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実況とも懇願ともつかない手紙を口述筆記し終えた白野紅珠朗は、それを封筒に入れ、使いかけの蝋燭に火を灯す。封筒に火をつけて空中に放ると、手紙は消えた。
「返事は送ったよ」
外から声をかけると、紅い革の鞭でぐるぐる巻きにされ、玄関脇の床に転がされている男が縋るような視線を向けてくる。そんな顔をされても、白野に為す術はない。気障ったらしく肩のあたりで両手を広げ、顔を顰めてみせるしかなかった。
ボロアパートの前に停めてあった
「まだ繋いでおいてくれ。返事が来るはずだから」
「「りょー」」
玄関先に陣取る3人組の元へ戻り、刀を突き付けている男に声をかける。
「フタヒロさん、それしまってもらえませんかね。物騒だし人に見られたら困る」
「断る」
「悪いね、紅珠朗。こいつはテンのこととなると見境が無くなるんだよ」
オレンジのスパイクヘアにタンクトップ、アーミーパンツに軍靴という出立ちのマッチョな婆さんが口をひらく。
祖母フクの長姉、黒瓜キク。現在の黒瓜一族の長であり、自身も霊力で悪霊を叩きのめす、現役の異能者である。
顔を合わせるのは久々だったが、まさかこんな形で会うことになるとは思ってもみなかった。
昨日入った依頼は、目の前に転がっている男に手紙を送り、翌日、その返事をもらって来てくれというもの。それでこの家に来たところを、キクさん率いる3人組に強襲されたわけだ。
驚く白野を尻目に、鮮やかな鞭捌きで男を捕らえてぐるぐる巻きに。即座に蹴り倒され完全無力化された男の、口述筆記をする羽目になったのだった。
その最中に男が「餌に薬を盛って生捕りに」と口走った刹那、フタヒロ氏の形相が変わった。左手で空を払うような仕草をしたかと思うと刀が現れ、全身から凄まじい殺気を、いや、妖気を放った。その妖気は未だ治らず、彼の体から炎のように噴出している。
白野はケージの中に横たわっている狐に視線を飛ばした。尻尾が二股に分かれた若い狐は、目を閉じて口をだらりと開き、ぐったりしている。
「で、そこのテンちゃんとやらは無事なのか?」
「ダイジョブよん♪」
フタヒロ氏の後ろで巻き髪を捻っていた妖艶な女性がにっこりと笑った。ケイと名乗ったこの女性は間違いなく美人なのだが、黒い革のツナギを纏っているせいか、逆らってはいけないと思わせる謎の圧がある。黒瓜の家系ではないけれど、この女性にも霊力があり、たまにキクさんと組んで仕事をしているらしい。
「体へのダメージはアタシがバッチリ回復しといたから、今は眠ってるだけ」
その凍りつくような視線だけで射殺しそうなフタヒロ氏が、低く唸る。
「どうしてテンを狙った」
「かっ…金になると思ったんだ。さっきも言ったろ? 俺らの界隈で噂になってたんだよ、この辺りに尻尾2本の神秘的な狐がいるって」
「捕まえてどうするつもりだった」
「知らねえよ。二尾の狐なんて珍しいから、毛皮にでもすんだろ」
フタヒロ氏の妖気が膨れ上がる。白野のところまでビリビリと波動が伝わってくるほどだ。この狐のことになると見境がないというのは本当らしい。
ケイさんが転がる男の脇腹をヒールのつま先で蹴った。コンパクトだが鋭い蹴りに、一切の躊躇は無い。人を蹴り慣れている。
「余計なこと言うんじゃないよ。斬られても知らないからね」
酷いのか優しいのか、よくわからない。思わず自分の脇腹をさすった白野は、上着ポケットのメモに気づいた。さっきまでは無かったものだ。取り出して、素早く目を通す。
「キクさん、そいつのご先祖さま、且つ俺の依頼者からだ。自分の霊力をそっくり献上するから、そいつを許してやってくれってさ」
「断る」
フタヒロ氏が即答し、床に転がった男が情けない声を上げた。
「テンの修行を邪魔したばかりか、毒を盛ったんだ。許すわけがない」
「まあまあ、フタヒロ。落ち着きなって。悪いようにゃしないからさ」
「毒じゃねえよぅ。ちっとばかし睡眠薬をグゥッ…!」
ケイさんがまた、脇腹を蹴った。余計なことを言うからだ。
キクさんは玄関口から男の頭の方に回り込み、しゃがんで男の頭をつついた。他の二人もそうだが、当然のように土足で入室している。
「アンタもさ、しっかりしなよ。ケチなチンピラみたいだけど、そんなアンタでもご先祖さんはちゃーんと見守ってくれてんだ。しかも自分の霊力まで差し出して助けようとしてくれてんだよ。感謝してマトモになりな」
脂汗を滴らせた男が、何度も頷く。二発目の蹴りがいい所に入ったらしい。
「とはいえ、そのご先祖さんもヤクザもんみたいだし、そんな奴のちっぽけな霊力もらってもねえ……それで無罪放免ってわけにゃいかないよ。なんせ、神様の眷属見習いに手ェ出しちゃったんだ。それなりの償いはしてもらう」
「し、知らなかったんだ。神様のナントカなんてよ…」
男はブルブル震えながら、3人の顔色を順繰りに窺っている。哀れで見ていられない。白野は残酷なことが苦手な平和主義者なのだ。
「じゃあさ」
思わず口を開く。助け舟というわけではないが、早くこの場を納めたい。
「その男を、フタヒロさんの子分にするというのは?」
「ほう」
「は?」
「うふ」
全員の視線が白野に集まる。「その手があったか」「断る」「悪くないじゃない?」という3人の視線と、「勘弁してください」という男の視線。
「そうしよう。フタヒロ、こいつこき使っていい。ついでに性根を叩き直してやんな」
「いやです。顔を見るだけでムカつく」
「なら子分じゃなくて、奴隷はどう?」
「ケイさん、鞭持ってその発言はやばいです」
妙に嬉しそうなケイさんの様子に危険な何かを察知し、すかさず白野がフォローする。
「えー、じゃあ……犬?」
「そうだなフタヒロ、お前動物は好きだろ」
……キクさん、飽きてきてません?
白野はその言葉を飲み込み、「決まりですね」と強引に締めにかかる。
フタヒロ氏が渋々頷いた。
「おい、今から貴様は僕の犬だ。ワンと哭け」
「ちょ……そりゃいくらなんでも」
「哭け」
見たところ三十歳前後、おそらく白野よりいくつか年下であろう、昏い眼をした青年。声を荒らげるわけでもないのにこの迫力。さすがの白野もこれ以上口を挟めない。
「……わん」
小声で哭いた男に、あるはずのない尻尾が丸まっていくのを見た気がした。と思った矢先、フタヒロ氏が目にも止まらぬ速さで日本刀を男の胸に突き立てた。よほど深く刺したのか、柄まで胸に埋まっている。誰も止められず、声を上げることすらできずに、時が止まった───
「よし」
片膝をついた姿勢からゆっくりと立ち上がる。右手に握っていた刀の柄からは刀身が消えていた。
「貴様の魂に印をつけた。どこへ逃げても僕にはわかる。僕の命令に逆らえば、その度に寿命が削られる。わかったな」
男は真っ白な顔でガクガクと頷いた。首がもげそうな勢いだ。
「返事は」
「ははは、はい」
「わん、だろ」
「……ワンッ!!」
キクさんが立ち上がり、パンと手を叩く。
「よーし、一件落着。警察の上の方と神社関係にはアタシが話つけとくよ。じゃ、あとよろしく」
黒瓜一族はその異能で警察や自衛隊、病院から神社庁まで、上層部にかなり深く食い込んでいる。様々な力でこの国を防衛しているのだ。
「アタシも帰ろっと。お疲れ〜」
ケイさんは縛りを解き、鞭を束ねた。即座に正座し平伏する男を顧みることもなく、ヒラヒラと手を振り、ボンデージ姿のまま外へ出ていった。
双子と挨拶を交わすキクさんの声が聞こえ、彼らの車が走り去る。
白野も帰ろうとしたが、まだ料金をもらっていなかった。男の懐へ手を突っ込み、財布から料金ピッタリの紙幣を引き抜く。
正座を崩さずされるがままになっている男に、領収書を渡して、一礼。
「ご利用、ありがとうございました」
玄関のドアが閉まる一瞬、テンを抱きかかえ撫でているフタヒロ氏が見えた。さっきまでぐったりと口を開けていたテンが、その膝の上で幸せそうに微笑みを浮かべて眠っている。フタヒロ氏もまた幸せそうで、先ほどとは別人のような、慈愛に満ちた優しい眼をしていた。
事情は知らないが、彼らの間に強い絆があるのは明らかだ。
……帰りに双子を動物園にでも連れてってやろうかな。
柄にもなくそんなことを思いながら、白野はぶらぶらと双子の待つ紅いRCZに戻って行くのだった。
🍻
〜 四通目 裏社会からの手紙・完 〜
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