第三話
戦火の矛先
空白の交戦
「帝国によるセトリス再侵攻の兆候は見られず……やはりヴァース様の狙いは、エーテルリア連邦の陥落……」
黄昏のエリンディア。
蒼穹色の私服に身を包んだ女王ソーリーンは、執務室で各地の密偵から送られた報告書に目を通していた。
「独立騎士団は現地のレジスタンスと協力して南部の帝国軍撃退に成功……七日前より、シャンドラヴァ王国の防衛戦に参戦……」
ソーリーンが描く反帝国の狼煙。
それを支えるのは、彼女が〝四十年前の天帝戦争時代から〟大陸各地に根付かせた〝広大な情報収集網〟だ。
すでに現地の民と完全に同化した諜報部隊の活躍により、ソーリーンは大陸全土に正確な目と耳を持ち、さらには遠く離れた場所で戦うトーンライディールに、細やかな指示を送ることすら可能となっていた。
「今の帝国は、エーテルリア連邦との戦いにほとんど全ての戦力を集中させている。帝国にエリンディアをもう一度攻める余裕はなく、連邦もまた追い詰められている。そうなれば――」
机上の大陸図と報告書とを照らし合わせ、ソーリーンは地図上に各地の状況を示す駒を置いていく。
彼女の言うように、現在のエリンディアはイルレアルタとルーアトランという守護の要を遠征させ、防衛戦力は限りなく手薄だ。
そのような大胆な一手を打つことが出来たのも、ソーリーンが帝国軍の内情を推し量る情報を持っているからこそだった。しかし――。
「これは……?」
その時。ソーリーンは山と積まれた報告書の中に、見慣れぬ封を押された書状が紛れているのを見つける。
女王は細くしなやかな指でその書状を取ると、慣れた手つきで封を外し、ろうそくの火の下に広げた。
「これは、〝旧レンシアラ領〟からの……生きていてくれたのですね……」
それは、現在は帝国によって封鎖されている旧レンシアラ領からの報せだった。
長らく音信不通だった諜報員の生存にソーリーンは喜び、しかしすぐに書状の内容に驚愕の表情を浮かべた。
「十四年前……旧レンシアラ領で、〝イルレアルタと正体不明の
そこに書かれていたのは、なぜ今この時にと思うような……しかし驚くべき記述だった。
天帝戦争の終結は、今から二十年も前のことだ。
長く続いた争いによって心に深い傷を負ったエオインは、世界を救った英雄と祭り上げられながらも、イルレアルタと共に人々の前から姿を消した。
しかしこの報告が確かなら、エオインは戦争終結から六年後にレンシアラに戻り、イルレアルタに乗って正体不明の天契機と戦闘を行っていたというのだ。
「いったいどうして……十四年前に、レンシアラで何が?」
にわかには信じがたい報せに、ソーリーンは言葉少なに思考を巡らせる。
『ごめんよ、リーン……僕は一つの命として、あまりにも多くの物を奪いすぎた。もうこれ以上、君とヴァースの傍にいることはできない』
「エオイン様……」
それが、ソーリーンが最後に聞いたエオインの言葉。
誰よりもエオインの孤独を理解し、心から愛していたソーリーンですら、当時の憔悴仕切った彼を引き留める言葉は持っていなかった。
そんなエオインが、なぜ戦場に戻ったのか?
ソーリーンはその理由に思いを巡らせたが、いくら考えてもその答えに辿り着くことはなかった――。
――――――
――――
――
「――やはりこちらでしたか、陛下」
「…………」
壮麗な装飾が施された薄暗い石室。
そこは帝国の王城地下に設けられた慰霊の祭壇。
王族しか入ることを許されない神聖な空間に、松明の明かりに照らされた二つの影が浮かぶ。
一人は、石室の奥にある祭壇の前で佇む剣皇ヴァース・オー・アドコーラス。
そしてもう一人は、長い黒髪をなびかせた見目麗しい細身の青年だった。
「慰霊中のご無礼、どうかお許し下さい」
「構わん。妻と娘に戦勝を伝えていたところだ」
青年に問われ、剣皇ヴァースはふと笑みを漏らす。
見れば、剣皇の前に立つ石碑には彼の親族であろう〝二人の名〟が刻まれていた。
「それで、何用だアンフェル」
「バルサリア公国から、〝恭順を伝える使者〟が到着しました。隣国を焦土にされたのを見て、恐れをなしたのでしょう」
「ならば、バルサリアの兵は監視をつけてエーテルリアの最前線に送れ。祖国を根絶やしにされたくなければ、命を賭けて忠を示して見せろとな」
「畏まりました。そのように手配致します」
アンフェルと呼ばれた青年は鋭い所作で剣皇に頭を下げると、きびすを返してその場を後にした。
『変わったね……昔の君なら、〝こんな生まれたばかりの子〟を利用しようとはしなかったはずだ。本当に……残念だよ』
「この世は絶対的な力こそ全て。力なき意志に価値などないと……それを俺に教えたのはお前だぞ、エオイン」
アンフェルが去り、残された剣皇はかつての友の最後の言葉に一人応える。
「間もなくこの戦いも終わる……その時まで、もう暫く待っていろ」
剣皇は最後に一度石碑に目を向けると、そこで眠る妻と娘に向かって呟いた――。
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