GLタグはこいつのせい

 一週間。日で換算すれば七日、秒にすると約六十万秒。

 それを長いと嘆くか短いと笑うかは人次第。少なくとも、全人類の結論が完全に一致することはないであろう程度には曖昧な日数であろう。

 配信自粛という名の謹慎中であった鈴野すずのにとって、その一週が果てしなく長かった……かと思えば、別にそういうわけでもなかった。


 この七日。唯一の趣味である配信を奪われ、結月ゆづきには「一週間ほど口聞きたくないです。禁煙でもして反省してください」とこの前の配信で本気で怒られてしまった鈴野すずのは、確かに言葉通りに起きて寝てだけの生活ではあった。

 ……まあそれでも、実態は病人のような拘束生活ではなく。あくまでニートの一日みたいな、汗水流して働く社会人がふと貪りたくなりそうな惰眠を貪っていただけだったのだが。


 ともあれ一週間の謹慎もとい休暇。

 レイドッグ捜索という最近の目的すら放置し、無事に惰眠貪り生活を完遂した鈴野すずのは、解禁当日の夜から以前とまるで変わらぬ調子で配信活動を再開していた。


「いやーまいった。やることないとまーじで家から出ねえもん。この前ので姪っ子ちゃんには嫌われちまったし、久しぶりに言葉を発するのは楽しいねー」


『その割りにはいつも通りすぎなんですが』

『態度が謹慎明けじゃない。もっと殊勝になれ』

『そんなんじゃ子供に夢を与えられないぞ』

『やっぱり配信者の謹慎ってただの休暇だよね』

『っていうか姪ちゃんに嫌われたのかよ。ざまあだけど俺達の姪ちゃんを返してくれ』


「そんなことないぞー? 起きて寝て起きて寝て起きて寝て起きて寝てー。これが結構きつい。いやまじできつかったー。退屈ってのはまじで人を殺すんだよなー。饅頭くらい恐ろしかったわー」


 布団とお日様と色があるだけ天国だけど、と適当に考えながら言葉を紡いでいく鈴野すずの

 横には空っぽの灰皿と煙草ケース。安物のマウスに表面の汚れたキーボード。

 そしてそこそこのスペックのパソコンの駆動音と一週間座ることのなかった固い椅子の感触を心地好く思いながら、以前よりも格段に少なくなったコメントと視聴者数をぼんやりと見つめていた。


「しっかし減ったなぁ。最初くらいは荒し共で嵩増しされると思ってたのに過疎過疎の過疎じゃねえか」


『そらそうやろ』

『未だに来てやってる俺達に感謝した方がいい』

『一週間経ったらあいつらは飽きるぞ』

『¥1000 そうだよベル。僕は最後の一人になっても推すけど、他の人は離れていくんだよ』

『ちなみにお前のスレはそれはもう荒れてるぞ』

『真面目に夜の通り道には気をつけてな』


「おーうどうもー。まあ刺しに来たら一回くらいは受け入れてやるさ。通報は遠慮無くするけど」


 現在視聴者92人。そして現チャンネル登録者数約1205人。

 復帰配信だというのにそれはもう惨憺たる現実。そして以前のように減って増えるなんて炎上商法に繋がることはなく、結月ゆづきと会うより前より減ってしまう始末。

 Vtuberとしての魔法少女ベルの評判は振り出しは愚かマイナスへと落ちた。こうして過疎配信者へと戻ってしまったのだが、鈴野すずのの声が沈むことは別になかった。


「まあ仕方ないし後悔もないし悔いもないからモーマンタイ。既に謝罪配信と和解は済んでるわけだしこれ以上の引き摺りもなしよ。……ああちなみに、私宛に送られてきた誹謗中傷とか殺害予告のラブレターを読んでみたいやついるー?」


『そういうとこやぞ』

『そういうとこですよお姉さん』

『草。ほんとに殺されそうだな』

『火に油を注ぐな』

『もう一生コラボとか無理だろうな』


 呆れ返るコメントと、またしても減った数字をけらけらと笑いながら話す鈴野すずの

 煙草ではなくシガレットの入った箱を手に取り白い棒を咥え、多少舌で転がした後に噛み砕きながら一息つく。


『咀嚼音助かる』

『変身中にやって』

『今やるな』

『むしろ今やれ』

『せめて先に許可を取れ』


「あーやっぱお前ら面白くていいわ。雑音ノイズって名付けた甲斐があるよまじで」


『お、喧嘩売ってんのか?』

『大体何でノイズなんだ? その辺聞いたことないわ』

『魔法少女っぽくないよな。直球の罵倒か?』


「そうだなぁ。実はベルなんて可愛い名前になる前が雑音ノイズだったから……ってのはどうだ?」


『そんなわけないだろ』

『今キャラ設定増やすな。最初に書いておけ』

『今も闇堕ちしてるようなもんだろ』


 それっぽく話せば、打てば響くなんて具合に返ってくる罵倒達。

 そんな心あるお言葉に微笑みながら、鈴野すずのは口内に残る甘ったるさとシガレットの残骸を飲み込んだ。


「……はあっ。しっかし何にも上手くいかなかったなぁ。二兎を追う者は一兎をも得ずって言ったやつはすごいよ。その通りだもんさ」


『どしたん? 話聴こか?』

『どうせくだらないこと』

『聞くだけ無駄』


「お前ら酷くない? ……いやまあ、コラボした目的果たせなかったなぁってそんだけよ」


 しばらく話した後、頬杖を突いて話していた鈴野すずのはふとそんなこと呟いてしまう。

 呟いてからやってしまったと後悔しそうになるも、まあ隠すことでもないかと特に焦ることもなくだらだらと話し続ける。

 

『目的?』

『目的?』

『売名だろ?』


「売名したかったのもあるけど、本命はネオエンターにいるって噂の友人捜しでなぁ。そんな時に宵闇バットがコラボ打診してきたから、そこからちょろ~っと人脈辿れないかな~って。そんな感じ」


『最低で草』

『畜生やんけ』

『普通に声で分からない?』

『バットちゃん可哀想』

『楽しかったぜェ、お前との友情ごっこォ!!ってこと!?』


「いやコラボは普通に楽しかったよ? 後本人には伝えたし、あっちも私を利用する気だったんだからお相子よ。そこに個人や企業は関係ないんだわ」


 非難の飛び交うコメント欄を、どうどうと軽い調子で宥めながら話す鈴野すずの

 そして思いつく。当人が見ているのかは知らないが、どうせ話してしまうのならいっそ全部話して最終手段を使ってしまおうと。

 

「ちなみに声云々は分かるわけがない。最後にあったの八年前だし、その頃は私もぴっちぴちの……おっと、魔法少女は年取らないな。いつでもいつまでも永遠の十代さ♥」


『きっつ』

『きっつ』

『きっついけどそれがまたいい』

『¥5000 ベルはいつでも可愛いよ。僕の一生の宝さ』


 いつもお金をくれる鐘の嫁さんに感謝しながら、今のは自分でもどうなんだと心にダメージを負ったする鈴野すずの

 キャラの皮を被っていない時にベルを演じるのは心に疲労が溜まる。だからこそ、魔法少女のまま自らを曝け出す現想混合トゥルーミックスは疲れるのだと、どうでもいいことを考えて滅入ってしまっていた。


『ちなみにその友人の名前は?』


「流石に実名は言えんけどあだ名はイナリだったな。……あーあ、宵闇バットが本人だったら楽だったのになぁ」


『イナリ……油揚コンとか?』

『っていうか会えるわけないやろ。流石に舐めすぎや』

『コンちゃんなわけないだろ。こんなのと絡んでたら末代までの恥だよ』

『お前事務所に喧嘩売ったんだから絶縁だってよ』

流星乙姫ほしおき……はどうなんだろ? あいつ一期生のくせに性別不詳なんだよな』

『バットに期待するんだから可愛い系の女だろ?』


 意外と素直に考察しだしてくるコメント欄に感謝しつつも、鈴野すずのは次の一言を喉で止めてしまう。

 

 もしこの配信を観ていて、その上この一言を聴けば恐らくあいつは連絡してくるだろう。

 だがどうしても言いたくない。もしもあいつが聴けば、間違いなく調子に乗ると分かりきっているからだ。

 まあ別に許していないわけではないし、そもそも私に興味を失っている可能性だってある。恋なんてしたことはないが、そういう桃色感情は会わなきゃ三日で冷めるって話だからな。

 これが空振りに終わったら、その時は大人しくギアルナ誘って人海戦術で犬野郎を捜そう。いくら仕事が忙しいといっても、あの件だって話せば協力してくれるだろう。うん。


「……あの件は許してやるから連絡くれないかなぁ。終わった青春のやり残しっていう、割と火急の用なんだよね」

『え、本当?』

「……あ?」


 決意して吐いた言葉の直後、内側で強制的に繋がれた魔伝の感覚に驚く鈴野すずの

 そして脳内に響くのは、記憶の底から遠い過去であったその姿を鮮明に呼び起こす、あの頃と変わりのない愛嬌に溢れた声。

 

 嘘だろ? まさかこんな即答で来るなんて。ちょっと心臓びくってしちゃったよ。

 もしかして配信にいた? いやでも、いくらなんでも食い付くのが早すぎて怖いんだけど。

 

「あー、今連絡来た。というわけですまん、今日は終わる。遠くないうちにアンケしてゲーム配信やるから。おっつー」


『は?』

『は?』

『は?』

『嘘やろ?』


 さくっと配信を切り、頭を抱えながらも無意識に灰皿へと手を伸ばす。

 だが目視無し且つちょっぴり震えた手では吸いかけの煙草を思うように取れず、仕方なしと一度深呼吸してから何て言おうか考える。


「……ふう。……ふうっ、さあてイナリ。掛けてきたってことは、応答の意志が──

『本当に? 本当に許してくれる? 本当に?』

「ああもう喧しい! 許すから! そんでお前、明日会えるか?」

『本当!? いやったー! 私が生き返った気分ー!! じゃあ今から会いに行くねー!! レッツゴー!』


 全開で喜ぶ魔伝の相手に、つい耳を押さえてしまう鈴野すずの

 そして相手はこの世の至福みたいに明るく喜んだかと思えば、次の瞬間には繋がれていた魔伝が切れてしまう。

 だが次の瞬間。

 鈴野すずのがその言葉の意味を噛み砕くより早く、動揺を消そうと煙草に手が伸びるよりも速く。

 鈴野すずののいる六畳間の中央──広げられていた布団の中心に人が現れ、鈴野すずのへと一目散に抱きついた。


「わーい久しぶりー☆ 八年ぶりのひめちゃんスメル☆ はすはすはー♡ お゛お゛っは☆ 一段とたまらぬ最強のメスエネルギー☆ そして耳を孕ますエロ生声ぇ⭐︎」

「……離れろクソレズ! はーなーれーろっ!! この阿呆ッ!!」

「やだー☆ ああたまらねぇ☆ ……あ、ふうっ☆」


 鈴野すずのが全力で引き剥がそうとしても絶対に離れることはなく。

 それどころか顔を胸へと押しつけ恍惚とした声色で蕩け、何かに達したみたいな声を切ない声を発した乱入者。

 その扇情的な吐息を耳にした瞬間、鈴野すずのは目をひくつかせ、魔力を用いて振り解いてから足でその少女を蹴り飛ばした。


「いったたぁ☆ 八年ぶりの愛の鞭☆ かいっかん☆」

「なーにがいったたぁだ。歳考えろ変態が」

「ひどーい☆ せっかくの再会なのに辛辣ぅ☆ でーもー☆ これが愛☆ なんだねっ☆」


 吹き飛ばされてなお、よよよと鈴野すずのの布団へ持たれ込んで鼻を付けるその女。

 稲穂畑のように美しい黄金の髪と狐耳。そしてピンクのハートが描かれた右肩を露出したアンバランスな巫女服。そして黄色の双眸に宿した星の形。

 まるで神を恐れず唾吐くような衣装を纏いながら、鈴野すずのの布団の上で下品に悶えるその女。

 だが侮ることなかれ。例え度し難いほどの変態であろうと、彼女はまごう事なき古き時代を生きた魔法少女。鈴野すずのと──魔法少女ラブリィベルと肩を並べる規格外の一人。

 

「……はあっ。久しぶりだな、イナリ」

「もーイナリじゃなくてめい☆ ひめちゃんにはマイリアルネームで一生愛を囁いて欲しいな☆」

「……はーあっ。はいはい、久しぶりだなめい」


 まるで現代のイラストを現実に変えたと思うほどに整った、まさしく偶像と言っていいほど完璧な造形美。

 彼女の名は魔法少女イナリ。その本名を狐峰こみねめい。

 現代に残る旧世代。もっとも理不尽で反則で不可思議で、けれどもこれ以上ないくらい単純な魔法を行使する女。

 そしてかつて当時十四歳の鈴野すずのをラブホにまで連れ込んで行為一歩手前まで迫ったり、ついでに世界を虚無で呑み込もうとした変態であった。

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