第3話 婚約者の訪問

 目覚めても目覚めても悪夢の続きとはこれいかに。


 待てど暮らせど、婚約破棄されたという、あるべき事実はやってこなかった。


 かわりに、私の眼の前には、あって良い筈のない転寮通知書だけが存在している。


 その上、つい先日大喧嘩を繰り広げたはずの婚約者が、あろうことか私を見舞いに来るなどという天変地異までも襲い掛かってくる始末だ。全くのお手上げである。


「……すまなかった、シルヴィ」


「おやめください、殿下。ブランシュ大公の後継ともあろうお方が、私のような者に頭を下げるなど……学園ならば無礼講と存じましたが、ノースではそうは言っていられません。ブランシュ家、しいてはノースの沽券にかかわることでございます。お控えくださいませ」


 レナンドルは苦虫を嚙み潰したような顔でプイとそっぽを向いた。軽率にオタクの前でそんな可愛い仕草を見せつけないでいただけますか。トキメキのあまりキャラ崩壊してしまうでしょうが。私は思わずため息を吐いた。ハア、好き。


「御心配には及びませんわ。私もつい、慎みを失い、貴方様のお気に召さぬ物言いで内心を口走ってしまいましたもの。貴方様は、主人に嚙みついた配下を躾けたというだけの話。貴方様が悔いるべきは、極めて個人的な教育行為に公衆を巻き込み、ブランシュ家の顔に泥を塗りかねない騒動を起こしてしまったことだけかと存じます」


「どうして君は、そんな考え方しかできないんだ……どんな理由があれ、私は怒りに任せて君を傷つけた。その過ちに、ブランシュだとか、立場とか、そんなことは関係ないだろう」


「……私には、そのような考えを持つことを許されておりません」


 レナンドルはいたく悲し気な目で私を見つめた。クソ、顔が良い……! でも、そんな憐れみの籠った目で見られても、無理なものは無理なのだ。私のことは潔く諦めてほしい、切実に。


 勿論、内心では、ノースとかブランシュとかクソくらえって思ってるけどね。私だって、貴方の高潔な志に賛同できないのは辛いんだよ。でも、こればっかりは仕方無いんだ。


 私はシルヴェーヌ・プリエンだから。原作開始以前の時点で、ノースの思想に歯向かうようなプログラムはされていない。原作のシルヴェスタは、とある事件があるまで、真正のノース・プライオリティ信者だったはずだ。


 我々の住まう、「ロータス・イン・ザ・マッドアイランド」の舞台……人類の行使する神秘こと魔法が衰退し、自然魔力資源を用いた魔導技術の発展した世界にあって、唯一、魔法伝承と魔法使いが現存している神秘の島国こと、ニンフィールド連邦王国。


 徹底的な鎖国政策によって、魔法が使えなくなった大陸の人間の侵入を固く拒み、魔法が使える血脈の保護、魔法使いという種の保存に国をあげて取り組んだことで、今もなお国民“全員”魔法が使えるという、魔法使いにとっての理想郷となった国だ。


 しかし、100年ほど前、豊富な魔力資源を保有する大陸の雄、オドガルド帝国にて、人間の魔力を必要としない神秘の実現が成功し……魔導の概念が誕生したことで、状況が一変した。


 大陸各国はこぞってこの魔導研究に心血を注ぎ、五十年もすれば、かつて人間が使っていた魔法の再現にとどまらず、それ以上の先進技術を開発するまでに至ったのだ。


 テクノロジーの先進、産業力の優越という点で、大陸とは一線を画していたニンフィールドは、一転、大陸の後塵を拝する、時代遅れの技術後進国となってしまったのである。


 その事態を重く見たのが、まだニンフィールドが連邦ではなく、一枚岩の王国であった時代最後の君主、先々代のヴィットーリオ王だ。


 大陸の先進技術によって発展した魔導軍事侵略の脅威を危ぶんだヴィットーリオは、有力貴族らの過半数の反対を押し切り、開国を断行、大陸の技術を自国にも取り入れ、魔法との複合を模索し独自の技術を発展させることで、自国の優位性を取り戻そうと試みた。


 しかし、旧態依然の大貴族らは、その急進的な開化政策を決して良しとはしなかった。


 彼らはヴィットーリオ王の弟であり、王国北部の統治を任されていたブランシュ公爵エマニュエルを担ぎ上げ、クーデターを企てた。


 こうして火蓋の落とされた北部と南部の激しい内紛は、7年もの間続き、泥沼の様相を呈した末、帝国の魔導技術によって絶大な軍事力を手に入れた王室側の勝利という結果に終わる。


 しかし、道を過った王室に制圧されることを良しとしなかった北部は、7年もの間水面下で準備を進めていた大魔法を発動。それにより、陸続きだったニンフィールドの国土は真っ二つになり、北部は一方的に独立を宣言した。


 王室は頑なにそれを認めなかったため、あくまでノース・ニンフィ自治区と名前を変え、独自の統治を認めているという体裁をとった。それに伴い、王国はニンフィールド連邦王国と名前を変えることになったのである。


 つまり、魔導による革新を受け入れた南部と、排他によって古来の伝統と魔法を固持する北部という形で、現在のニンフィールド連邦王国は二分し、激しく対立しているのだ。


 北部は自領土を「ノース・ブランシュ神聖公国」と標榜し、ブランシュ家当主を大公として擁立した。そして、ブランシュ家こそが、ニンフィールドの誇りを正しく継承した「真の王家」なのだと主張した。


 ノース・プライオリティ思想とは、そんな公国が掲げる、大陸の卑賎で野蛮な魔法モドキを決して迎合せず、汚らわしいものとして扱い、優れた種族としての誇りと責務を全うしようという優性思想なのである。


 南北間に緊張が張り詰める情勢下、レナンドルは第二代ブランシュ大公グウェナエルの嫡男として生を受けた。そしてその数カ月後、ブランシュ家を擁立した大貴族の一翼、プリエン伯爵家にて、長女シルヴェーヌが誕生したということになっている。


 しかし、ブランシュ家でノース・プライオリティ思想の英才教育を受けたはずのレナンドルは、その旧態依然の体質に幼少期から疑問を持ち、周囲を困らせたことで有名だった。


 そんなところ、彼の思想を矯正するためにあてがわれた数名の名家子女のうちのひとりが、シルヴェスタ・プリエン……もとい、シルヴェーヌ・プリエンだった。


 故に、「許されていない」と言うのは、私にとってはダブルミーニングだ。ストーリーの都合上という意味もあるが、プリエン家の人間として、レナンドルの“乱心”を諫める役割を大公から命じられているも等しい立場にあるため、下手すれば平気で首が飛ぶのである。


 しかし、どこか分からずやなところのあるレナンドルは、私の手を自分の両手で包み込み、切実な眼差しで私の瞳を覗き込んだ。


 私は普通に「ア、死んだ」と思った。自分の人生を狂わせた推しにそんなことをされて正気を保てと言う方が酷だ。しかもこの推しは極めて、それはもう飛びぬけて見目が良いので、余計ゴリゴリと正気が削られるのである。勘弁してください。


「シルヴィ、私はね、未来の伴侶である君にも、もっと広い世界を見て欲しいんだ。停滞した排他の思想に未来はない。君は閉じた世界しか知らないだけだ。君なら分かってくれると信じている。きっと、私たちは分かりあえるはずだ」


「カフ……ッ」


「カフ……?」


「い、いえ。何でもございませんわ、お気になさらず」


 ウンウンと咳払いをして誤魔化す。危ない、危ない……もうすぐで化けの皮が剥がれてしまうところだった。ちょっとオタクの自我がはみ出てしまった気がしたが、気のせいと言うことにしたい。私のオタク自我はすぐに白目を剝くのでいけない。あわや大惨事である。


 キャラ崩壊、ダメ、ゼッタイ。


「だから、私に、大陸生まれの方たちとも共同生活をしろなんて仰せになるの」


「……そもそも、君はルブルムの学年次席だろう。各寮から男女2名ずつ選抜された成績優秀者がアトラムに入るのだから、君がルブルムに残留している方がおかしい」


「ですが……」


「とにかく。2年生から、君と同じ寮で共に研鑽を積むことを楽しみにしているからね」


 私の口答えを制するようにそう言い放ち、レナンドルは私の部屋から出ていった。私はその背中がドアの向こうに消えた瞬間、特大のため息を吐きながら頭を抱えた。


 なんと言うことだろう、軌道修正どころか。


 原作のシルヴェスタは、ルブルム寮の寮長なのだ。彼がアトラム寮に入ることなどあってはならないのに。


 まさか、事態がもっと悪化してしまうなんて……! いったい誰がこんな展開予想できるって言うんですか!?

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