“event” 南蔵田

 南蔵田に限った話ではなく、それが始まった瞬間のことを覚えている人間はどこにもいない。自分たちのいた土地が震源地だと騙る者もいれば、遠い異国で始まって気づけば波に呑み込まれていたと語る者もいる。瞬間をみたなどと語る人間は大抵が勘違いか耳目を惹きたい調子者で、語る言葉をなくした者にはそれの犠牲になった者がいる。

 結局、今となっては発端も広がり方もわからないが、南蔵田で起きた出来事だけは語ることが出来る。そこに確かに目撃者はいたのだから。


 南蔵田で起きた出来事を一言で表すなら“衝突”だ。南蔵田とイ界の接点は“衝突”から始まったのだ。

 まずは、南蔵田で目撃された最も分かりやすい“衝突”の話をしよう。

 この事例は片道2車線の交差点で発生した。その日、交差点に侵入した車両四台が正面からの逆走車と正面衝突した。この事故は、その交差点の全ての進入路で同時に発生したものである。

 言葉で表すと違和感はないかもしれない。だが、交差点に複数台の車両が侵入することがありえたとして、全ての車線で逆走がおきたのだとすれば、交差点内の逆走車はどこからきたのか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 逆走なのだから本来の進行方向から来たに決まっている? 反対車線を走る逆走車がいたとしても、偶然にも互いに交差点進入まで衝突は起きなかった。珍しい事故ではあるが絶対ではない。

 だが、交差した逆走車はどうだろうか。その車と運よく衝突せずに全ての車両がそれぞれの車線を走る車両と正面衝突することが果たしてあり得るのだろうか。

 事故の通報を受けて現地に向かった警察官達は揃って疑問を述べた。

「どうやってこんな事故が起きたのかよくわからない」

「逆走車は前半分が衝突した車両にめり込んでいる。逆走車側だけが大破する理由がわからない」

「全ての事故が逆走車と同一車種との衝突事故である。偶然にしてもできすぎているのではないか」

 当時、彼らの疑問が紐解かれることはなかった。なぜならこうした事故は南蔵田で多発しており、少なくても10件、40台の車両が謎の逆走車と正面衝突をしたからだ。

 彼らは事故現場へ駆けつけ、被害者を捜しら加害者を確保するので精一杯だったのだ。だが、そんな警察の奮闘を讃えることもなく異変は起こる。多発した事故のほとんどにおいて、容疑者、すなわち逆走車の運転手が見つからなかったのである。

 事故に遭った被害側の運転手や同乗者は確かに逆走車の運転手をみたというが、行方には定かではない。衝突の直後、車からでてきて何か言葉を交わしたような記憶がある者、車両のなかで潰されていると話す者、初めから運転手はいなかったと話す者。

 この日、南蔵田に駆けつけた警官で、事故車両を目撃しなかった者はいないが、被疑者を確保できた者もいなかったという。

 そして、警官達の何割かはこの異常事態を署へ報告する前に新たな“衝突”に巻き込まれ、行方不明、あるいは重傷を負う。

 重傷を負った警官たちはみな制服姿の不審者が放った銃弾と“衝突”した。彼らがどうやって不審者に遭遇し、何故発砲されたのか、状況は多岐に渡るが、全てのケースで共通しているのは銃撃事件の目撃者がいないこと、そして彼らを撃ったという不審者が見つからないことだ。

 逆走車の運転手と同様に、警官を襲った者たちも煙のように姿を消していたのである。


 これらの例は南蔵田で報告された出来事の一部でしかない。この日からモノリスや樹海の出現により混乱が本格化するまでの間、南蔵田では同様の“衝突”が起き続けていた。

 それらの一部は当時の防犯カメラ、警察への通報、住人達が当時利用していたネットワークサービスへの書き込み、新聞記事などの形で今も断片として残り続けている。


 しかし、三瀬管理委員会が誇るネットワークに、これらの記録は一つとして存在しない。管理委員会、その外部機関である“図書館”が記録する南蔵田における“イベント”は、モノリス様の石の出現と、“獣”による襲撃のみであり、“衝突”に類する事例は全て“獣”が起こしたものと扱われている。行方の掴めない運転手や警官を模した不審者の情報はひとつも存在していない。


 そして、ここが最も不思議な点なのだが、“図書館”は南蔵田の“イベント”に関する欠落を修正することがなく、にもかかわらず、ネットワークのアクセス権や管理権などを持たない住人に過ぎない者でも、ネットワークに存在しない南蔵田の情報を集めることができてしまう。

 南蔵田の“イベント”については、誰もが等しく、その気になれば情報を集められる状態になっているのである。


 但し、これらの情報を集めるべきかどうかは各自の判断に任せるべきだ。“衝突”についての情報を揃えると、「南蔵田についての調査をしてほしい」との依頼が届くのだ。依頼主もこちらを突き止めた経緯もわからない。

 ただ、最低限の情報と樹海の地図、高額な報酬が示されたその連絡がどのような意味を持っているのか。それは私にはわからない。

 受けなかったのか? ああ、受けなかったよ。私が誰なのか、どこで暮らしている何者なのかも知らない相手だ。

 こんな危険な依頼にどうして応じる理由がある?

 応じた者を知らないか? さあ。直接の知り合いはいない。噂は耳にしたことがあるが、本人たちに確認をしたこともないね。

 だから私が南蔵田の“イベント”について話せるのは此処までだ。

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犬の鑑定法 若草八雲 @yakumo_p

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