。
成績は最悪で、
「もっと努力しないといけない」
ということと、
「自分がここまで自分というものを知らなかったのか?」
ということを考えると、
「やっぱり、勇気はあっても、賞を貰えるなどという自惚れがひどいということを思い知った」
というものであった。
だが、その時思ったのが、
「なぜ、弁論大会に出たいと思ったんだっけ?」
というものであった。
確かに、弁論大会に出た理由は、
「賞品がほしい」
ということであった。
というよりも、
「賞品を貰っている人間を、指をくわえて見ているということに耐えられない」
ということだったのだ。
これが、どういう感情になるのかというと、それこそが、
「嫉妬心」
というものだったのだ。
自惚れということもあり、
「俺は出場さえすれば、賞品を貰えることは確定している」
というくらいにまで思っていた。
しかし、出なかった理由として、
「人前で話すということも、覚悟がいると思ったが、それよりも、原稿を読むということの方が、笑い出してしまいそうな状況になることで、もっと、度胸を必要とする」
と感じたことだった。
「急に笑い出してしまう」
という現象は、自分の中で、理解できるものではなかった。
「なぜ、笑い出すのだろう?」
ということを考えると、
「まわりが自分を見つめていることに、くすぐったさのようなものがあるからではないか?」
というのが、ある程度考えた上での発想だったのだ。
笑い出すということが、
「余計なことを考えるからだ」
ということに繋がってくるということに気付かせてくれたのが、大学生になって、小説を書けるようになってからのことだった。
というのも、
「小説を書くことができるようになったのは、余裕を感じないような時間の使い方ができるようになったからだ」
と考えている。
小説を書けるようになるというのは、
「構想したものを、最後まで書き切る」
ということであった。
満足いく、いかないというのは、あまり関係ない。
自分で書こうとしていることが、とにかく、完結させるということを目指しているからだった。
その時に考えたのが、
「途中で余計なことを考えず、最初に思ったことに向かって突き進むということが、小説を書くということで重要なのだ」
ということであった。
だから、小説を書いていると、
「とにかく、スピードを優先する」
と考える。
「下手にいろいろ考えると、せっかく繋がりかかっている話に、余計な尾ひれがついて、先に進まなくなる」
という考えがあったからだ。
だから、小説を書いている時は、
「余計なことを考えないこと」
ということを目指すようになったのだ。
最初に小説を書き始めた時、本来なら必要な工程である、
「プロット作成」
というものを行わないようにした。
「プロット」
というのは、小説における、
「設計図のようなもの」
であり、
「登場人物の設定であったり、ジャンルであったり、ストーリー展開の大まかなあらすじのようなものであったり、それらをプロットという」
ということであるが、それを先に書いておくと、実際に文章を作成する時、スムーズにいくというものであった。
「プロット作成というものが、苦手だ」
ということもあるが、どうして苦手なのかというと、
「プロットを作成してから、本文を書こうとすると、どうしても、プロットがある程度の内容を指示しているので、書いているうちに、本文の内容が、うすっぺらくなるような気がする」
ということであった。
執筆というものが、本文中心だということを感じたのは、プロットを書いてみた時だった。
途中からはプロットを書くようになったが、それは、
「本文を書いている時に、自分が集中できている」
ということが分かってきたからだ。
その時に感じたのは、
「小説を書いている時は、考えるのではなく、頭に描いたものを、文章にする」
ということで、
「考えたことが、文章になっていくことに快感を覚えるようになると、集中力を高めるには、余計なことを考えないことだ」
と考えるようになったのだ。
小説を書けるようになった理由の一つに、
「喋れるのだから、書けるはずだ」
ということであった。
「喋ることができるのだから、確かに書くということに置き換えればいいだけのことであって、文章を作れないのは、喋ったことを、整理できないからではないか?」
と考えられる。
「執筆している時、まわりの人がどのように感じるか?」
などという雑音であったり、本来なら見えるものが見えないなどというものがないように考えるのだ。
「一定年齢より上の人には聞こえない」
という、
「モスキート音」
というものがあるという。
「執筆の際のプロット」
あるいは、
「プロットありきの執筆」
というものに、
「モスキート音」
のような発想があるのではないか?
と思うのだった。
プロットを書くことを心掛けると、今度は、スピードが速くなってきた。元々、
「喋れるのだから、書けるはず」
という発想の元に書けるようになるのだから、実際に書いていると、スムーズに言葉が出てくるのであった。
モスキート音というものは、
「ある年齢以上になると聞こえなくなる」
という特性があると言われる、一種の、
「超音波」
と言われるものである。
「モスキート」
というのが、
「蚊」
ということであるので、蚊が飛んでいる音は、ごく近くまで来ないと聞こえないので、いわゆる、
「ステルス効果」
があるということで、
「軍事目的で開発される」
ということだったようだ。
兵器として利用されるのだろうが、
「近くに来ないと音が聞こえない」
あるいは、超音波なので、
「飛行音が、レーダーに引っかからない」
ということになるのかも知れない。
また、暗黒の宇宙で、光を自ら発する恒星であったり、光を反射して光っている星しか、宇宙空間には存在しないかのように思われているが、実際には、
「光を発せず、反射もさせず、光を吸収してしまう」
という、ある意味邪悪な星ということで、
「暗黒星」
というものを創造した天体博士がいたというが、まったく存在を知られることなく、近くに佇んでいるということであれば、これほど恐ろしいことはない。
それも、
「モスキート音」
というものが、音であるなら、
「暗黒星」
というのは、光というものによって、保護色に包まれた、
「音でも保護色の色でもない光」
というものが、他にも存在しているのかも知れない。
そんなことを考えていると、
「光」
というものと、時間が絡んでくるのではないか?
という発想があった。
その光が、時と場合によって、精神疾患がある人間に、いかに影響するか?
と考えると、
大学時代に書いた小説の中で、
「精神疾患のある人が創造した世界」
というものを作り出したという記憶があった。
その精神疾患者は、
「嫉妬心」
というものが、奥深くに存在し、
「覚悟」
というものを自分でまわりに振りまく環境が、
「一歩踏み出すことで、自分が見えていない世界に、時間というものが絡むことで、四次元の世界の創造であったり、時間を超越することで、
「暗黒星」
というものの、
「無限の限界」
を感じさせるのであろう。
その女の子が、
「自分に何を求めているのだろう?」
ということを、考えるようになった。
話をしている中で、考えれば考えるほど、袋小路に入りこんでしまっているのを感じるのだが、それは、最初から、
「俺には分からないのではないか?」
と、考えるからではないだろうか?
というのは、
彼女に対して、自分は、病気というものが相手にあるということで、恋愛感情というよりも、そばにいて支えてあげるということを目指していたのだった。
しかし、話をしているうちに、次第に疑問を感じてくるようになった。
その理由には、いくつかあるのだが、一つには、
「自分と知り合ってから、毎日のように、精神状態が安定しない状態になっていくのが、目に見えて分かった」
ということからだった。
「俺と知り合ったことで、運命を変えてしまったのかも知れない」
と思うと、そもそも感じていた、
「そばにいて、寄り添ってあげる」
と考えていたことが、まったく、本末転倒になってくるのだった。
さらに、もう一つ気になることとしては、
「俺は、彼女が言いたいことを理解できているのだろうか?」
という気持ちだった。
話をしているうちに、自分が想像していたよりも、彼女はものの理屈などに関しては、相当しっかりしている。そこに気付かなかったのは、
「彼女は病気なんだ」
ということを必要以上に考えすぎてしまって、彼女の個性であったり、性格を、俺自身が、否定しているのではないか?
ということを感じたからだ。
確かに、相手を否定するつもりもなければ、ただ、
「寄り添っていたいだけだ」
と思っていても、それが、次第に嫉妬になってくるのを感じたのだ。
嫉妬というのは、彼女に対しての、
「恋愛感情から来るものだ」
と思っていたが、途中から、少し違って考えるようになった。
というのは、
「自分が仲間外れにされているのではないか?」
ということを感じたからではないだろうか?
彼女には、自分の保身のためもあってか、友達、相談相手が多い。男として恋愛感情を抱いた相手が、いくら病気だといっても、自分以外の人との時間を大切にしたり、自分には分からないということに対して、相談しているのだと思うと、
「俺とは住む世界が違うのではないか?」
と思うようになったのだ。
もちろん、
「そんなことはないはずだ」
と自分に言い聞かせるが、似たような病気を持っていて、立ち直った人に、いろいろ相談したり、頼るのも当たり前のことだろう。
だから、本当は、
「そうか、そういう人がいるのなら、頼ればいい」
という、
「大人の態度」
を取ればいいのだろうが、実際には、嫉妬してしまっているのだ。
「住む世界の違う人たちだけで、世界を作って、俺の入る隙間はない」
という、そんな思いに操られ、嫉妬心から、疑心暗鬼や、猜疑心を抱いてしまうようになる。
ある意味、逆のパターンのようであり、だからこそ、嫉妬心が浮かんでくると、年齢を重ねても、どうすることもないということになるのではないだろうか?
と感じるのだった。
そのように感じるようになると、近くにいる女の子を見ていて、
「皆同じに見えてくることがある」
という発想が出てくるのだった、
その子が、小さかった頃を想像してみて、
「この子が大きくなると、彼女のようになるのだろうか?」
という発想をしてみると、果たして、その想像通りにイメージできることができたのだろうか?
そんなことを思っていると、
「想像がうまくいくことは、ほとんどと言ってなかった」
と思った。
それだけ、自分が想像するのが下手だということなのか、それとも、想像できないほど、彼女の状態がおかしいのかということであった。
そういえば、有岡が、子供の頃に、近所に住んでいた女の子に、
「不幸を絵に描いたような子が住んでいる」
という話を聴いたことがあった。
どのような子なのかというのは、実際に逢ったことはなかったので、想像の中で作り出したという、そんな感じの女の子だったのだ。
その女の子のことは、イメージでしか湧いてこなかったが、子供だったので、イメージすらできることがなかった。
だから、
「大人になれば分かるのかも?」
と感じることで、そのイメージの途中で止まった状態で、意識を記憶に格納していたのだ。
普通であれば、
「そんなことができるのだろうか?」
と考えるのだが、不思議なことにできるのであった。
それと思ったとしても、贔屓目に見ても、想像ができなかったので、今の彼女と結びつけて考えることなど、本当に難しいことだったのだ。
彼女を想像の中に当てはめるとすると、
「なかなか難しい」
としか思えないのだった。
その女の子がどのような壮絶な人生だったのかというのは、その一つ一つのエピソードだけでも、想像を絶するものだった。
その状態で、
「実はその経験は、一つのことから繋がっているのではないか?」
と思うのだが、果たしてその通りなのだろうか?
そんなことを考えてみると、
「自分の幼少期で、どうしても思い出せない時期がある」
というのを思い出した。
その時期というのは、実際に、どの学校の何年生からなのかということも、正直分からないでいた。
だが、確かにその時期は存在していて、それ以前の記憶が曖昧だったり、というのも、他の記憶との間の時系列が、ハッキリしないということからであった。
時系列というのは、
「ある程度までは、意識の中でくすぶっていたものが、ある日突然に、記憶という格納場所に入ることで、その記憶を紐解くためのキーワードを使うことで、初めて、時系列としての記憶を紐解くことができる」
ということを意識していることで感じることができるのではないかと思うのだった。
だから、
「記憶が格納されているところには、どうでもいいというような記憶も含まれているので、多すぎる情報量は、凝縮して格納しておかなければならず、致し方なしの状態から、紐解くときだけ、表に出す記憶をどうすればいいかを考えさせられるのである」
というものであった。
記憶というものが、引っ張り出される時は、一度意識を通らなければいけないのだろうか?
ただ、
「そういうことがあった」
という事実関係の有無だけでいい場合は、いちいち、意識の介入を必要としないのではないかと思うのだ。
意識というものを介在しないのであれば、どんなに遠い記憶であっても、思い出すことができる。
しかし、中には、
「記憶として格納されたものの中には、自分が未来において、意識を通して思い出すことを必須とするようなものが、存在していて、それをいつ思い出すかということも、最初から決まっていた」
と考えることもあった。
有岡の中で、一つそのキーワードというものが、どういうものなのかということを、今回自分でも理解できたような気がしたのだ。
その言葉というのは、
「人は人。つまり、他人は他人、自分は自分」
という、まるで、禅問答のような発想であった。
この言葉を聴くと、普通なら、
「何か、冷めて見ているようで、嫌だな」
と感じる人もいるのではないか?
確かに、人の人生において、人との交わりが大切であり、不可欠であることも分かっている。
しかし、だからと言って、人と交わることで、不幸への坂道を転がり落ちるという人だっているわけだし、信じやすい人が、
「信じてはいけない」
という人を相手に信用してしまい、予期せぬ人生を歩まされてしまう、
つまり、
「人に騙される」
ということを余儀なくされる人だってたくさんいるのだ。
それを考えると、まずは、
「自分は自分」
という境界線というか、結界を作っておいて、何人とも踏み入れることのできない領域を確保しておくことが大切なのではないだろうか?
自分と他人との間に、絶対的な境界線を引くことは、ほとんどの人が無意識にしていることだろう。
ただ、中にはそれができず、
「他人に、つい頼ってしまう」
という、
「依存症」
になってしまうことも得てしてあるというものである。
それが、人生において、
「自分をいつも見ていないと、時間に流されてしまう」
ということになるのであろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます