言葉と拳のダブルファイト!

ある少女は憂う

 赤黒く厚い雲に覆われ、風の一つさえ通らない偽りの空の下。

 濃密な瘴気に満たされた世界。気温に反し怖気で底冷えしそうな、まさに異界とでも称すべき大空間に、茶髪の少女が一人足を踏み入れる。


 深紅の髪に犬の耳の突き抜けたベレー帽。モノクルに焦げ茶のインバネスコート、そして煙の出ないパイプを咥え、まるで創作の探偵が世に現れたかのような少女。

 そんな少女は懐古を孕んだ呟きを零し、それから真っ直ぐに、ただ一点を見据えながら、迷い込んだわけではないと知らしめるように足を進めていく。

 

 少し歩き、少女が辿り着いたのはこの空間の中心に置かれたまん丸な岩。

 十つの柱にて囲まれ、手前に置かれた小さな社を足下に置かれた大岩。

 おどろおどろしい空間の中でも一際、そして群を抜いた悍ましきを発する大岩を、少女は悪鬼すら怯んでしまいそうなほど強く睨み付けた。


「……随分と緩んでるな。去年はもう少しましだったろうに」

「──そうともレイドッグ、激昂の犬よ。刻んだ名に似合わず、されどその名通りな律儀さじゃのう」


 気食の悪い静寂を破り、探偵風の少女へと声を掛けたのは玉のように角のない声。

 少女が別段焦りを見せることなく、多少の疎ましげを顔に貼り付け振り向けば、そこにいたのもまた少女。

 黒髪の、深緑の花のあしらわれた着物を纏う少女。

 背は探偵風な少女の一回り下、十代届くか届かないかの平均値。

 少女と幼女の中間のような、されど醸す雰囲気の一切が歳に見合わぬ老女のような少女が、袖を口に当てながらいつの間にか佇んでいた。


「……変わりないな。何も変わらず番人気取ってるのか、世捨ての老いぼれが」

「最早それだけが生きがいじゃからな。しかし、呵呵っ、お主は変わらず口が鋭いのう」


 くつくつと、風貌には似合わぬ堪え笑いを零す着物の少女。

 そんな少女に探偵風の少女は舌を打ちながらも、決して敵意の一つすらなく近寄り横へと並んだ。


「で、どうだ。封印はどこまで保ちそうか?」

「恐らくじゃが、お主の見立て通りじゃよ。まさか、ここまで急速に緩むとはのう……」


 彼女達が話しながらも目を向けるのは、やはり大きな岩の一点のみ。

 最早常人でさえ容易く感じ取り、そして常人であればそのまま命を奪うであろうほど一層に濃密な瘴気。

 この空間に平然と立てる少女二人ですら顔をしかめ、不快感を感じてしまうほどの禍々しさを漂わせていた。


「して、結論は変わらぬか? ちょうど一年前、予兆と共に至り、わしに聞かせたあの答えから」

「……ああ。今日で確信した。やっぱり、俺がやらなきゃなんねえよ」


 固い決意を秘めた、探偵風の少女の言葉。

 着物の少女は小さく頷きながら、その答えを聞いて少し悲しげに眉を下げてしまう。


「そうかえ。ならば止めはせぬよ。無論、協力もせんがな」

「……元から期待はしてねえよ。滅びを前にして、なおも非干渉を貫くご隠居様が」

「呵呵っ、儂はもう疲れてしもうたからのう」


 どっこいしょと、老婆のように声を出し、何もないはずの空に腰掛ける着物の少女。

 そんな様子に鼻を鳴らしつつ、探偵風の少女はじっと大岩を見つめ続ける。


「なあ、あいつらは止めに来ると思うか? 全てを知る老婆よ」

「さあのう。誰が儂をそう呼んだか、所詮は知っていることしか知らん老いぼれロートルに過ぎん身よ」

「……言ってろクソババア。百を超えながらスマホで配信なんてもん観てやがる、時代かぶれのハイカラが」


 吐き捨てるような苦言に、着物の少女はなおもくつくつと笑みを浮かべ続ける。


「そうじゃのう。歯車ウサギまりなは多忙、狐巫女めいめは無関心。なれば必然、残るは一つだけよ」

「……ノイズ、いや今はベルか。そらそうだ。やっぱりそうなるよな」

「然り。ぬしにも届いたであろう? 先日轟いた魔力を。我らがともの懐かしき鐘の音を」


 着物の少女の問いに、探偵風の少女は少し間を置いてから肯定を返す。

 彼女達は思い出したのは、先日瞬間のみだが感じた膨大な魔力、そして重厚だが優しい鐘の音。

 それはある魔法少女の発した音。彼女二人にとっては、遠い過去を呼び起こす響き。


「それが一時か須臾かは定かではないが、けれどあのは……鐘の後継者は確かに舞い戻った。はてさて、果たしてこれは運命か、それともただの偶然かのう?」

「……どっちだっていいさ。あいつには糾弾する権利が……選ぶ権利がある。例えどんなに遠ざかろうが、いずれはぶつかる宿命だろうよ」


 探偵風の少女は犬耳を垂れ下げ、ゆっくりと目を閉じる。

 瞼の裏に広がるのは、彼女達にとって天国でも地獄でもあった数年間。共にあり、共に戦い、共に失った今とは魔法少女の時代。


「あたしを止めるか? 魔法少女エターナル。最初にして最古の、魔女と呼ぶべき魔法少女の祖よ」

「いんや。滅びるも栄えるもするがいいさ。まあ今の人類に答えを示せと突きつけるには、これはあまりに酷な難題じゃと哀れみはするがのう」

「……そうかよ」

「あと、儂は魔法少女エターナルじゃ。敬いなんて無価値で遠ざり、仲間はずれになどせんでおくれ」


 着物の少女の一笑に、探偵風の少女は小さくため息を吐いて大岩へと背を向ける。

 跳ねるように空気から立ち上がり、歩いていく少女に目を向けた着物の少女は、鴉色の瞳でその後ろ姿を見つめながら口を開く。


「もう行くのかえ? どうじゃかさね? うちで積る話も──」

「断る。こっちは忙しいんだ。これから世界に抗おうってときなんだからよ」


 振り向くことなく、雑に手を振りながら止まることなく去っていく探偵風の少女。

 寂しげな背にそれ以上言葉を掛けることなく、着物の少女は社の方へと歩き、その扉を開ける。


「……あやつも変わらん。不器用で、誠実で、けれど苛烈な首輪なき犬。たかが人の身で、何故それほどまでに背負おうとしてしまうのかのぅ」


 ぎぎぎと、軋む木の音と共に開かれた社。

 その中に飾られた一枚の写真を、正確にはその中に写る十五人の中央──小さな黒髪の少女を抱き、赤髪の犬耳を生やした少女と並んで満面の笑顔を晒した女へ着物の少女は憂いの口調で問いかける。


「恨みなどせぬが、それでも怨むぞひびきよ。お主が賭けた可能性一つでは、所詮は星の糾弾を遅らせるには至らなかったというわけじゃ」


 かつてあった幸福な一枚を名残惜しく思いつつ、着物の少女は社を閉じて背を向ける。


「さてな。しかしこれでは不平等は過ぎるというもの。あやつだけが動きその身を糧に成し遂げるなぞ、親友であったお主は許さんじゃろうな」

「儂は何もせぬ。儂は決着には手を出さぬ。……嗚呼、されど機会を与えるくらいは許されるじゃろう?」


 数瞬の憐憫の後、着物の少女は空を見上げてこの場にいない誰かへと問いかける。


「嗚呼、鐘の音を継いだ雑音ノイズよ。黒を捨て、愛らしさを選んだ我ら最後の同胞よ。どうかあの娘のくだらぬ自己犠牲に幕引きを。終わるのならば、せめて皆で共にあろうぞ?」


 その言葉を最後に、大空間から着物の少女の姿が消え失せる。

 あたかも最初から存在しなかったように、影も形もなく、求めた願いもとうに空へと溶けていた。


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