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「今、興味深いことが聞こえてきたのよね~。行方知れずのお姫さまの亡霊って」
赤髪の女性が三つ編みを揺らしながら、ヨーナスとエトガルのそばまでやってくる。
「なんだ。アンネじゃねえか」
ヨーナスは彼女の名前を呟く。エトガルはぺこりと頭を下げる。「毎度ありがとうございます、アンネさん」と礼を言った。彼女は少年に微笑むと紙袋から、今しがた買ったばかりのパンを手に取って頬張り始めた。
「むぐ、このクリームの甘さが最~高! もぐもぐ、チーズもとろけていておいし~い!」
彼女はおいしそうに次から次へとパンを食べていく。エトガルがぽかんと見ているなか、彼女はあっという間に紙袋の中のパンをすべて平らげてしまった。次に手荷物からエールビールの入った容器を取り出すと、ぐびぐび飲み始めた。
「ふう! チャージ完了よ!」
「おまえ、どこでも酒飲むんだな……」
ヨーナスは少し呆れた顔になった。
この赤髪の女性はアンネ。本名はアンネリースだが、ヨーナスたちからは略されて呼ばれている。彼女はロタル家がやっているパン屋の常連だ。毎日ここへ焼きたてパンを買いにくる。
「お酒がないと、私は生きていけませんも~ん」
アンネは口をとがらせて言うと、じろりとヨーナスを見た。
「そういうあなただって、お酒飲むじゃん」
「あのな、俺は昼間から飲まないんだよ」
エトガルは二人を眺めた。ヨーナスとアンネは幼馴染で年が同じだ。二人は仲がよく、そして付き合っている。
「でもさ、その噂」
ふいに真面目な顔になったアンネが、「本当っぽいのよね。突然お姫さまが帰ってきて、ハインリヒ王子に会わせてくれって言ってたの。彼女の後ろには変な集団もいたから、みんな不審そうにしてたんだけど……。ハイデルベルク城の中は、てんやわんやだったわよ」と呟くと二人の顔を見た。
「まじかよ。あのリーゼロッテ姫がねぇ……。生きていたんだなぁ」
ヨーナスは頭をかきながら、しみじみと言った。「そりゃ、よかったぜ」
エトガルが不思議そうに、「どうしてアンネさん、城内のこと知ってるの? ヨーナスの兄貴はともかく」と聞いた。
「何でって、こいつは城内で働いてるからな。騎士の一人として」
「ええっ!? そうだったの、アンネさんー!」
エトガルは目を輝かせた。いつもパンを買いにくる常連が騎士だったとは。ちなみに、少年の兄貴分であるヨーナスも騎士の一人である。
「かっこいいよねー! 騎士かぁ~。ぼく、憧れちゃうな」
少年は夢見るように目を輝かせた。
騎士団は王国と王族に仕えている。彼らは武術を学び、鎧に身を包む。馬に乗り剣や槍を携えて戦地を駆ける。
だが実際のところ、この世界は平和そのものだった。騎士たちは城で鍛錬するものの、せいぜい城や王国の警備がほとんどだった。どこかで争いが起きる――といったことは、今はなかった。
「エトガル君、騎士になる試験があるから受けてみたらいいわよ。もう少し大きくなったらね」
アンネにそう言われたがエトガルは、「でも、ぼくは店を継がなくちゃ」と残念そうに言った。
「騎士だってな、向き不向きあるからな。お前は気が弱いし、やめておいたほうがいいかもな。魔物と戦うかもしれないし」
「兄貴~。魔物って、おとぎ話でしょ?」
かつて、魔王という存在がこの世界を脅かした。魔物たちをけしかけ人間たちと争った。勇敢にも戦ったのが王様と騎士たちだ。今もハイデルベルク王国に伝わる昔話だった。
「その魔物が、いるのよ」
大真面目にアンネが、エトガルとヨーナスに話した。
「お姫さまと一緒にきたのよ。魔物が何人もね!」
少年たちが驚いているころ――。城内では兄と対峙している少女の姿があった。
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